第六編 〝七番さん〟

 俺の働いている喫茶店〝甘色あまいろ〟に、あの久世真太郎くせしんたろうがアルバイトとして加入が決まったあの日から数日が経過した。

 その間、彼が使うエプロンやロッカーの用意、その他諸々の事務的手続を行い、そして今日はいよいよ、久世真太郎の初出勤日である。


「ふんふん、なかなかサマになってるじゃん。格好良いね」

「ありがとうございます」


 深緑色のエプロンを身に付けた久世真太郎に、店長が満足げに微笑む。


「出勤時間までまだ少し時間あるから、事務所で待ってな。なにか聞きたいことがあったら、そこにいる小野おのっちに聞いてくれればいいから」

「分かりました」

「丸投げかよ」

「信頼の証だと思いなよ~」


 シシシ、と笑いながら事務所を出ていく店長に、俺はハァ、とため息をもらす。

 そんな俺に、久世真太郎は改まるように姿勢を正すと、立ったままペコリと頭を下げてくる。


「久世真太郎と言います。よろしくお願いします」

「いや律儀か。……まぁいいけど。小野悠真おのゆうま初春はつはる学園の一年だ。同学年タメだから敬語とか要らないからな」

「そう? じゃあ、そうさせて貰おうかな。改めてよろしく、小野くん」

「……ああ。よろしくな、久世」


 ニコッと爽やかな笑みを浮かべながらスッと手を差し出してくる彼に、俺は一瞬だけ戸惑いつつも、その手を握り返した。……俺はコイツの目の前で思いっきり振る舞っていたというのに、よくそんな笑顔を浮かべられるものだ。俺が彼の立場だったら、間違いなく可能な限り関わらないようにするのだが。

 俺がぼんやりとそんなことを考えていると、久世が「ねえ、小野くん」と話を切り出してきた。


「小野くんはこのバイト、長いのかい?」

「ん? ああ、一応四月から働いてるから、高一としちゃ長い方かな。つっても半年だけど」

「ということは、半年で店長から信頼されるだけの働きを身に付けたってことなんだ……凄いね」

「おいやめろ、ハードルを上げるな」


 先ほどの店長の言葉を真に受けているのか、キラキラとした瞳で俺を見てくるイケメン野郎に、俺はやめろやめろと大袈裟に手を振るう。

 実際のところ俺は、久世が来るまではこの喫茶店において一番の新参者だった。当然ながら店長や他のアルバイトと比べれば仕事は出来ないし、未だにしょうもないミスをすることだってある。店長がああ言ったのは、単に今日、俺以外のアルバイトが居ないからに他ならない。

 ――という旨の話を久世にもしてやったのだが。


「でも仕事がまったく出来ないような人に、新人を任せたりなんてしないよ。ということは、少なくとも店長さんは小野くんのことを〝任せるに足る人〟と思っているんじゃないかな」

「……どうだか。あの人はなにかとテキトーだし、細かいことなんて考えちゃいないだけだと思うけどな」


 悪気なく俺のことをフォローしてくる久世に、俺は妙にくすぐったい気分になり、無愛想に応じる。

 あまり俺に対して〝デキる奴〟みたいなイメージを持たれても困る。さっきの言葉は別に謙遜けんそんでもなんでもないのだ。俺は俺を有能と思ったことはないし、同じくらいの時間ここに勤めていれば、誰だって〝俺の代わり〟は務まる。特別無能ではないと思うが、至って平均的な高校生アルバイト、それが俺だった。

 ただ、これ以上自分を卑下ひげするような言葉を重ねるのも趣味じゃない。よって俺は、少し無理矢理話題を変えることにした。


「そういやお前、どうやってうちのバイト募集のことを知ったんだよ? 張り紙とか特にしてなかったはずだけど」

「ん? ああ、実は学校の廊下でこれを拾ったんだよ」


 そう言って久世は机の上に置いてあったファイルを手に取り、一枚の紙を取り出した。

 丁寧にファイリングされていた割にはやけにクシャクシャになっている、どこかで見覚えがあるようなそれは――


「あっ……俺が失くした募集用紙か」


 俺が呟くと、久世がこくりと頷いた。


「うん、この間の面接のとき、店長さんに話を聞いたよ。どういうわけか、一年一組の教室の前に落ちていたのを、僕が拾ってしまったんだ」


 ……なるほど。どこで失くしたのかと思っていたが、一年一組の告白騒ぎを見に行った時に落としてしまったのか。まぁよくよく思い返してみれば、あのときくらいしか考えられないが。

 俺は一応その紙を久世から受け取り、そして自然と気になったことを問いかける。


「でもなんでうちの喫茶店にしようと思ったんだ? あっ、他にもバイトの面接受けてたのか?」

「ううん、ここだけだよ。もちろん他にも候補は探してあったけれど、即日で採用してもらえるとは思ってなかったから……」

「ああ……店長が触手系モンスターだったのが功を奏したわけだ」

「触手系モンスター……? あっ、でもどこでもいいと思っていたわけじゃないからね? この喫茶店には何度か来たことがあって、ここでなら働いてみたいと思って……」

「いや真面目か。別にただのバイトにそこまで高尚な〝志望動機〟なんて求めてねぇよ、店長あのヒトも」


 流石はどれだけ女子生徒に告られようともなびかない真面目イケメン。いちいち律儀な奴だ。……女ってのはこういう男にこそ魅力を感じるものなんだろうか?


「(……いや、違うか。〝そういうところも含めて〟、コイツに魅力を感じてるんだろうな……桃華アイツも)」


 久世に対してあまり良い印象を持っていたとは言いがたい俺でも、彼の人となりを答えろと言われたら「良いヤツ」と答えてしまうだろう。今少し話してみただけでも、それが分かってしまった。俺はそれに対して敗北感を覚えると同時に――どこか納得してしまう部分もあって。


「おーい、小野っちー、久世くーん! こっち来てくれるかー?」

「はい!」

「あーい」


 厨房の方から聞こえてきた店長の声にすぐさま立ち上がって歩いていく久世の背中を眺めながら、俺は誰もいなくなった事務所を出るのであった。



 ★



「小野っちー、これ、四番テーブルのお客さんねー」

「はーい、ただいまー」

一色いっしき店長、これはどこへ置いておけばいいですか?」

「お、サンキュー、久世ちゃん。そこ置いといて。あと私を名で呼ぶなら名字じゃなくて名前で呼びな。〝小春こはる店長〟、〝小春さん〟、もしくは〝小春ちゃん〟でも可」

「うわキッツ……」

「おいこら小野っち! お前今ぼそっとなんて言ったコラァッ!?」

「久世、店長に構わなくていいから、六番の片付け頼む」

「う、うん、分かった」

「お前らもっと店長をうやまえー!」


 平日の夕方にしては珍しく客入りのあったこの日、俺は久世に仕事を教えつつ、しかし概ねいつも通りに業務をこなしていた。

 結論から言えば、久世はかなりデキる奴だった。勉強や運動は出来ても仕事は駄目、なんて人も世の中には多いらしいが、コイツは勉強も運動も、そして仕事も出来るタイプらしい。腹立つ。

 とはいえ、教えたことを即座に身に付け、分からないことをそのままにしないというのはやはり美徳だろう。久世に仕事を教えるために費やした時間を考慮しても、俺には普段よりも余裕が残るくらいだった。


「――レシートのお返しでございます。ありがとうございます、また御越しくださいませ」

「ありがとうございまーす」


 閉店時間が近付き、店内に客の姿がほとんどなくなった頃には、久世は接客業務の大半を覚えてしまっていた。

 流石にメニューなどはまだ覚えられていないが、それも時間の問題だろう。


「……やっぱお前腹立つな」

「え!? ど、どうしてだい!?」

「別に。今日はお疲れさん。そろそろ上がりだし、店長に総評でも聞いてこいよ。後はやっておくか――」


 言いかけて、俺はスッと背筋を伸ばす。店内に残っていた最後の客――通称〝七番さん〟がこちらへ向かってきたからだ。


「ありがとうございます。お会計でよろしいでしょうか?」

「…………」


〝七番さん〟は無言のまま頷き、こちらに伝票を差し出してくる。

 俺はそれを両手で受け取り、隣に並び立つ久世に渡そうとしたが――そこで、久世の様子がおかしいことに気が付いた。


「……? おい久世、はやく会計を――」

「――未来みく?」

「は? ――――ッ!?」


 何言ってんだコイツ、と首をかしげるよりも早く、俺の全身を凄まじいほどの悪寒が駆け抜ける。慌てて顔を向けると、悪寒の発生源は――


「…………」


 やはり、〝七番さん〟。彼女はいつものサングラスをほんの少しだけずらし、そして久世のことを今にも食い殺しそうな目で睨みつけていた。

 側に立っているだけの俺でさえ震えるほどの目付き。睨まれている本人の久世は、滝のような汗を流しながら直立していた。


「――お会計、早くして貰えるかしら」

「は……はい……ッ!」


 今日は久世の勉強のため、会計のほとんどを彼に任せていた俺だったが、今ばかりはそんなことに構ってはいられない。染み付いた手つきで素早くレジスターを操作し、会計を済ませてしまった。


「あ、ありがとうございます、また御越しくださいませ……」


 俺が若干震えた声でそう告げると、〝七番さん〟は静かに店を出ていった。


「こ、怖かった……な、なんだったんだよ、あの人……」


 隣でようやく直立を解除した久世にそう問い掛けると、彼は俺以上に震えた声で言う。


「――彼女の名は……七海未来ななみみく。僕の――幼馴染みだよ」

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