第6話



「ああ、そうだ。緋郷も一緒に、明日ランニングする?」


「ん? いや、遠慮するよ。俺は運動をするのが、好きじゃないからね」


「……そうだよね。走ってくれるわけなかったか」


 僕は明日のいけにえに、緋郷も巻き込もうとしたのだけど、軽く拒否されてしまった。

 予想通りだったから、ため息を吐いて残っていた紅茶を一気に飲んだ。


 すっかり冷たくなってしまって、更なる紅茶の渋みがわずかに舌に残った。


「いいじゃないか。サンタは最近運動不足だから。お腹回りに肉がついてきたし、走る速度も年々遅くなっている。この機会に、毎日一緒に走ればいいと思うよ」


「他人事だからって、勝手なことを言ってくれるよね」


 僕の体を上から下まで見てくるので、何だか見透かされているような気分になり、女子のように自分の体を抱きしめる。

 確かに、最近運動不足のせいで肉がついてきていた自覚はあった。

 しかし服で隠れていると思ったから、油断していたのだけど。

 完全に見透かされてしまったみたいだ。


「さすがに走れなくなったら、解雇だからね。そこらへん、まさか分かっているだろう」


「はいはい。分かっています。明日、きちんと走ってこようと思う」


 僕は服の上から肉をつまんで、明日だけ我慢して走ることにした。

 確かに昔とは違い、肉が付きやすくなってきた。

 少しは運動しないと、どんどん太ってしまいそうだ。

 食べても食べても太らない体質だったから、油断していた。


 しかし偏食の緋郷に健康を心配されるなんて、何だか腑に落ちない。

 まあ食生活は駄目だが、毎日トレーニングをしているから筋肉は僕よりついていることは認める。

 腹筋が割れている細マッチョなのは、男として羨ましい限りだ。


「それが一番だよ。そういえば、サンタはカルミアが本当に好きだねえ」


 腹筋の割れていない体を触っていた僕を見て、余裕の笑みを浮かべる緋郷は本当に性格が悪い。


「あの花は、見ていて何だか癒されるんだ。別に花を愛でる趣味は無いんだけどね。あの花だけは、何だか気になる」


「そう。それは、ただ単に花が好きだけかな」


「ん? そうだと思うけど。何で?」


「何でもないよ。ただ聞いただけ」


「そっか」


 緋郷は、よく言葉遊びをしてくる。

 いちいちその意味を考えたり、追及すると時間が過ぎるだけなので、僕は考えるのを放棄した。


「もう今日は、人に会いたくないな」


 特に、今湊さんと賀喜さんには。

 天然を相手にするのも、好意を持っていない相手を見るのも、精神的に辛いものがある。

 今日はもう、このまま部屋にこもっていたい。


「サンタがそこまで人に負の感情を抱くなんて、逆に興味が湧いてくるね。少し話をしてみようかな」


「お好きにどうぞ。どうせ、すぐに興味がなくなるって。今湊さんと賀喜さんだよ」


「分かっている分かっている。失礼のないように、ほどほどに話をするよ」


 僕の話から何が興味を引いたのか、珍しく緋郷は自分から積極的に人に関わると言い出す。

 しかし、どうせいつものきまぐれだろう。

 きっと僕が言わなきゃ、名前すらも覚えていなかっただろうから。


 興味のないことには、脳みそを使いたくない。

 記憶にとどめるにも、脳の容量がもったいない。

 いっそ清々しいほど、他人に興味が無い男である。


 だから恋慕していても、絶対に叶うことは無い。

 残念な、賀喜さん。

 少しざまあみろという気持ちがないわけではないが、同情の割合の方が大きい。

 僕は心の中で、彼女に手を合わせた。


「本当物好きだね。……今日、僕は夕食に行かなくてもいいかな……」


 朝と昼は各々で構わないが、夕食は全員で食べる。

 客人にはそんなルールが設けられているが、僕はおまけでついてきたみたいなものなので、いなくても気づかれないだろう。

 だからこもっていても、別にいいんじゃないか。


「別に構わないんじゃない……って言いたいところだけど、今日の夕食は全員参加だって念を押されたから無理だよ」


「うえ。そうだったっけ」


「まあ、サンタがいなくてもバレなさそうだし、俺は気にしないけどね。バレた時に、怒られるのは嫌だろう?」


「まあ、確かに……」


 明らかに自分より年下であろう女性に怒られるのは精神的にくるものがあるし、それで喜ぶような性癖も持っていない。

 それに機嫌を損ねたら、言葉通りこの国では生きていけない可能性がある。


 万里小路グループは、それぐらいの影響力を持っている。

 そして現当主の一人娘であるりんなさんには、僕一人の存在を消すことなんてたやすいはずだ。


 さすがにまだ生きていたいから、夕食会に参加することは逃れられないイベントというわけだ。


「それまでは部屋にいたら? 頼めば食事だって、部屋に届けてくれるだろうし」


「……そうする。緋郷は?」


「俺はまだ人と会いたくないと思ってはいないし、お腹が空いたから食べに行ってくる。早起きしたから、時間は有意義に使わなきゃね」


 二杯目の紅茶を飲み終えた緋郷は、立ち上がり身支度を整え出す。

 いつもの、グレーを基調としたスーツをきっちりと着ている様子は、時期も相まって暑そうに見える。

 しかし着ている本人は、汗ひとつかいているところを見たことがないので、やせ我慢しているわけではない。

 それに、いつもカーディガンを着ている僕が言えた話でもない。


「それじゃあ、行ってくるね」


「いってらっしゃい」


 身支度を整え終わった緋郷に向かい、僕は気の抜けた声で見送った。

 扉が開き、そして閉じても、少しだけ視線をそちらに向けていた。



 さて、夕食の時間まで何をしているか。

 まだまだ時間があるので、どう潰していくかが問題だ。

 しかし、すぐに別のことに気を取られて、視線をそらした。




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