第三編 久世真太郎
私立
偏差値自体は日本の高等学校の平均値を多少上回る程度だが、大学への進学率が非常に良く、またスポーツ推薦などにも力を入れていることから、あまり学力に自信がない生徒でも入学できる可能性があるため、俺たちの地元中学では「とりあえず初春に入れりゃ御の字」という風潮があった。
かくいう俺もその風潮に
――――一組はヤバイ、と。
……いや、ヤバイ、といっても、別に不良が
ただ単純に、〝格が違う〟生徒ばかりが集められている、ということだ。
初春学園は一学年につき七クラス。そのうち二組から六組の間に差異はない。
だが〝特待組〟が集められた一組と〝スポ薦組〟が集められた七組については話が違う。特に全学費の免除や奨励金の支給、その他入学後の厚待遇を条件に入学してきた〝特待組〟には、俺たち一般生徒とは比べるべくもない優秀な生徒も多数在籍しているそうだ。
……まぁ〝入学以来すべての試験で満点を採った生徒がいる〟だの、〝一瞬で十人の異性に告白され、そして一瞬で全員をフッた生徒がいる〟だの、〝誰でも名前を知っているあの大企業の後継ぎが裏口入学している〟だの、〝片手で大柄な男子生徒を
「(は……入りづれえぇぇ……!)」
――――それでもやはり、同じ他クラスでも、二組に入るよりも遥かに高いハードルが、そこにはあった。
俺は〝通りすがりの一般男子生徒〟を装いつつ、まずは遠くからチラチラと一組の様子を
まず目につくのは、教室前方のドアを塞ぐほどに群がった無数の女子生徒たち。
そして次に目につくのは、教室後方のドアを塞ぐほどに群がった無数の女子生徒たち。
さらに次に目につくのは、俺のいる廊下に面する窓をすべて塞ぐほどに群がった無数の女子生徒たち。…………。
「(は……入りづれえぇ……!)」
数秒前と同じ感想を抱く俺。一組はヤバイという例の噂が、俺の中で急激に信憑性を増していく。
何がヤバイって、あの人垣のせいで教室の中なんてロクに見えやしないのに、もうすでに〝あの中にヤバイ奴がいる〟ことを確信させられていることだ。
そして俺は、直感的にあの女子生徒集団の目的が分かってしまった。おそらく、いやほぼ間違いなく、俺の幼馴染みと同じ人物目当てなのだろう。……しかし。
「(それにしたってこの人数はおかしいだろ。わざわざ昼休みに、しかもこの数の生徒が集まるわけがない。教室の中でなんか起きてんのか? くそっ、全然見えねぇ……)」
と、俺が少し離れた場所から、教室内の様子を確認できるタイミングを見計らっていた、その時だった。
『キャアアアアアアアアアアアッ!!』
「!?」
いきなり女子生徒の群れが、黄色い悲鳴を上げたのだ。その大音量と迫力に、俺は情けなくもビクーッ、と身を跳ねさせる。
いったい何事か、とわずかに空いた人垣の隙間を遠目から覗くと、どうやら衆人環視の教室内では、今まさに〝愛の告白〟が行われているようだった。
「――――こ、答えを聞かせてくれるかな?」
緊張に上ずった、女の子の声が聞こえてくる。どうやら告白を仕掛けたのは女子の方らしい。
人垣に紛れてよく見えないが、どうやら一年生ではなさそうである。他校生でもなさそうだから、上級生だろうか。
「――――先輩の想いは、とても嬉しく思います。ですが――――すみません。僕は、先輩とお付き合いさせていただくことは出来ません」
続いて聞こえてきたのはハキハキと通りの良い、それでいてどこか申し訳なさそうなトーンの男の声。相当なイケメンボイスである。
そして男の声の直後、再び鼓膜を突き破ってきそうな黄色い悲鳴が沸き上がった。俺は内心で「ぐえぇ」、と呻きつつ、それでもなんとか告白の行く末を見守る。
「そ、そう……それは……残念ね……」
「本当にすみません。でも僕は、学生の身で誰かと交際させていただくつもりはありませんので」
「ど、どうして……? 勉強が、そんなに大事なの……?」
生真面目そうな男の声に、涙声の女子生徒が問いかける。それはまるで、最後のあがきのようでもあった。
しかしその質問に、男は「いえ」と答える。
「学生の本分は勉強、とは言いますが、僕はそれが全てだとは思いません」
「それじゃあ……どうして? どうしてあなたは、誰とも付き合おうとしないの……?」
「……決まっていますよ」
男はわずかに間を置き、そして言った。
「将来、僕が心から愛する人に出逢った時、その人に胸を張って『貴女が好きだ』と告げるためです」
『――――ッッッキャアアアアアアアアアアアッッッ!!』
先程よりも倍以上の声量を伴って吐き出されたであろう黄色い悲鳴に、俺はいよいよ自分の鼓膜が心配になる。なんか今、めちゃくちゃ格好いい台詞を聞いたような気がするが、正直それどころではなかった。
「今の僕は勉強もバレーも、それ以外の全ても未熟な半人前です。だから、今のままで誰かと交際をさせていただくわけにはいかない。誰かとの交際に
男はもう一度「すみません」と告げ、そして深く頭を下げたようだった。彼の真摯な〝応え〟に、流石に周囲の女子生徒たちも口をつぐむ。
「こんな不甲斐ない、未熟者の僕を好きだと言ってくださって、本当にありがとうございました」
頭を下げたままそう言った男に、上級生らしき女子生徒がどう答えたのか、はたまた何も答えなかったのかは、俺の位置と距離からでは聞き取ることができなかった。
しかし、やがて人垣を縫うようにして一年一組の教室から出てきた彼女の表情は――――大粒の涙に頬を濡らしつつも、とても晴れやかなもので。
それを見た俺は、理由の分からない強い衝撃を受けてしまった。
「――――やっぱり格好いいな、
しばらくの間、呆然と立ち尽くしていた俺の耳に、どこかで聞いたことがある声が聞こえたような気がした。
すぐ隣に目を向けると、そこには俺の十年来の片想い相手――――
俺が隣にいることにも気付かず、まさに夢中で人垣の向こう側にいる人物を見つめる桃華。
俺はそんな彼女の視線を追って……恐らくは高校入学以来初めて、〝その男〟の姿を正面から見た。
高校一年生でありながら一八〇センチはあるだろう身長。制服の上からでも分かるほどに鍛えられ、引き締まった肉体。そしてなにより、まるでどこかの国の王子を連想してしまうくらい整った顔。
私立初春学園高等学校一年一組、通称〝特待組〟所属の学年次席入学生にして、バレーボール部期待のエース。
彼を見つめ続ける桃華の姿に、俺は当初の目的も忘れて立ち尽くす。
手のひらから滑り落ちた「新規アルバイト募集」の紙が、人垣の中に飲まれて消えていった。
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