雑記41:『君たちはどう生きるか』の感想

見てきました。

鑑賞前は実はちょっと疑心暗鬼ぎみでした。

というのも、視聴済みの人の反応をちょこちょこ目にするとなんだか賛否両論というか、面白いのかどうなのかはっきりしない感じだったので。笑


で、見にいった私の感想は

「これは賛否両論になるわw」

でした。笑


こっから先はネタバレがあります。

私の意見としては、見にいこうかな?と思ってる人はこの先を絶対見ないでほしいです。

なぜならこの作品は広告を事前に一切出さずに公開された作品です。そこには制作側の意図があるし、何の前知識もない状態で見れた私は最高に楽しめたので、ぜひ事前情報を一切入れずに見にいってほしい。


一つ忠告する事があるとすれば、この作品は"創作者"のための映画です。

トトロとかポニョとかを期待している方が見て楽しめるか、私は自信がない。

でも私は嬉しかったんです。宮崎駿監督が創作者のための映画を作ってくれた!と歓喜しました。

どうか最大限にこの映画を楽しみたい方は、この先を読まずにまずは映画を見にいってほしい。

様々な考察ができる作品だと思うし、私の解釈が合っている保障なんてどこにもありません。

だからこそ、まずは誰の意見の一切を入れずに見てほしい作品だと思いました。でないともったいない。


その上で、私個人として思った感想をつれづれと書いていこうと思います。








-------------------------ここからネタバレあり---------------------------------








まず出だし、おぉ~引き込む演出!となりました。

階段駆け上がる疾走感、熱い炎の演出。表現ってこうやるんだな~、冒頭で引き込むってこうするんだ…と感服いたしました。


そして戦火から逃げるように田舎へと疎開する父子。

父は再婚をして、新しい母親のお腹には半分しか血の繋がらない兄弟がいる。

聞き分けの良い主人公の真人。きっと育ちがいいんでしょう、きちんと挨拶をして、新しい母の体を気遣い、良い子にしている。

でもそんな目まぐるしく変わる周りの環境が、幼い少年にとって何のストレスもない訳はなく…。

あなたの新しい母親よと言われ、見知らぬ女の人の膨らんだお腹に触るのは抵抗があっただろう。実母とよく似ている女を父親が選んだ事も複雑な心境がある筈。新しい家族の中で自分だけが血の繋がりの薄い家族になる、という疎外感もあるだろう。

あなたなんかいなきゃいいのに、とナツコに言われるシーンがあるのは、そう言われる事を真人はずっと恐れているからだろうなと思った。

でも父親は新しいこの家で上手くやってくれる事を願ってて、真人もそれに応えたいんだと思う。だから聞き分けよく、良い子にする。


でも学校では都会っ子でいけ好かないと思われたのか、いじめられてしまう。

そのいじめられた直後に自分で怪我を酷くしたのは、この子は本当に頭の良い子なんだなと思った。同時に子どもらしい、とも。

流血沙汰の酷い怪我をすれば、きっとこの先学校に行かずにすむ事を分かってたんだろう。どうせ戦争が終わればまた東京に戻るのだから、ここの土地の奴らと慣れあう必要なんかない。

それと同時に、自分が酷い怪我をすれば父親がすっ飛んで帰ってくるか試したようにも思った。案の定、すっ飛んで帰ってきてくれて、真人は安堵したんじゃないかと思う。父にとって自分が未だ心配に値する子どもであるんだ、と。

新しい母が嫌いだったかと言えば、そうじゃないと思う。怪我をした時に父と同じように心から心配してくれたナツコの事や女中のばあや達の事も、同時に愛おしく思うきっかけが出来たと思う。

だからこそちょいちょい、自分のピンチを救いにくる人達として思い描いているし。

でもやはり実母への未練はあるし、腹にいる赤ん坊が生まれたら自分の立ち位置は変わってしまうかもしれないという不安もある。

そんな中で、真人はだんだんと空想の世界に入っていくようになる。


で、この空想という名の虚構がだんだんと現実に侵食してくるところ、ファンタジー好きにはたまらないですね。

ふとした瞬間の空想を具現化してるんですよね。誰でもやるよね、こういう遊び。

他の人には見えない、自分だけの世界。もう児童文学的な感じが好みでたまらなかったw


そしてだんだんとこの辺から、これって「創作者」に向けて言ってるんじゃないか?という想像がむくむくと沸きまして。

で、そう思っちゃうともう、全部の台詞が宮崎駿監督から創作者に向けて言ってる台詞に聞こえてくるんですよw

「あなたは選ばれたんだ」みたいな事をアオサギが言うんですよ。

選ばれた人っていうのが、私には「あなたは創作者だから」に聞こえる。「消費者」の人達には見えないし、分からない。

それが反対側からは見えない扉で、明確に両者を隔てる壁があると言っているように聞こえてw

話の序盤で観客のほとんどをふるい落としにかかってないか?と思えてしまってw


もちろん、度々演出として目を引くものを入れてくれるので、映像作品として見てて面白いシーンもあったりする。

「俺が奴らの目を引いている隙に!」とかの台詞が、「その間に先に進め」「話を進めろ」「好きなものを作れ」と勝手な台詞が脳で補完されてしまうw

消費者の目線として見ると、話は結構支離滅裂で場面が飛んでるように思えると思うんです。まるで夢の中にいるみたいな感じで。

実際、鑑賞後に「よく分からなかった」と言っているお客もちょこちょこいました。

それはその筈で、この作品は考察したり想像力を働かせる事を大前提に作られた作品だと思う。


主軸のストーリーとしては真人の葛藤と成長物語として、現実から空想世界に逃げこんで、また現実に戻ってくる話になってたと思うけど、

私の目には全編通して宮崎駿監督が創作者に対して、創作する事について自分の半生やらを振り返りながら語りかけてる作品に思えてならなかった。

そして事前宣伝をまったく打たなかったのも、「創作者なら何も言われずとも作品から読み取れ。全部見せてるでしょ?」と言われているような気がしてならなかったw

だから消費者としては「よく分からん」という感想になるのじゃないかな、と。

「選ばれた人」しか見れない作品なんだと思う。


もちろん私も考察が及ばなかったり、全てを理解できてる気はしない。

今言ってる事もまったくもって的外れな可能性もあるけれどw

でもそういう目線で見た時、私は作中に何名か宮崎駿の姿を見たように思う。

キクコさんだったり、賢者みたいなお爺さんだったり、真人だったり。

逆にアオサギは今までのジブリ作品のキーマンに思えた。

トトロだったり、ポニョだったり、カオナシだったり、カルシファーだったり。アシタカでもいいんだけど。

その作品を作った時に、最初に拾い上げた大切なキャラクターで作者の相棒。

自分の半身だし、自分自身でもあると言われてるようなシーンもあったように思う。

そいつと共に歩んでいくんだよ、と。


で、一番心に残ってるシーンはおじいさんが積み木をするところ。すこーしだけそれをつついて、「これで世界は1日救われた」と言うシーン。

創作者がやっているのはこういう事だ、と言っているように思えてなんだかジーンときてしまった。

真人は「たった1日だけ?」と言うんだけど、本当は世界の均衡ってとてもバランスを取るのが難しいもので、物語はそんな世界の中でもう1日だけ生きてみよう、と思わせるだけのわずかで大きなものなんだと言っている気がして。

どんな気持ちで宮崎駿監督が今まで作品を作ってきたのかを考えて感動してしまった。


色んな鳥が出てくるのは、鳥=自由の象徴なんだろうか?と想像が膨らんだりした。空想は自由だ、と言われてる気がした。

でも空想世界から現実に戻ってくる時、真人達は鳥の糞尿にまみれるんですよ。現実はこんなにも醜いぞ、と。

それでもそんな鳥をナツコは可愛い、と頬ずりするし、家族は汚れた体で身を寄せて抱き合います。

空想世界の方がもっと綺麗で、自由がきいて、思い通りにできる。でも汚くて苦しい現実世界だって必要不可欠なものだとも思う。

何故なら空想世界に出てくる人物達だって、結局のところは現実と繋がっているから。

空想の世界の事を、どうせいつか忘れちゃうけどな、とアオサギは言います。でも持ち帰ってきたものも真人には確かにあって。


現実に戻って、2年が経って、東京に帰る事になって、真人は誰の世界にもあるという空想の塔のある家から出ていく。

真人は選ばれた人で、「創作者」です。

忘れてしまう事も、忘れないでいる事もできる。


では、

「君たちはどう生きるか」

宮崎駿監督に言われている気がしてならなかった。

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