第3章

第1話




「ふわわ。……おはようございます」


「え。急にどうしたんですかあ。いきなり挨拶を始めてえ。怖いですよお」


「いつもの癖で」


「へんな癖ですねえ」


 五日目の朝。

 時刻は五時四十五分。

 僕はそれを時計も見ずに予測すると、いつものように挨拶をした。

 あくびが出てしまったのは、あれから一度も寝ることはなく話をし続けたからか。


 途中で眠くなった時はあったが、今はそれを通り越して元気になってきた。

 一昨日はすぐに寝た今湊さんも、全く眠そうではなさそうだ。

 隈が出来るほどではないし、今日は寝なくても何とかなるだろう。


 少し頭が重いような気がするけど、多少のパフォーマンスが落ちるぐらいだから問題は無い。

 僕は別に頭を使うことは無い。

 緋郷の補佐が出来れば、それだけでいいのだ。


 もう一度大きなあくびをすると、目の前にまだ座っていたりんなお嬢様が口元に手を当てて笑う。


「とても眠そうだわ。結局、こんな時間まで話をしましたからね」


「すみません。こっちのわがままに付き合ってもらっちゃって」


「いいのよ。私も楽しめましたし。あの途中で遊んだ……ばばぬき? 初めてやりましたけど、とても興味深かったもの」


「あんなにも楽しそうに、本気でババ抜きをする人は僕も初めてでした」


 話のネタも尽きてきて、思いつきで提案したトランプは、意外にも好意的に受け入れられた。

 そして一番楽しんだのが、りんなお嬢様だったのだから、人生何が起こるのか分からないものだ。

 初めて遊んだのにも関わらず、中々の勝率だったから、元々の運がとてもいい。


 何ともなしに持ってきたトランプが、こんなにも役に立つとは思ってもみなかった。

 これからもどこかに旅行に行く時は、トランプは欠かせない持ち物になりそうだ。

 懐にしまったトランプを服の上から押さえて、僕はそう決心した。


「外が明るくなってきたけど、あなた達はどうするのかしら? 地下にいる相神さんのところにでも、顔をお出しになったら?」


「いえ。この時間では、まだ起きていないだろうから行かなくてもいいです。それで出来ればなんですけど、ここで朝食を食べても良いですか?」


「別に構いませんわ。それでは、春海に用意させましょう。今湊さんは、確かパンケーキが食べたいと言っていたわよね。えっと、あなたは?」


「僕もパンケーキで」


「かしこまりました。ただいまご用意いたします」


 春海さんが頭を下げて出て行くと、りんなお嬢様はゆっくりと息を吐いた。

 さすがに疲労の色が見えている。

 しかし、どことなく満足そうな顔をしていた。


「私は、あなたの思うように動くことは出来たのかしら?」


 紅茶を飲んで微笑む姿に、僕は微笑みを返す。


「ええ。とても満足のいく結果になりました。あなたと春海さん、そして今湊さんのおかげです」


「それは良かったわ」


「私のおかげですかあ。うふふ」


 三人で笑い合っていると、良い匂いが漂ってきてカートを押しながら春海さんが入ってきた。


「お待たせいたしました。お二人の好みに合うように、様々な種類をご用意させましたが、よろしかったでしょうか」


「はい、ありがとうございます」


「わあい! お腹が空きましたあ! パンケーキ! パンケーキ!」


 どれだけお腹が空いていたのか、今湊さんはテンションを上げて飛び跳ねる。

 僕も良い匂いと、今湊さんにつられて、急に体が空腹を訴えだす。


 目の前に置かれたパンケーキは、見た目だけですでに美味しい。

 僕のにはチョコとバナナがのっていて、今湊さんのには多種多様のベリーがのっている。

 三人の誰が作ったのかは教えてもらえなかったが、計算されたかのような美しさは千秋さんを想像させた。


 同時にナイフとフォークを手に取り、一口サイズに切り分けると、ゆっくりと口に運ぶ。


「……おお!」


「ふわわあ! 美味しいですう!」


 口に入れた瞬間、美味しさがいっぱいに広がり幸せな気分になる。

 僕達は二人で頬を押さえて、美味しさから体をくねらせた

 ふわふわでもちもちで、トッピングとのバランスがとても良い。

 噛みしめるごとに美味しくなっていき、ずっと口の中に入れておきたいぐらいだ。


 幸せと感動で、とてつもなく間抜けな顔になっている自覚がある。

 でもそれぐらいに美味しいのだ。

 朝からパンケーキなんて甘くて嫌になるかと心配していたが、何てことはない。


 春海さんが押してきたカートには、言葉通り山のように積み重なったパンケーキがあるけど、二人で全部食べることは容易い。

 一口食べ始めてから止まらなくなって、僕達はまるで競うかのように食べる。


 その様子は、さながらわんこパンケーキといったところか。

 美味しすぎて、味わっている余裕もない。

 一心不乱に食べ、どんどん山が平面になっていき、そして最後の一切れを同時に飲み込んだ。


「……ごちそうさまでした」


「……幸せですう」


 大きくなったお腹を満足しながらさすり、ちょうどいいタイミングで差し出された紅茶を飲む。


「二人とも、見ていてとても清々しい食べっぷりでしたわ。何だか、私お腹いっぱいですわ」


 ただ見ていたはずのりんなお嬢様がそう言うぐらいには、勢いよく食べていたらしい。

 美味しかったけど、しばらくはパンケーキは良いかな。

 そう思いながら、僕は何かを言おうと口を開いた。



 しかしそれは、言葉になることは無かった。



「た、大変です!」



 応接室の扉が勢いよく開いて、千秋さんが取り乱した様子で入ってきたのだ。無理もない話だろう。




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