第二編 隣のクラスの王子様
――――あの
アルバイト先であの衝撃的な話を聞いてから、早くも二日が経過しようとしていた。
その間、俺はふとした瞬間には
久世真太郎。
それは、クラスメイトの名前すら半分も覚えていない俺でさえ知っているような、学年一の有名人の名だ。
成績優秀、スポーツ万能。おまけに顔や身長、性格にまで恵まれているという、正に完璧超人というに相応しい男。
七月末に行われた前期期末試験では学年二位の好成績を叩き出し、特待生や成績優秀者で固められている一組の中で学級委員長を務め上げ、さらには他者からの推薦でしか立候補出来ない生徒会選挙の後期役員に、一年生ながら最有力候補として名が挙げられていたほどの人望の持ち主でもある。
所属している部活はバレーボール部。高身長と恵まれたフィジカルを活かして早くもレギュラーの座を勝ち取り、エースとしての活躍を見込まれているのだとか。
言うまでもなく異性からはモテモテで、クラスメイトや他学年の生徒はもちろん、時にはバレーの試合や体育祭での活躍ぶりを目にした他校の女子生徒や近隣に住まう女子大生、果ては学園に出入りする清掃のおばちゃんに至るまで、出逢った女性全員を惚れさせる特殊能力でも有しているかのごときモテっぷり。
その癖本人は「学生の本分は勉強」だと言い、今までただの一人とも交際したことがないのだと言うから手に負えない。それはつまり女を惚れさせるだけ惚れさせて、誰とも付き合わないせいで誰にも〝諦め〟をつかせない、ということなのだから。
――――と、後半の細かな情報については流石にこの二日間で新たに入手したものだが、あまり多いとは言えない俺の友人に軽く話を聞いただけでこの情報量である。それだけでヤツがどれだけの有名人なのか、嫌でも実感させられてしまう。
「(なんでよりによって、こんなハイスペック野郎に惚れちまうんだよ、
自分の性能が軒並み平凡であることを重々承知している俺は、〝想い人の想い人〟のあまりの高性能ぶりに、思わず大きなため息をつく。これでは万が一にも、俺に勝ち目などあるはずもなかった。
ちなみにここはバイト先の事務所。俺のあからさまなため息に、PC業務に勤しんでいた店長が「
「(実際……誰かに話したところでどうこうなる問題でもないしな……)」
そもそも今回の問題は、どれだけ悩んだところでどうしようもない話だ。
〝十年間ずっと一人の女の子のことが好きだった男〟が、しかし〝十年間でただの一度も女の子にアプローチをせず〟、そして〝そうこうしている内に女の子に好きな人が出来てしまった〟だけ。
つまり〝何かをした結果こうなった〟のではなく、〝何もしなかったから自然とこうなった〟だけ。今さらアレコレ悩んだところで、後の祭りなのである。
「…………はぁ……」
いつものように制服の上に深緑色のエプロンを着けながら、俺は再び、いや、あの日から数えれば何度目とも分からないため息をつく。
〝ため息をつくと幸福が逃げる〟とよく言うが、もしそれが本当だとしたら、俺は既に数年分の幸せを逃しているかもしれない。それくらいため息が癖付きつつあった。
身だしなみチェック用の姿見に映る自分も、心なしか先日までよりも幸の薄そうな、景気の悪い空気を纏っているように見える。
「小野っちー? 着替えたらちょっと話、いいかー?」
「……店長。俺なんかを雇ってたらこの店、たぶん潰れますよ?」
「えぇっ!? い、いきなりなんの予言!?」
「解雇するなら今のうちですよ? さもないと俺の不運に巻き込まれてこの店は……さぁ、どうします?」
「いや『どうします?』って言われても! い、いったいどうしたんだ小野っち!? 今日はなんか変だぞ!?」
店長が俺の醸し出すネガティブな空気に引いていた。だがそんなことは今の俺にはどうでもよく、更なるため息が自然と口からこぼれ落ちる。
「……どうやら、なにか深刻な悩みでもあるみたいだが……あたしなんかで良ければ話を聞いてやるぞ?」
「店長……」
「小野っち……」
静かに見つめあう、店長と俺。まるで姉と弟のような、いや、歳の差的には母と息子のような心温まる
「いや、いいっす。店長って仕事は出来るけどガサツだし、日々をテンションだけで生き抜いてるみたいなとこあるから、〝相談〟みたいなアタマ使うことは守備範囲外でしょう?」
「いきなり真顔で罵詈雑言吐くのやめてくれない!?」
「すみません。なんというか……うん、やっぱり店長はちょっと違うかなって」
「オブラートに包んだら包んだですっごい引っ掛かるな! なんだよもー! せっかくあたしが相談に乗ってやろうってのによー!」
PCデスクの上に突っ伏してブーブー文句を言ってくる店長。俺は別にこの人のことが嫌いではないし、むしろ周囲の大人の中では尊敬しているくらいなのだが……それでもやはり、身近な人間に〝恋愛相談〟なんて真似をする気にはなれなかった。
店長はしばらく「こっそりシフト増やしといてやるからなこの野郎」などと冗談か本気かの判断が難しい恨み言を吐いていたが、それが一段落すると、一枚の用紙を俺に手渡してきた。
「……解雇通知ですか?」
「いや違うから。なんなの今日の小野っち、なんでそんなネガティブなの? ……とりあえずソレ、目通してみ?」
「『新規アルバイト募集』……? へぇ、バイト増やすんですか?」
店長から渡された紙に記されていたのは、新たなアルバイトの募集についての文言だった。仕事内容や時給はもちろん、「明るくて楽しい、アットホームな職場です♪」などという定番文句まで書いてある。その下には、おそらく店長が手描きしたであろう、下手くそなケーキやドーナツのイラストがプリントされていた。
「今いるバイトの子が今年いっぱいで二人も辞めちゃうからね。引き継ぎも含めて、今のうちに募集しておかないと」
「なるほど」
「だから小野っちには、それ使って学校で勧誘してきてほしいんだよ」
「勧誘って……俺がですか? 言っちゃなんですけど、俺の交遊関係なんてめちゃくちゃ狭いですよ?」
「多くは望まないさ。顔が良くて、試験休み取らなくて、仕事が出来て、時給安くても文句言わない子なら誰でも良いよ」
「居ねぇよそんなヤツ」
俺は真顔でツッコミつつ、手の中の用紙にもう一度目を通す。
うちは店長が言うほど低時給ではないし、仕事内容もハードというほどでもない。
「……分かりました。何人か当たってみますね」
「おう頼むよ。出来れば英国王子風のイケメンがいい」
「だから居ねぇよそんなヤツ」
冗談冗談、といって笑う店長に嘆息する俺。面倒な仕事を押し付けられてしまった。
とはいえ、上司がこういう気楽な人であるというのは高ポイントかもしれない。少なくとも、仏頂面の頑固親父とかよりは余程マシだろう。賃金や業務も踏まえて考えれば、意外とすぐに人が集まるかもしれない。
「(……まぁ、どうとでもなるだろ)」
自分のロッカーに用紙を仕舞いつつ……このときの俺は、そんな風に考えていた。
★
結論から言えば、俺の考えは甘かったらしい。
バイト募集の話を聞いてから二日が経過したが、俺は未だに新たなアルバイト候補を見つけられていなかったのである。
考えられる原因は三つ。
一つ目の原因は、まぁこれは最初から分かっていたことではあるが、俺が声を掛けられる友人の絶対数が少ないということ。
別に必ずしも俺の友人や知り合いを勧誘しなければならないわけではないものの、流石に話したこともない相手をアルバイトに誘う勇気は俺にはなかった。
二つ目の原因は、個人経営の店ゆえに知名度が低いということ。
大手のチェーン店などであればそれなりの信頼と実績があるだろうが、うちの店はそうじゃない。どちらかといえば〝隠れ家的な居心地のよさ〟を売りにした店だ。
俺はあの店のそういう雰囲気こそを気に入っているのだが……しかしその知名度の低さゆえに、〝ここでバイトしたい!〟と思わせられるほどの魅力に欠けているところがある。
そして三つ目は、
部活動にも委員会にも所属していない俺が声をかけられるのは、言うまでもなく同学年の生徒だけなのだが、なにせ今は一年生の十月。入学から半年が経過した頃だ。
クラブに入った生徒は部活をしているし、そうでない生徒もアルバイトや習い事に精を出している。つまりほとんどの生徒はある程度、〝放課後の過ごし方〟が確立してしまっているのだ。
夏休み前や冬休み前ならもう少し可能性はあっただろうが、この中途半端なタイミングで俺の勧誘を受けてくれる奴なんているはずもなかった。
「(参ったな……一人も捕まえられませんでした、なんて、店長に顔向け出来ないぞ……)」
別にこの程度のことでうちの店長は怒ったりしないが、アレでも俺が尊敬している上司だ。この半年間、何度オーダーミスをし、何枚皿を割ったか分からない俺のことを、それでも笑って許してくれた人だ。
これまでの恩義に報いるために、なんていうと大袈裟過ぎるかもしれないが、それでもせめて一人くらいは――――と、そこまで考えた俺の脳裏に、とある可能性が一つ浮かんだ。
「……賭けてみる価値はある、か……?」
俺は小さく呟きつつ、自クラスの黒板上にかけられた時計に目を向ける。今は昼休みを半分ほど過ぎたくらい。まだ時間は十分にある。
昼食を摂るクラスメイトたちの机を横切り、一年三組の教室を出て俺が向かった先はすぐ隣の教室、一年二組だった。
うちの学校は休み時間であれば他のクラスへの出入りも自由なため、俺は自然な顔をして――――内心では知らない生徒だらけのアウェー感に冷や汗をかきつつ――――、目的の人物の机を探す。
「――――あれ、小野じゃん。何してんのアンタ」
「ゲッ、
「ゲッ、ってなんだよ」
突然横からかけられた声に振り向くと、そこには軽く染めた茶髪に小さめのピアスをした女子、金山やよいが立っていた。今日は私服の日らしく、丈の長いパーカーのポケットに片手を突っ込みつつパックの豆乳を飲む姿が妙に格好いい。
俺は子どもの頃から彼女に苦手意識があり、出来れば遭遇したくなかったのだが……。
「……ふっ、見つかってしまったものは仕方がない」
「ドロボウか、アンタは」
「俺のことは気にしなくていいから、構わずそこで
「豆乳だよ。豆汁とか
「構わずそこでオカラの生き別れにとどめを刺していてくれないだろうか」
「人聞き悪すぎるわ。いやたしかにオカラの生き別れかもだけど」
意外とノリ良く突っ込んでくる一応幼馴染みの女子は、「で?」と話を切り替えてくる。
「ほんとに何してんの、アンタ。
「いや、まぁ……人探しを少々」
「探偵か。あー、要するに桃華に用事ってことね?」
「な、なんで分かる!? お前こそ名探偵か!?」
一発で俺の目的の人物が桃華であることを見抜かれて動揺する俺に、金山は「そりゃ分かるわ」とため息をつく。
「
……言われてみれば、確かにそうだった。俺は二組どころか、他のクラスに友人などほぼいない。
そう、俺がこのクラスに来た目的は、桃華をアルバイトに誘うためだった。彼女が先日の来店時、バイトをするかどうか迷っていたのを思い出したのである。
もちろん「桃華と同じバイトが出来れば……」という下心がないとは言えないが、それを抜きにしてもこの現状では桃華以外の選択肢など、もはや俺には思い浮かばなかった。
つまりこの教室こそが、最後の砦なのである。
「――――まぁ、とりあえず言っとくと、桃華は今ここにはいないから」
「……えっ?」
予想外の言葉に、俺は思わず間抜けな声を出してしまう。……どうやらこの教室は最後の砦ではないらしかった。
「……えっと、じゃあ桃華はどこに……?」
「隣だよ、一組」
言いながら親指で教室後方の壁――――その向こうにある一年一組の教室を指す金山。
どうして桃華が一組に……? という疑問は、すぐに彼女の口から出た答えによって解消された。
「今日も飽きずに、隣のクラスの王子様を見に行ってるみたいだよ」
それを聞いて俺はハッとして、気付く。
一年一組――――特待生クラスは、あの久世真太郎が在籍するクラスであるということに。
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