第29話 お嬢と顧問とコーヒーと
「入るぞー」
電気ポットを持った顧問が入ってきた。美咲は喜んだ。
「あ、電気ポット!日本茶が飲める」
「家で使ってたやつだが、新しいのを買ったからここに置いとく。自由に使いたまえ。練習はどうだ?順調か?」
微睡は自分の歌が順調ではないので、答えに困った。
「いや、そうだな、さっき譜面を渡したばかりだから順調もなにもまだわからんな。失礼。小清水はずっとヘッドフォンをしているのか?一度音を聞かせてくれ」
真知子は座ってコーヒーを飲みながら演奏を聴いた。
小清水は譜面通り完璧に弾いた。
「うん、さすがだな。次、ギター」
亮もなんとか譜面通りに弾いた。
「よし、次は微睡。ギターに合わせて歌ってみろ」
微睡は注目されながら下手な歌を聞かれるのが恥ずかしく、その歌声は小さかった。
「今歌ってて楽しかったか?」
「いえ…恥ずかしくて…」
「自信は持たなくても良い。楽しめ。そんな小声で歌っても楽しめないぞ」
「は、はい」
困った。楽しめと言われても、亮に下手な歌を聞かれるのは恥ずかしい。どうしても声が小さくなる。
「よし、ピアノとギターだけで合わせてくれ」
真知子は眉間に皺を寄せながらコーヒーを飲んだ。
「もう一度、
コーヒーを飲むのをやめ、机を人差し指でトントンと叩きながら聴く真知子。
演奏が終わると、
「小清水、ピアノの音が強すぎる。音が大きいという意味では無いぞ。自分の存在を主張しずぎだ。他の楽器と合わすのは初めてか?」
「はい」
「ずっとやっていれば自分で気付くのかも知れないが、練習期間が短いので言わせてもらうよ。単独で弾いているときは心地よい音だったが、今のはギターの音をかき消そうとしているようで、聴いてる者には不快でしかない。もっとバランスを考えろ」
カチン。小清水は音コン入賞のプライドが傷付いた。
「ふ、不快ですか?せ、先生に私のピアノの何がわかるんですか?音楽に関しては私のほうが優秀です。先生は素人じゃないですか、音を語るとか…」
「ちょ、ちょっと、お嬢」
慌てて美咲が制した。
真知子は淡々と続けた。
「構わないよ。そうだ、私は素人だ。しかしその素人が不快に感じる音を出していることをどう思う?自分の音にプライドを持つのは良いことだ。だが、それだけではいずれ行き場を見失うぞ。そこをよく考えて答えを見つけろ。
真知子は怒ることなく静かに言った。
小清水は悔しさに顔を赤くして黙り込んだ。
亮は聞いた。
「先生、もしかして音楽やってたんですか?」
「いや、近しい人がやっていたが、私は聴くだけだった。素人だよ」
近しい人って元カレだろうなあ。
「おかげでコーヒーの味で音の良し悪しが分かるようになったよ。良い音を聴いてるときのコーヒーは実に
微睡は元カレの前でコーヒーを飲みながらキーボードを聴いている真知子先生の姿が目に浮かび、なんだか申し訳なくなった。
「すいません。私の歌でコーヒーを不味くしてしまって」
「ん?微睡、君はずっと楽器をやってきた小清水や日之池とは違うぞ。声を出して楽しんで歌ってる姿を生徒会に見せてやれ」
「はい、ありがとうございます」
「では職員室に戻る。御前浜、あとで動画の…特に音声を小清水に聴かせてやってくれ。落ち着いてからな」
真知子は部室の扉を半分開けたところで思い出したように言った。
「あ、肝心なこと言い忘れた。その簡易ベッド、私専用だからな」
扉が閉まる。部室は静まり返っている。
「私、ちょっと外に行ってきます…」
亮と微睡は美咲に目配せをした。美咲は頷き、
「あたしも行くね、良いよね?」
「はい」
小清水と美咲は出て行った。
「先生、厳しいことも言うんだね」
「びっくりした。顧問らしいこともするんだなあ。ちゃんと俺たちのこと考えて、何かを伝えようとしてくれてる感じがした」
「私は大丈夫なんだろうか」
目の前で小清水と先生が言い合うのを見て微睡は動揺していた。
「美咲さんが居るからわざと下手な歌い方してるというわけじゃないの?」
「違うんだ、…下手なんだ」
「じゃあ寝ながら聴いて完コピしたほうが楽しめるんじゃないか?」
「いや…亮、このまま続ける。完コピしたら私は今までと変わらない。それは嫌だ。もし迷惑じゃなかったら歌の練習に付き合ってくれないか?」
「いいよ!でもひとつだけ、恥ずかしがらずに大きい声出してくれる?」
「わかった、頑張る」
そして恐る恐る亮の袖を引っ張り
「ちょっと落ち着きたい。この前聴かせてくれたANJIを弾いてくれないか」
2人だけの部室に亮の弾くANJIが流れた。
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