第3話



 鳳さんの死体。

 人の死体を見るのは久しぶりなので、少しの吐き気を伴った。


「だ、大丈夫か? おい!」


 止まってしまった僕の脇をすり抜けて、ショックから立ち直った鷹辻さんが鳳さんの元に走っていく。


「おい! 返事をしろ! おい!」


 そして体を抱え込み、必死に揺すって声をかけ始めた。

 明らかに死んでいるのに、彼は諦めていない。いや、諦めるというのが怖いのか。

 とにかく鷹辻さんは、良い人だ。


「鷹辻さん」


 しかし、この場合は。


「……もう死んでいます。だから……あまり、動かさない方が良いと思います」


 あまりよろしくない行動である。


 彼の肩を掴み、僕はこれ以上動かすのを止めさせる。

 鷹辻さんは不満そうな顔をしたけど、それでも鳳さんの体を地面におろした。


 これで、証拠などを少しは保管出来るだろう。

 僕はほっと息を吐き、槻木君の存在を思い出した。


 僕と鷹辻さんでさえ、大なり小なりショックを受けているのだ。

 子供である槻木君にとっては、トラウマになってもおかしくない。

 そこのケアを怠るとは、思ったよりも死体を見て驚いていたらしい。


「槻木君! だいじょう……」


 僕は慌てて、後ろにいる槻木君を慰めるために、振り返った。

 もしかしたら泣いているかもしれない。

 泣いている子供をあやすのは、全く得意じゃないのだ。


 これからかかる負担を考えながら、振り返った先。

 そこにいたのは、スマホに耳を当てて真剣な表情をしている槻木君だった。


「え、っと……槻木君?」


「しっ、静かに」


「あ、はい」


 戸惑いながら話しかけた僕に対し、静かにしろというジャスチャーをされて、自然と口を閉ざす。


「……もしもし、槻木です。春海さんですか。あの、落ち着いて聞いてほしいんですけど。僕と龍興、サンタさんでランニングをしていたんですが……カルミアっていう花のところで、鳳さんが死んでいるのを見つけまして。……はい、はい。はい。来栖さんに伝える時は、慎重にしてください。すみません。よろしくお願いします」


 電話の相手は、春海さんだったみたいだ。

 槻木君はそれに対して、冷静に状況を説明していく。

 分かりやすく説明を終えると、電話を切って僕の方を見た。


 自然と背筋が伸びる。


「大丈夫だよ、サンタのお兄ちゃん! 今、人を呼んだから! 安心してね!」


「あ、うん。えっと、うん。ありがとうね」


 電話が終わった後、真剣な表情からいつもの明るい笑顔に変わった。

 その変貌ぶりに僕は戸惑い、どういう顔をすればいいのか分からなくなる。

 しかし電話をしてくれたのはありがたいから、僕はお礼を言った。


「気にしないで! パニックになったら、どうしたらいいのか分からないもんね! 龍興がパニックになっちゃって、ごめんね」


「う、ううん。大丈夫。本当ありがとう」


 子供らしい態度は、先ほどまでの冷静さを見てしまったら、ちぐはぐに思えてしまう。

 僕は考え込んで、そして今見たことは忘れることにした。

 その方が、精神衛生上よろしいと判断したからだ。




 それから十分ぐらいしてから、たくさんの足音がこちらに向かってくるのが聞こえてきた。


「大丈夫ですかっ?」


 一番に飛び込んできたのは、春海さんだった。

 必死な形相をして、僕達のところに駆けつけてくれた。


 その後ろからは、緋郷、飛知和さん、賀喜さん、来栖さんが現れる。

 緋郷はまだ寝ている時間だけど、死体と聞いて飛び起きたのだろう。

 彼等は僕達の姿を確認して、そしてその先にいる鳳さんの姿を見つけた。


「姫華様っ!」


「待ってください! 来栖さん!」


 緋郷は、鳳さんの死体の確認をしに行った。

 来栖さんも駆け寄ろうとしたけど、それは僕と鷹辻さんで止めた。

 あの姿を見てしまったら、たぶん正気ではいられない。


 あんな、あからさまに殺されたと分かる死体を見たら、何をしてしまうのか。

 それを防ぐために、止めた。


「姫華様っ! 姫華様っ!」


「来栖さん! 落ち着いてください!」


 しかし火事場の馬鹿力なのか、鷹辻さんと二人をもってしても、止めるのに一苦労だった。

 鷹辻さんとじゃなかったら、きっと抑えられなかっただろう。

 それでも抑えているのに限界を感じて、鷹辻さんが動いた。


「すまんっ!」


 来栖さんの腹を力いっぱい殴り、意識を失わせる。

 上手く入ったようで、来栖さんの体から力が抜けた。


 その体を抱きとめて、鷹辻さんは目を伏せる。


「も、申し訳ない。俺達は来栖さんと共に、屋敷に戻る。……紗那、帰ろう」


「……はーい、分かったよ」


「私も、付き添います」


 もう死体を見たくない。

 その様子から、気持ちが伺えた。

 普段はしっかりしている春海さんでさえも、辛そうな顔をして、槻木君に寄り添う。


 だからわざわざ引き留めることもせず、彼等が帰っていくのを見送った。


「ひ、ひいい。ひっ」


 さて、問題はまだ残っている。

 飛知和さんと賀喜さんは死体を見るのが初めてなのか、顔を青ざめさせて震えていた。

 出来れば、この二人も一緒に連れて行ってほしかった。

 鷹辻さんに対し、そんな不満を抱きながら、僕はため息を吐く。


 死体に慣れていないのなら、帰ってくれれば良かったのに。

 僕はもう一度ため息を吐いて、二人に話しかける。


「あの。戻った方が良いんじゃないんですか? ……あれ? そういえば今湊さんは……?」


「ひっ。え? 今湊さん? えっと、来るかどうか聞いたんですが。待っていると言われたらしいです」


「そうなんですか。それじゃあ、今湊さんが心配だから、戻って様子を見に行ってくれませんか?」


 僕が声をかけると小さな悲鳴を上げ、しかし帰ればいいと提案すれば嬉しそうな顔をした。


「あ、はい。様子を見に行きますね」


 そしてすぐに、飛知和さんは賀喜さんと共に、屋敷に戻っていった。

 二人がいなくなったのを確認すると、僕は振り返る。



 さあ、まだまだ問題はたくさん残っている。


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