第7話
緋郷が出ていってから、三十分。
「……暇だなあ」
僕は暇を持て余していた。
スマホなどの連絡手段がなく、趣味も無いせいで、やることがない。
最初は持ってきていたトランプで、一人神経衰弱をしていた。
しかし脳内の敵と互角の戦いを繰り広げてしまったので、終わりが見えないのを察して止めた。
そうすると途端に暇になってしまい、僕はテーブルの上にトランプを広げたまま途方に暮れていた。
緋郷が帰ってくるまでに、まだ時間がある。
きっと色々な人に話しかけに行っただろうから、何時間かかるのか予想がつかないぐらいだ。
「意外に長話をするタイプだからなあ……」
相手が嫌がらない限りは、いや嫌がっているそぶりを見せても、自分が満足するまで話を終わらせない。
とても迷惑な性格をしている。
それでも嫌われないのは、独特の雰囲気があるからか。
嫌われやすい僕からすれば、とても羨ましいかぎりだ。
嘘だけど。
「それにしても、何をするべきか。それが問題だ。暇は脳みそを腐らせるなあ。全く」
何もすることが無いと、独り言が増えて嫌になる。
もしも誰かが入ってきたとしたら、絶対に不審者だと思われる。
「お、おはようございます。あ、あのお……お食事を持ってきたんですけど……えっと、相神さんに言われて……もしかして間違っていましたか?」
今日は、フラグを回収する日みたいだ。
すぐ近くから聞こえてきた声に、僕はそちらの方を見る。
そこには、とても困った顔をしているメイドの冬香さんの姿があった。
「ああ、どうも。おはようございます。ありがとうございます。間違っていませんよ」
僕は気持ちを切り替えて、何事もなかったように話しかける。
ノックの音を聞いた覚えが無かったので、内心は心臓が騒いで仕方がない。
緋郷め。
言っておいてくれたのはありがたいけど、タイミングを考えてほしかった。
どう考えても、今の僕は恥ずかしい奴だ。
しかもそれを見られたのが、よりにもよって冬香さんとは。
「とても美味しそうですね。今日は誰が作ってくれたんですか?」
「あ、えっと、私です。お口に会えば、良いのですが」
「あなたが作ってくれたものなら、たとえ鳥の餌だって美味しく食べられますよ。ははは」
「あ、はは。そうですかあ」
良いところを見せたくて格好つけて話をしたら、引きつった笑みを浮かべられてしまった。
今のところ、彼女の僕に対する好感度は低い。
それが、とても残念だ。
冬香さんは三人いるメイドの中で、一番の年下である。
耳の下辺りで二つ縛りにしていて、童顔だからか高校生ぐらいに見える。
ふわふわとしている茶髪に、たれ目で子犬のような顔立ち。
しかし話によると年上らしいから、何歳なのか気になるところだ。
それが何歳上だとしても、タイプなのには変わりないから、少しでもチャンスがあればお近づきになりたいところだ。
「食べ終わったら、外に出しておいてください。私か春海か千秋が取りに行きますからあ。それでは、ごゆっくりしてください」
「ありがとうございます。あ、そうだ。お暇でしたら、一緒にトランプでも……」
「あ、ごめんなさい。これから仕事があるので、一緒に遊べませんね。失礼いたします」
お近づきになりたいから、少し強引に遊びに誘ったのだけど、呆気なく断られてしまった。
仕事の邪魔をするわけにはいかないし、しつこくして嫌われたくないから、僕は出ていくのを見送った。
テーブルの上に置かれた朝食は、軽めにサンドイッチだった。
どちらかといえば和食派だけど、客人のおまけである僕に用意されたにしては豪華な方だろう。
何といっても、冬香さんの手作り。
それだけで、とてつもない価値である。
玉子やハムやキュウリやツナ。
メジャーな具だけど、冒険しない方が一番だ。
それにどれもが良い素材を使っているらしく、どことなく高級感が漂っている。
これは本当に僕が食べていいものなのか。
十数秒迷って、いただきますと声を出した。
腐らせるほうがもったいないし、一口一口噛みしめて味わおう。
好きなものは後にとっておくタイプなので、玉子を最後に食べることに決めて、ツナから手に取った。
ツナマヨにはみじん切りした玉ねぎが入っていて、手を込んで作ってくれたのだと、それだけで感動してしまう。
恐る恐る一口かじると、神に感謝した。
それはもう、冬香さんという存在を作ってくれたことに関する感謝だ。
いままで食べてきた中で、一番美味しい。
きっと隠し味には、愛情が入っているはずだ。そう考えるのは、僕の自由である。
ツナから始まり玉子まで。
お腹が空いていたのも手伝って、噛みしめて食べようと思っていたのに、あっという間に食べてしまった。
「ごちそうさまです」
全ての食材を使い、ここまで美味しくしてくれた冬香さんに感謝。
僕は時間をかけて感謝を伝えると、パンくずも残していない皿を手に取って立ち上がった。
外に出しておけばいい、と言ってくれたので、言葉に甘えて扉の外に置くことにする。
そっと扉を開けて、赤いじゅうたんの敷かれた廊下の隅に、皿を置いた。
そしてそのまま、扉を閉めようとしたのだが。
「ああ、食事は部屋で済まされたのですね」
開けた扉の向こう側から声がして、僕は顔を覗かせた。
そこには定規を背中に入れているのではないかというぐらい、背筋をまっすぐに伸ばした千秋さんが立っていた。
その姿を見て、自然と僕の背筋も伸びる。
「あ、おはようございます。す、すみません。お皿、廊下に置いてしまって」
「おはようございます。持っていきますので、構いませんよ」
肩までの髪は、染めたことが一度もないぐらい真っ黒でストレート。
性格を表しているのかというぐらい、釣り目できつい顔立ちをしている。
先生とか、弁護士とか、そういうお堅い仕事が似合いそうだ。
「ごちそうさまでした」
僕は廊下に置いた皿を手に取り、千秋さんに渡す。
「美味しかったですか?」
皿を渡された千秋さんは、首を傾げて聞いてきた。
「ええ。とても美味しかったです」
冬香さんの愛情が入っていて。
顔を緩ませ、僕は正直な感想を言う。
「それは良かったです」
千秋さんは表情を変えることなく、一礼した。
「作った甲斐があります」
僕はその言葉に固まり、彼女が去っていくのをただ見つめた。
そして姿が見えなくなってから、ポツリと呟く。
「……どういうこと?」
それは、切実な響きを持って廊下に響いた。
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