第2話



 今湊さんの醸し出す空気に耐え切れなくて、いつもより早くカルミアの花の場所から離れた。

 名残惜しかったけど、上手くいかないキャッチボールを続ける気にはなれなかった。

 寝起きにするにしては、重労働過ぎる。


 先ほどまでの時間だけでも、すでに頭が痛くなっているのだ。

 一対一の会話を続けるだけのスキルを、今の僕には持ち合わせていない。

 脳みそを使ったからか、また眠気が襲ってきた。


 大きく口を開けてあくびをすると、後ろから走ってくる音が聞こえてくる。

 それは一つではなく、二つだった。

 その事実だけで、後ろから来ているのが誰なのか、おおよその見当がついた。


 僕は道の脇によけながら、後ろを振り向く。

 そこには予想通り、鷹辻たかつじさんとその助手の槻木つきのき君の姿があった。

 お揃いの真っ赤なジャージを着て、どうやらランニングをしているみたいだ。


 百九十センチはあるだろう鷹辻さんと、百三十センチもないだろう槻木君は、まるで親子や兄弟みたいに見える。

 それか顔が全く似ていないから、誘拐犯とかか。

 失礼なことを考えているのを全く表情には出さず、僕は近づいてきた二人に挨拶をした。


「おはようございます」


「おお! おはよう!」


「おはようございます!」


 わざわざ足を止めてくれた二人は、汗をぬぐって元気に挨拶をする。

 体育会系オーラに圧倒されて、僕は少し後ずさってしまった。


「え、っと。毎日走っているんですか?」


「そうだな! ここにいると運動不足になりそうで、十キロ走るようにしているんだ!」


「ぼくもです」


 鷹辻さんは、感嘆符をつけないと話が出来ない人だし、槻木君はまだ小学生だから穢れのない無垢な瞳を向けてくるので、昔のことを思い出して居心地が悪くなってしまう。

 悪い人達じゃないのだけど、だからこそ余計に僕にとっては質が悪かった。


「十キロって、凄いですね」


「ははは! そんなことは無いぞ! サンタ君も一緒にどうかな?」


「あ、僕は止めておきます」


 今も純粋な厚意だけで、とんでもない誘いをかけてくる。

 僕は漬け込む隙がないぐらい、食い気味に拒否をした。


「体力が無いので、すみません」


 そして角が立たないように、言葉を付け足す。


「そうか。走りたくなったら、いつでも言ってくれれば良いからな」


「あ、はい」


 たぶん言うことは無い。

 そう頑なに思っていたのだが、服の裾を軽い力で引っ張られて、意識がそちらに向かう。


「ど、どうしたのかな? 槻木君?」


 そこには、僕を潤んだ目で見つめている槻木君の姿があった。

 今にも涙がこぼれそうで、僕は慌てる。

 子供を泣かすと、周囲からの視線が痛くなる。

 僕が悪くなくても、悪人にされてしまう。


 今までの経験から、僕は面倒な展開になりそうだと察知した。

 しかし逃げる選択肢は、すでに選ぶことが出来なくなっていた。


 涙を浮かべた槻木君は、そのまま僕に震える声で話しかけてくる。


「サンタのお兄ちゃん。いっしょに走ってくれないの?」


「ぐ……」


 その攻撃は、僕のボディにもろに入った。

 本当に子供はずるい。

 実際は、自分の影響力というものを、一番理解しているのではないかと疑ってしまうほどだ。


「お兄ちゃん」


 止めてくれ。

 そんな目で僕を見ないでくれ。

 どう考えたって、僕が悪になる状況を作らないでくれ。


 僕は必死に脳みそをフル回転して、どう逃れるべきか考えた。

 しかし緋郷とは違い、僕は平均的な知力しかない。

 どんなに頑張っても、回避することは出来なさそうだ。

 そう脳みそが、すぐに匙を投げた。全く持って使えない。


「ああ、うん。そうだね。一回ぐらいは一緒に走ろうかな」


 このまま拒否して泣かれるよりは、一回だけと条件をつけて妥協するべきか。

 ほとんど使えなかった僕の脳みそは、そんな答えだけはすぐに弾き出した。


 僕はカタコトにならないように必死で感情を込めて、槻木君に目線を合わせて話す。


「本当に? やくそくだよ!」


 先程まで浮かべていた涙はどこかへ消え去り、百パーセントの笑顔を向けられた。

 これでもう、うやむやにして誤魔化すことも出来なくなった。


「ウンウン、ボクウソツカナイヨ」


 隠しきれないカタコトだったが、まだ幼い槻木君にはバレなかったみたいだ。


「やった! それじゃあ、明日走ろうね!」


「あしっ……うん、分かった。明日、よろしく」


 完全に顔が強張ってしまう。

 明日、というのは、あまりにも急すぎる。

 それでも輝きを放っている瞳を前にして、何も言えなかった。


 僕は乾いた笑いを出して、そして今まで様子を見ていた鷹辻さんと視線が合う。


「ありがとう! 明日、よろしくな!」


 彼も、僕が引き気味なのを気が付いていないみたいだ。

 豪快に笑って、背中を強めに何度も叩いてきた。


 本音を言うと、とても痛い。

 しかし悪意が無いので、止めづらい。


 これはもう、完全に逃げられなくなった。

 明日は楽しい、十キロマラソンだ。

 内心でため息をついて、僕は諦める。


「そういえば、鷹辻さんと槻木君はどうして一緒にいるんですか?」


「ん?」


「あ。ただの好奇心なので、何か事情があるのなら答えなくて構わないですよ」


 ここに来る人達の関係性は、何となく分かる人もいれば、全く読めない人もいる。

 その中に、この二人も入っていた。


 僕と同い年ぐらいの熱血が取り柄の鷹辻さん、小学校中学年にしか見えない純粋な子供の槻木君。

 どうやって出会って、どうして一緒にいることになったのか。


 気になって眠れない、というほどでは無かった。

 しかし、知ってみたいとは思っていた。


「ああ、自己紹介の時に言っていなかったか! 兄弟だよ! 全く似ていないけどな!」


「あ、そうなんですね」


 まさかの実際に兄弟だったとは。

 確かに鷹辻さんの言う通り、全く似ていない。


 しかし、世の中には全く似ていない双子だっているのだ。

 似ていない兄弟ぐらい、いてもおかしくない。


 そこまで面白い事情では無かったので、少しがっかりしながらも、その情報は緋郷に伝えようと、心の中でメモしておいた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る