第10話  決 断

 高血圧で長い間、降圧剤をのみつづけてきたので腎臓の血管がじゅうぶん

動脈硬化にやられている。服用を中止すればそれから数日のうちに、加齢による

心筋梗塞(こうそく)か脳溢血か何かを覚悟しなければならない──自分でそう思う。


 (脳梗塞や脳出血)

 脳の血管に狭窄や閉塞が起こり脳を巡る血液が不足して、脳細茅に充分な栄養や酸素が送られなくなる病気。原因となるのは血栓やアテロームと呼ばれる血管内の重積物で動脈硬化によって発生する。心筋梗塞や心筋症など心機能や血流量の低下で発生する脳虚血が脳梗塞の原因となる。

 身体の麻痺・感覚・運動・意識・嚥下障害など日常生活に支障をきたす症状が現れる。 脳内から出血するために頭痛がひどくなり片麻痺や嘔吐、意識が混濁する。

降圧剤は血圧を下げるための重石で、薬をやめると血圧は高くなる。医師の指示に

従い薬を服用することが大切とある──。


 命を終わりにするには薬をのみ忘れればよい。

彼は飲み終えたようにケースから三日分の薬を取り出して一週先の仕切りに入れた。すぐには飲み遅れていると気がつかれない方法だ━━誰かが残りを正確に数えればわかるけれども。

『どっちが先に逝っても、三回忌までは生きて法事を行い、仏様になる魂の面倒をみてあげること』それが信心深い芳子さんと昭男さんとの約束だった。

 自分の方が短かいと思ったのに、隠れていた肺のリンパ系癌腫が増殖して、

彼女の方が先に逝った。

『あなたが先に行くと、方向音痴は道がわからんだろうから……あなたがお坊さんと一緒にお経をあげてください。冥土で待っているから、道をまちがわないように来てください……』

心底がわからないゆがんだ表情で病床の芳子さんが言った。

  

 芳子さんが生きていれば、生きたい意義を感じたが、いなくなると、あれほどあと二年、三年でも生きたいと思ってたのに生きる意義をなくした。

年をとると、肉体的な苦しみから逃れられるというが、精神的な悲しみや苦しみも消えてしまう……忘れっぽくなるのだ。


 畑の周りに、キクイモの球根を植えたら全部、芽が出て、サトウキビのような

背の高い植物になった。糖尿病の薬として江戸時代から愛用されてきた庶民の薬、

健康診断で血糖が高いといわれた芳子さんに、キクイモがよいと聞いて植えた。

横にも縦にも大きな葉がついて、伸び上がるように育って、暗くなるほど畑を覆っている。地下にはイモが沢山ついているだろうが、食べてもらうひとはいなくなった。

 

 ボンヤリ、生きていたくない……もう、脳がこわれはじめている。

芳子さんが教えてくれた冥土の花畑へは、どう行くんだったっけ……?

もっと、忘れてしまうかもしれない。三回忌の約束は守れた。

もう、このくらいでボクも逝きたい。


 キチンとやったから、もう終わりにするよ──このまま生きていると、あなたのことまで忘れてしまう……と昭男さんは思った。

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