第七編 失恋の覚悟
「いってきます……ふあぁ……」
家の近所の住宅街を抜ける。……この辺を歩くときは、何故だか妙に早足になってしまう自分がいた。朝っぱらから井戸端会議をしている近所のおばちゃんに声をかけられるのも嫌だし、あまり話したこともない、小学校時代に登校班が同じだっただけの上級生とばったり
それに、高校に上がってからはほとんど会うこともなくなった幼馴染み連中に遭遇するのも避けたいところである。別に不仲とかそういうわけではなかったが、特別親しいというほどの間柄でもない。そういう相手とは会わない期間が長くなるほど、不思議と距離を置いてしまうものだ。
「(…………幼馴染み、か……)」
そのキーワードで俺の脳内に自然と浮かび上がるのは、十年間、俺が無意味な片想いを続けてきた幼馴染みの女の子――
どれほど話さない期間が長くなろうが、会えば必ず昔のままの笑顔を向けてくれる彼女の優しさと人柄に、俺は心底惚れていた。
いや、別に過去形ではない。今だって、その想いはなにも変わらない。
変わらないが……ただ、〝無意味〟にはなった。
なぜなら俺がどれだけ一途に、愚直に
そう、彼女が見ているのはただ一人。初春学園一の人気者にして、学内外を問わずあらゆる女性に好意を寄せられるイケメン、
「…………」
ふと足を止め、意味もなく朝の空を見上げる。電信柱の間を駆け抜ける電線の隙間からは、鬱陶しいほどの秋晴れの空が見えた。
――俺と久世がなんの因果か、同じ喫茶店で働くアルバイト仲間になってから、既に二週間以上が経過していた。
その中で俺が知ったのは、アイツが噂に聞くような〝完全無欠人間〟ではなかったということ。
これは〝良い意味で〟である。俺に言わせれば、ロボットみたいになんでも完璧にこなす人間の方がよほど気味が悪い。だがアイツは普通にミスもするし、普通に落ち込みもする、そんな普通の人間だ。ただ、一度したミスはそうそう繰り返さないというだけで。
それに、「桃華の想い人だから」という理由で一方的に敵視してしまっていたが……そんな俺から見ても、やはり久世は〝良い男〟だと思わされた。
話し方、気遣い、礼節、笑顔――単純に、人間としての魅力に非常に優れている。もちろん話に聞く通り、学力や運動神経、顔立ちの良さなども彼が人に好かれる一要因だとは思うが、ただそれだけでは、あそこまで男女問わずの人気者にはなれないだろう。
つまりは――そういうことなのである。
「――くっそ……ここまで〝勝ち目がない〟と、いっそ清々しいな……」
「なんの話よ?」
「うおおっ!?」
ビクーッ、と身を跳ねさせ、反射的に半身になる俺。バクバクと急激に心拍数が増加する心臓を押さえつつ目を向けると、そこには学生鞄をリュックのように背負い、腰に巻いたカーディガンを風に
「ば、馬鹿な……! なぜ貴様がここに……!?」
「アンタは犯行シーンを目撃された犯人か。朝から空見上げて独り言とか、頭大丈夫?」
「やかましいわ。お前こそ、重ね着するかどうか超微妙なこの季節に腰巻きカーディガンとか恥ずかしくねぇのか」
「超微妙なら別にいいだろ」
「ふん、肌寒くなってきてから後悔しても知らんからな」
「その時は普通にコレ着るだけだけどな」
俺の捨て台詞にも的確なツッコミをしてくる一応幼馴染み。こういうノリの良さは嫌いじゃないが、やはり俺はこのギャルが少し苦手だった。
〝この辺でバッタリ遭遇したくないランキング〟筆頭の彼女とこれ以上話すこともない。
俺はさっさと学校へ向かおうとして――
「やよいちゃーん、お待たせ――って、あれ?
――背後から聞こえてきた少女の声に、ピタリと足を止めた。
「やっぱり! おはよう、悠真! ここで会うの、なんか珍しいね!」
「お、おう、おはよう」
キラキラと眩しい笑顔を向けてくる少女――桐山桃華の登場に、俺は若干上擦りそうになった声でなんとか答える。
今日の桃華はいつもの制服の上から学園指定のカーディガンを羽織った正統派スタイルだ。隣に立つギャルのせいで、その清楚さがいっそう際立っている。
「……小野、アンタ今、なんか失礼なこと考えてない?」
「エスパーかお前は。考えてねぇよ」
「いや『エスパーか』って言ってる時点で『考えてた』っつってるようなもんだろ」
「お前に俺の何が分かるッ!?」
「主人公に
「ねぇ、悠真も歩きだよね? じゃあ学校まで一緒に行こうよ!」
「えっ」
金山と言い合っていると突然桃華に提案され、俺は思わず言葉に詰まる。
「はぁ? コレ連れて歩くとか嫌なんだけど……」
「どういう意味だコラ」
「内申に響きそう」
「響くか! だいたいお前どう見ても〝内申〟とか気にするタイプじゃねぇだろ! 成績悪そうだし!」
「やよいちゃんは学年二〇位くらいだよ?」
「なんで普通に成績良いんだよ! なめてんのか!? その見た目で成績良いとかなめてんのか!?」
「成績良いことを怒られたの、生まれて初めてなんだけど。……はぁ、もういいや。さっさとガッコ行こう」
俺を半分スルーして、金山がさっさと歩き始める。それを「待ってよー」と追いかける桃華と、そんな桃華を見て密かに癒される俺。客観的に見ても、かなりバラバラの
学校へ向かう途中、俺たちは色々な話をした。昨日見たテレビ、夏休みにあったこと、小学校時代の思い出、次の試験範囲のことなど、流れのまま、思い付くがままに言葉を交わす。
そんな他愛ない話が出来ることが、今の俺にはたまらなく嬉しくて――そしてそういう幸せな時間というのは、得てして一瞬のうちに過ぎ去ってしまうもので。
気付いた頃には俺たちは、もう学校のすぐ近くまで来てしまっていた。
「(あーくそ、終わっちまうのか……学校、もっと遠けりゃ良かったのに……)」
そんな女々しいことを考えながら、俺は数歩先を歩く桃華の後ろ姿を見る。
――俺はやっぱり、桃華のことが好きだ。
俺はこの数十分で、俺の十年間の気持ちに偽りがないことを再確認した。
そして、だからこそ――
「あっ……」
「…………」
――突然足を止め、そして赤い顔をしてなにかを見つめる彼女の横顔に、俺は嫌になるほどの苦味を味わう。
その視線の先に誰がいるのかなんて、目視せずとも分かってしまうから。
「――アンタ、そんなに好きならさっさと告れば?」
『えっ』
期せずして発された金山の言葉に、俺と桃華の声が綺麗に重なる。
「久世のこと、好きなんでしょ? だったら、誰かに盗られる前にアタックしなよ」
「(あ、あぁ、そういうことか……)」
視線の先で多くの友人に挨拶をされているイケメン野郎――
び、びびった……。いや、流れからして桃華に向けられた台詞だったことは明白だったのだが、俺にもピタリと当てはまる言葉だったもんだから……。
「(――いや、そりゃそうか。今の俺と桃華は、同じ〝想う側〟なんだから……)」
そう考えてもう一度、頬を染める桃華の横顔を見やる。
――彼女はどれくらい、
――彼女はどれくらい、真剣に恋をしているのだろう。
それはきっと、少なくとも〝ただ一途に好きなだけ〟だった俺なんかよりはよっぽど〝本物の想い〟で、そして――
「……でも、久世くんは人気者だから……私なんかには無理だよ……」
――〝守ってやらなきゃいけない想い〟だと、そう思わされてしまった。
「――ああ、そういえば
――たとえその結果、俺の恋が無様に終わってしまうとしても。
「――うちの喫茶店でバイトしてるんだよ」
――好きな人が幸せなら、自分の失恋も受け入れてやるさ。
驚いたようにこちらを見てくる桃華と金山の視線を浴びながら、今日この日、俺は〝覚悟〟を決めた。
――その瞬間、俺の胸の最奥が、ズキリとした
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