第五編 運命の出逢い(男)

 目の前に立つ男は、やはりとんでもないイケメンだった。

 一言でイケメンと言ってもタイプが分かれると思うが、アイドルや俳優というよりは、モデルによく居そうな雰囲気のイケメン。

 そんな、普通にファッション誌の表紙を飾っていてもおかしくないような男が、今俺の目の前で爽やかな笑みとともに佇んでいる。

 対する俺は一先ひとまず、この場に相応しい、もっとも無難なセリフを吐くことにした。


「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞー」

「え。いやあの、こちらでアルバイトの募集をされていると聞いて来たんですが……」

「こちらメニューになります」

「あ、あの、このアルバイト募集の紙を見て来たんですが……」

「ご注文お決まりでしたらそちらのベルでお呼びください」

「僕の話を聞いてくれませんか!?」


 この上なく〝この場に相応しい〟言葉を連ねる俺に、イケメン――久世真太郎くせしんたろうが声を張る。……どうやら〝問答無用で客扱い作戦〟は失敗らしい。


「……え? なんですか? アルバイト希望者? やめた方が身のためですよ。こんなところでバイトするような奴、ロクな死に方しませんって」

「いや貴方はここのアルバイトの方ですよね!?」

「はい。犬死にも覚悟の上で働いてます」

「そこまでの覚悟で!?」

「だからもう、ほんとにやめときましょう。お願いしますよ、土下座でもなんでもしますから」

「なんでそうなるんですか!? あ、あの、せめて店長さんにお目通りを願いたいんですが……」


 そう言って厨房の方を覗き込もうとする久世真太郎に、俺は慌てて両手を広げ、その視界を塞ぐ。


「ぜ、絶対駄目です! あれなんで、うちの店長今まさに全裸なんで!」

「全裸!? えぇ!? なんで喫茶店の店長さんが現在進行形で全裸!?」

「そういう人なんです、察してください!」

「どういう人!? 察するのが難しいにも程がありませんか!?」

「その程度のことも察せない人間がうちのアルバイトに募集するなんて片腹痛いわ! 喫茶店を舐めてんのか!」

「す、すみません! …………」


 思わず声を荒げて叱りつける俺の怒気を受け、久世真太郎が慌てた様子でガバッと頭を下げた。そして彼はその体勢のまましばらく黙考もっこうし……。


「…………あ、あの、冷静に考えてみても、喫茶店のアルバイトに〝店長さんが全裸でいる理由を察する能力〟は要らないような気が――」

「と、とにかく! 店長は今立て込んでるんで! お引き取りください!」

「いや全裸の人が立て込んでるって、ほんとにどういう状況なんですか!? もはや警察沙汰でしょうそれ!?」

「ええいっ、もういいからとにかく帰ってくれって! うちの店長ほんとに変態だから! 本当に身体に危険が及んでもおかしくな――!」


 俺が大声でまくし立てながら、彼の背中をぐいぐい押して店の外へ追いやろうとしていた、その時だった。


「――小野おのっちぃ~?」


 背中に氷を突っ込まれたかのような、ゾクリと身を震わせてくる声音と共に、その人物はやって来た。

 ギギギ……と、間接の錆び付いたブリキ人形のようにぎこちない動作で俺が振り向くと、そこに立っていたのはなんと――というか案の定――この喫茶店の店長、一色小春いっしきこはるその人であった。

 彼女は今まで見たこともないような満面の笑顔で、俺のことを見つめている。


「て……店長……い、いつからそこに……?」

「たった今からだよぉ~?」

「そ、そうですか。それなら俺たちの会話の内容は――」

「あんなに大声で話していたら、近くにいなくても丸聞こえだったよぉ~?」

「い、いや、あれは言葉の綾というか、店長を尊敬しているからこそというか――」

「へぇ~、キミは〝ロクな死に方の出来ない〟〝犬死に覚悟〟の喫茶店で店長をしている、〝全裸〟で〝変態〟な私なんかのことを尊敬してくれているのかぁ~」


 なんとか言い逃れを試みる俺に、しかし店長は――普段はそこまで切れ者でもないくせに――こんな時ばっかり優れた記憶力を発揮してきやがった。

 俺は生命の危機を感じつつ、それでもひきつった笑みを浮かべてみる。


「は、はは……て、店長、どうしました? か、顔がすごく……笑顔になってますよ……?」

「笑顔は接客の基本だろう~? そういう小野っちこそぉ~、顔色が随分と悪いようだがぁ~?」

「じ、実は今朝から体調が悪くて! そ、そうなんですよ、なので今日は早退させていただきま――――」

「小野っち」


 俺の言葉を遮って、店長が呟く。

 そして彼女はわずかにうつ向き、そして次に顔を上げたと思ったその瞬間、俺に向かって飛びかかってきた。


「せっかく来てくれたアルバイトに――――なに晒しとんじゃあああああぁぁぁぁぁっ!!」

「ギャアアアアアァァァァァッ!?」


 顔中に青筋を浮かべた店長渾身の〝ぶちギレ滞空回し蹴り〟が直撃し、俺はバトル漫画も真っ青な勢いで大きく後方へ吹っ飛んだ。

 面白いように床を滑り、綺麗にテーブルとテーブルの隙間をすり抜け、内壁に背中を強打したところで、ようやく停止する。


「…………なるほど、たしかに、身体に危険が及びましたね……」


 朦朧(もうろう)とした意識のなか、久世真太郎がポツリとそんなことを呟いたような気がした。



 ★



「というわけで、彼を雇うことに決めたから。小野っち、異論はないな?」

「……あると言ったら?」

「『ない』と言えるまでバッドエンドをループしてもらう」

「実質『ない』以外の答えなんてねぇじゃねぇか」

「選択肢があるだけマシだろ」

「どう転んでも俺の望む展開にならない選択肢なんてただただ辛いだけなんですけど」


 久世真太郎の面接を終えた店長と言葉を交わしながら、俺は事務所のパイプ椅子をギィと鳴らして腰掛ける。先ほど強打した背中がわずかに痛み、顔をしかめる俺に、店長は呆れたように息をついた。


「そんなに久世真太郎かれがここで働くのが嫌か? 良い子そうじゃないか」

「えぇまぁ。あの通り顔は良いですし、成績もめちゃくちゃ良いらしいから試験休みは取らないでしょうし、もちろん仕事も出来るでしょうし、うちの給料に文句も言わず、ついでにどこかの国の王子様と言われても遜色ないくらいですしね。店長が求める人物像そのものだと思いますよ、良かったじゃないですか」

「な、なんでそんなに当て擦りみたいな言い方するのさ……」


 久世真太郎が数日前に店長が口にしていた条件を満たしていることを、まるで皮肉のように告げる俺。それを聞いた店長も、まさか本当にあれだけの条件を満たした人間が来るとは思ってもみなかったのか、少しだけ居心地が悪そうに苦笑する。

 ちなみに久世真太郎は今、隣室で諸々もろもろの書類に記載をしている最中のようだ。彼もまさか、即日で採用が決まるとは思っていなかっただろう。それだけ店長が、彼を逃がしたくなかったという意思の表れかもしれない。


「…………ね、ねぇ小野っち、どうしてそんなにジトッとした目で私を見るんだい?」

「……いえ、別に。ただ店長って、自分がどうしても欲しいものを見つけたら、問答無用で絡み付いて二度と離そうとしない生態があるんだろうな、と」

「私は触手系モンスターか!」

「俺ならもう覚悟できてますよ。『あれだけの有望株が来てくれたからお前なんかもう要らない、さっさと解雇通知にサインしろ』って言いたいんですよね?」

「言わないよ! なんでそんなにネガティブなのさ!? だ、大丈夫、小野っちだってうちの大切な戦力なんだよ!?」

「あーはいはい、表向きではそう言って、裏では悪口言ってるんですよね。『小野アイツ、新人より使えないんだけど』とか言って酒のさかなにするんですよね、知ってますよ」

「だからしないよ! というか私ってそんな奴だと思われてたの!? 普通にショックなんだけど!?」

「失礼します」


 店長が涙目で嘆いていると、久世真太郎が書類を持って事務所へ入ってきた。入室時の三回ノックと一礼も忘れていない。……というかそんな店内ルールなどまだ教えられていないはずなのだが、なんでもう出来ているんだ。……俺なんか未だに素で忘れたりするのに。

 彼から書類を受け取った店長は自分のデスクでパラパラと確認すると、「良し」とだけ呟き、事務椅子をぐるりと回転させて、俺たち二人に向き直った。


「それじゃあ詳しい業務内容は後日、出勤日に教えていくよ。小野っち、先輩として色々教えてあげてね?」

「…………」


 俺がちらりと横目でうかがうと、それに気付いた久世真太郎がニコリと微笑む。……なんだコイツ、イケメンか。腹立つ。


「……分かりましたよ。でもその分給料は上げて貰いますからね」


 ぶすっとそう言う俺を見て、店長と久世真太郎が顔を見合わせ、そして苦笑した。


「ご褒美のコーヒーくらいなら淹れてやろう。とりあえず、ようこそ久世くん。私たちの喫茶店、〝甘色あまいろ〟へ。これからよろしくね?」

「はい。こちらこそ、よろしくお願い致します」


 こうして俺と久世真太郎は、どういう縁か、アルバイト仲間になった。

 そして、この日の俺は、まだ知らなかった。


 この日の出逢いが俺の高校生活を大きく変え、そして――――この日の出逢いを、俺はずっと後悔することになるのだということを。

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