失恋の詩~Lost Love Lyrics~

茜ジュン

第一編 初恋の終わり

「ずっと前から好きでした。私と付き合ってください」


 ――――彼女は真剣な瞳でそう言った。

 いかにも彼女らしい、勘違いのしようもないほど、ドストレートな告白だった。今時こんな古風な告白をする奴が他にいるだろうか。これほど真っ直ぐに好意を伝えられる奴が、他にいるだろうか。

 少なくとも、ひねくれ者の俺にはとても真似の出来ない告白だった。

 彼女の頬は、真っ赤に染まっている。

 ここが雪の降りしきる学校の屋上であることを考慮しても、まるで足りないくらいに。

 緊張しているのだろうか、その肩はふるふると震えているように見える。

 対して俺は、灰色に染まった空を見上げて息をつくばかりだ。

 今日はなんだか、朝から体調が優れない。


「――――答えを聞かせてくれますか、真太郎しんたろうくん」


 彼女の綺麗な声が耳に届いた。どうやら、早くも告白は佳境にあるらしい。

 短いものだ。いや、現実は案外こんなものなのだろうか。

 ドラマや映画だったら「告白」の二文字だけで一時間、なんなら二時間でも三時間でも話を引き延ばせそうなものだが、実際の内容的には「好意を伝える→答えを聞く」というだけの単純な行為。一時間どころか数分で終わったとしてもなにも不思議ではない。

 などと益体もないことを考えて、俺はもう一度息をつく。腹の底から息を吐き出すと、妙な空腹感に襲われた。

 そういえば、今日は朝からなにも食べていなかったな。


「――――ありがとう」


 男はそう答えた。

 おいおい、たったの五文字かよ。その女が今日の告白のためにどれだけ頭を悩ませたと思ってる? どれだけ、お前を想ってきたと思ってる?

 お前の答えは知っている。だからせめて、もっと真剣に応えてやってくれ。そいつの想いと正面から向き合ってやってくれ。

 じゃないと、報われないだろう。

 そいつの恋も、そして――――


「君の気持ちを、心から嬉しく思う」

「真太郎くん……」


 ――――ああ、畜生。

 屋上の片隅で、彼らの死角で、俺はブレザーの胸を乱暴に掴んだ。

 彼らは気付きもしないだろう。ここに俺がいることになど。

 当然だ、気付けるはずもない。他でもない俺自身が、そんなことは許さない。

 それでも、どうしても考えてしまうのだ。

 ――――もし告白されているのが俺だったら、どれほど嬉しかっただろう?

 ――――もし応えているのが俺だったら、どれほど幸せだっただろう?

 分かっている、こんなものは無意味な妄想だ。そんな可能性など、一年前のあの日にとっくに粉砕されている。

 それでも、考えてしまうのだ。脳が勝手にそんな夢物語を思い描いてしまうのだ。

「女々しい」と、あの毒舌女だったら嘲笑わらうだろうか。嘲笑わらうだろうな。嘲笑わらうに決まっている。

 それでも。


「――――――――」


 冬の屋上、告白は佳境。

 そんな中、俺は胸の奥に走る激痛をこらえ、みじめったらしく縮こまる。

 これほどの痛みは、〝あの時〟以来だろうか。

 思えば、あの日がすべての始まりだったのだ。いや、すべての終わりだった、というべきか。

 少なくとも、俺にとってはそうだった。

 なぜなら俺の〝初恋〟は間違いなく、あの日に終わりを迎えたのだから。




 ●失恋の詩 ~Lost Love Lyrics~●




 優しくて、元気が良くて、そして何より可愛い女の子。

 それが桐山桃華きりやまももか――――俺の幼馴染みたる少女だった。


〝幼馴染み〟といっても、俺と彼女は別にそれほど深い関係ではない。ただ家が近くて、幼稚園が同じで、そのまま同じ小学校へ上がっただけのこと。そのくらいの相手なんて、誰にだって一人や二人はいるだろう。

 ましてや俺達が育ったのは同年代の子どもが多い住宅街。〝幼馴染み〟というべき相手なんて十人はザラにいる。

 ゆえに俺と桃華の関係性は、言うなれば〝ちょっとだけ親しい同級生〟でしかなかった。一緒に遊ぶ機会なんてそれほど多くはなかったし、フィクションの世界のように〝互いのすべてを知り尽くした関係〟なんてこともない。


 そもそも俺と桃華では釣り合いがとれていなかったのである。

 優しくて可愛い彼女はいつだってクラスの中心にいたし、彼女のことを好きな男子なんていくらでもいた。

 対する俺は仲の良い友達なんて両の指があれば数えられる程度だったし、良くも悪くも地味だった。

 別に桃華は〝学年のアイドル〟のように別格の存在というわけではなかったし、俺も彼女とまったく話せないというわけでもなかったのだが、それでも子どもなりの格差がそこにはあった。

〝普通に人気者の桃華〟と〝普通に地味な俺〟。

 幼馴染みながら、歳を重ねるごとに俺と彼女は関わりが少なくなっていった。


 その一方で、俺の桃華への想い――――恋慕は、歳を重ねるごとに大きくなっていった。

 いつから好きになったのか、なにがきっかけだったのか、なんていちいち覚えちゃいない。ただ幼稚園の年長組の時、ふと気付けばもう彼女のことが好きだった。初恋のエピソードなんて案外そんなもんだろう?


 ただ、俺が〝普通〟じゃなかったのは、その初恋がいつまで経っても終わらなかったことだ。

 子どもの頃の恋なんて、クラス替え一つで気移りしたってなにもおかしくない。もしかしたら席替え一つで好きな子が変わるなんてこともあるかもしれない。

 でも、俺はそうではなかった。

 クラスが離れても変わらず桃華のことが好きだった。席替えで桃華と同じくらい人気者の女の子が隣の席になっても、やはり桃華のことが好きだった。

 地元の中学校に上がってもそれは変わらなかったし、友人が芸能人やアイドルの話題で盛り上がっていても「桃華の方が魅力的だ」と感じていた。

 良く言えば一途、悪く言えば粘着質。それが俺の桃華への想いだったのである。


 とはいえ、別に俺は桃華に想いを告げたこともなければ、告げようと思ったことさえなかった。

 もちろん〝ずっと影から見ている〟みたいなストーカーじみた行動をとったこともない。視界の端に入れば目で追ってしまう程度で、彼女が誰と仲が良いのかすら知らなかった。


〝幼馴染み〟として中途半端な親しさがあったのが原因かもしれない。中学に上がってからはほとんど話す機会もなかったのに、それでも「俺は他の奴よりも桃華と仲が良い」という謎の自信があったから。

 また、桃華に色恋沙汰の噂がなかったのもそれに拍車をかけた。

 自分がなにか行動を起こさなくても、「まぁ他の奴も起こしてないしな」と逃げることが出来てしまったのである。


 総じて、俺の桃華に対する十年間の片想いは、特になんの浮き沈みもなく、〝ただ一途に好きなだけ〟だった。

 特別関係性を進展させるイベントもなければ、かといって恋が終わってしまうような〝なにか〟もなく。

 強いて言えば、俺と桃華の進学先が同じ高校に決まったと知った時はうっかり〝運命〟なんてものを信じそうになったが……それだって、成績の良い彼女が滑り止めで受けた高校と、平凡な成績の俺がちょっと背伸びをして受けた高校が偶然一致したに過ぎない。

 だから結局は、高校に入ってからのこの半年間も彼女との関係性が進展するようなことはなかったし、俺も勉強やアルバイトに追われ、恋愛にうつつを抜かすことなど出来なかった。


 そして高校一年生の十月、つまり現在。

 やはり俺は、桃華に対する〝ただ一途に好きなだけ〟の恋を継続しているのだった。


「(……我ながら無意味な恋だよなぁ……せめて玉砕覚悟で告白でもしてみりゃ、得るものもありそうなもんなのに。たとえそれが成功でも失敗でも)」


 バイト先である喫茶店のロッカールームでそんなことを考えながら、俺はエプロンの紐を後ろ手でキュッと結んだ。

 身だしなみチェック用の姿見を見れば、そこにはいかにも平凡な外見をした高校生が立っている。

 胸につけている名札には〝小野悠真おのゆうま〟と印刷され、高校の制服の上から深緑色のエプロンを装着している姿はいかにも〝学校帰りの喫茶店アルバイター〟そのもの。

 高校に入ってすぐ、「なんか格好良さげだから」という舐め腐った理由で始めたこのアルバイトも、半年が過ぎた今となってはなかなかに様になりつつある気がした。


「(今日は平日だし、客も少ないだろうな)」


 そう考えながらロッカールームを出て店内を軽く見回したその瞬間、俺は思わず身体を硬直させた。

 想定していた通り、店内に客の姿はかなり少ない。うちの喫茶店は席数こそ多いが、別に人気店というわけでもないため、基本的に平日に来店するのはごくわずかな常連だけ。

 しかし今日は違った。いつもの常連客の他に、カウンター側から見て奥の席、窓際に位置するテーブル席に、二人の女子高生が腰掛けていたのである。

 もちろんここが喫茶店である以上、それ自体は別に驚愕するほどのことではない。

 問題はその二人のうち、一人の少女だった。


「も……桃華……?」

「えっ?」

「あっ」


 思わずその少女の名前を声に出してしまい、それに反応して当の本人がくるりとこちらへ顔を向ける。しまった……と悔やむも、もう遅い。


「悠真!? えーっ!? なに、ここでバイトしてたの!? ぜんぜん知らなかったよー!」

「お、おう、まぁな」


 相変わらず元気の良い少女――――桐山桃華の昔から変わらない姿に、俺は自分の顔が赤くなっていないことを祈りつつ、テーブルにお冷やとメニュー表を出しながら無愛想に応じる。


「わ、ほんとだ。小野が喫茶店とか、なんか意外。というか、あんま似合わないな」


 ドストレートに失礼なことを言ってくるもう一人の女子は金山かねやまやよい。俺や桃華と同じ住宅街に住まう、まぁ一応は幼馴染みだ。

 とはいえ彼女は典型的な〝気の強い女子〟であり、桃華と違って俺のことを名字で呼んでいることからも分かる通り、あまり親しい間柄ではない。同じ〝幼馴染み〟でも十人十色なのである。

 そして金山もまた、俺達と同じ高校に進んだうちの一人だった。

 俺達の高校は普段は私服通学可なのだが、今日は二人揃って制服姿。まぁ毎日私服を考えるのも面倒だろうし、かくいう俺もこの半年間のほとんどを制服で通学している。


「えへへ、なんか悠真と話すの久し振りだねぇ」


 無邪気な笑顔とともに、桃華が言う。


「確か悠真は三組だったよね? 最近どう?」

「まぁ、普通だよ。バイトばっかりしてる感じだ」

「あはは、確かに普通だー。といっても私はまだお小遣い暮らししてるけど」

「青春時代にバイト尽くしってのも大概だけど、アンタはアンタで少しくらいバイトしなよね。満足に遠出も出来ないじゃん」

「だってぇー」

「だってじゃない。アンタ部活もしてないくせにバイトもしなかったら半分ニートだよ?」

「そんなぁ!? 学生の本分は勉強なのに!?」


 そんな他愛のない話をしている間も、俺はそわそわと落ち着きがなかった。

 目の前でコロコロと表情を変える桃華を見ていると、やはり自分は彼女のことが好きなのだと再認識してしまう。

 話す機会が激減した今になってもなお、こうして会えば昔と変わらず接してくれる。俺は彼女のこういうところに心底惚れているのだろう。

 いつか彼女と毎日こんな風に話せる日が来れば、どれほど幸せだろうか。

 今すぐに、なんて性急な話は無理だとしても、この先、少しずつアプローチしていけば、あるいは――――


「――――ねぇ悠真、注文いいかな?」

「えっ。あ、あぁ」

「アンタ、仕事中に上の空とかやる気あんの?」

「わ、悪い」


 いつの間にかメニューを開いていた二人に声をかけられ、俺は慌てて注文伝票を取り出す。

 そして二人から飲み物と簡単なデザートの注文を受けると、気恥ずかしさからそそくさと逃げるように厨房へと引っ込んだ。

 普段は業務中に集中力が途切れることなどあまりないのだが、今日ばかりはそうはいかないらしい。


「(いかんいかん、心を乱すな。平静を装え、俺)」


 偶然の喜びに舞い上がって粗相をしでかすことなどあってはならない。なにせもしここで桃華がこの店を気に入ったりすれば、彼女が常連客になってくれる可能性もあるのだ。

 ……いや、現状バイトもしていない彼女が、そこそこ値の張るうちの店に頻繁に来る姿は正直想像出来ないが。


「おーい、小野っち。これ、七番さんに持ってってくれ」

「あ、はい」


 店長に呼びつけられ、俺はブラックコーヒーとケーキ数個の載ったトレンチ片手に厨房を出る。

 途中、俺のウェイター姿に桃華と金山がニコニコニヤニヤした視線を向けてきていることに気が付いたものの、そこはこの半年で身に付けたなけなしの営業スマイルで華麗にスルーだ。……スマイルは抜きだが。

 そして向かう先は店内の一番奥まった位置にある二人掛けのテーブル席。そこに腰かけている常連客の一人の側に立つと、俺は慣れきった文句を口にする。


「お待たせ致しました。ブラックコーヒーと季節のケーキセットでございます」

「……どうも」


 俺と同年代くらいに見える常連の女性――――といっても常にサングラスとマスクを身につけているせいで正確な年齢は判然としないが――――は、手にしている小説らしき本からほんの一瞬だけ顔を上げてそう返答し、そしてそれ以上はなんの用もないとばかりに、本の世界へと戻っていく。

 俺とて不必要に客に絡む趣味はないため、「ごゆっくりどうぞ」という定型文と一礼をし、すぐに席を離れた。


「おぉー、こなれた一礼だな」

「〝ごゆっくりどうぞ〟だって、なんか格好良いね」


 女子二人がニコニコニヤニヤした顔のまま冷やかすように言ってくるが、俺はやはりそれを華麗にスルー。……桃華の「格好良いね」だけは心に刻み込んでおくことにする。


「……でもやっぱりいいなぁ。私もバイトしようかなぁ」

「だからそうしなって前から言ってんじゃん。それにアンタ、これから絶対お金必要になるんだからさ」

「うっ……や、やっぱりそうなのかなぁ?」

「そりゃそうでしょうよ」


 厨房へ戻る俺の耳に、遠巻きながら意味深な会話が聞こえてくる。

 そして俺がなんの話だろう、と疑問に思うよりも早く、金山があっさりと、衝撃的な一言を口にした。


「あの久世真太郎くせしんたろうと付き合いたいって言うなら、それ相応の努力をしないとね」

「……………………えっ……」


 俺は思わず立ち止まり、そして半分無意識に桃華の方へと視線を向ける。

 その先に居たのは頬をうっすらと赤く染め、どこか憂いたような瞳をした――――俺がこの十年間で一度も目にしたことのない、〝女の顔〟をした桃華の姿。

 それを見た瞬間、俺の中でなにかが崩壊していく音が聞こえたような気がした。



 第一編 初恋の終わり

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