第4話
人生にはこれは死ぬと思った瞬間が何度かある。
一番最初は小学校の時にうっかり道路にはじき出されて轢かれかけたとき、次が川遊びで滑って急流に飲まれる寸前になったとき、意外と瀬戸際の経験は何度かあるものだ。
そんな郷愁じみた気持ちで目を覚ますと、体が死ぬほど痛かった。時間もどれくらいたったか分からないが、頭がやけに重く感じる。それでも、俺は生きていた。その事実に心から安堵した。
「……ここ、どこだ?」
それは殺風景な小さな部屋だった。窓がなく燭台一つの薄暗い部屋で、水と食べ物と簡易トイレらしきもの以外に物がない。その部屋に俺は手足を縛られた状態で毛布の上に転がされていた。幸い、手は前に縛られていたが、不便この上ないし、毛布一枚では床が固すぎる。
不格好ながら立ち上がって見回してみたが、壁紙等雰囲気は館に似ているが見覚えがない部屋だ。長く住んでいるし、掃除などもしていたから館については知っているつもりだったが、全く見覚えがない。それに、ある点でその部屋は奇妙すぎた。
「……俺、どっから入れられたんだ」
まさかと思って壁をあちこち叩いてみたが、それは壁のままで、入り口が一切なかった。その事実に気が付いた時、心臓の音が自然と早まった。
「閉じ込められた……?」
壁を叩いてみても、空間があるような音はしない。ここは一体どこなのか、そして何が目的なのか。不安から力任せに壁に体当たりをひたすら繰り返してしまう。
「落ち着け、考えろ。俺はまだ生きている、生きている」
自分に言い聞かせるように言葉に出しながら考える。あの場で殺されていないということは、生かす意味が犯人にとってあるということだ。更に食料が用意してある点、飢え死にさせるつもりもないのだろう。つまり、反撃のチャンスは必ずある。
「ここで諦めたら、母さん達の仇はどうなる」
そう、自分はこんな所で震えていてはいけない。慣れ親しんだ憎しみを思い出したとき、不安は嘘のように落ち着いた。乱れた呼吸を整え、縄を切るのに使えそうなものを探す。
その時だった、頭上でガコンという重いものが動かされる音がした。
「――っつ」
頭上ということは、ここは地下室だったのだろう。目を覚ましたことを気が付かれるのはまずい、もとの毛布の上に寝転び薄く片目を開けて様子をうかがった。
外は日中なのか、ひどく明るい光が頭上から差し込んでくる。誰かがこちらを覗き込んでいるのが分かる。そして
「きゃああああ!」
可愛らしい悲鳴とともに落下してきた、俺の上に。
「んぐっ?!」
突然の重量に、カエルが潰されたような声を出してしまう。目の前に星が見えた。
「真白!? 大丈夫か」
頭上では慌てた和泉の声がしていた。そして、俺の上にいる人物が健気に返答をし、その気聞き覚えのある声に俺は戦慄した。
「う、うん。私は大丈夫! そんなことより、葉山君が」
「悟がいるのか!?」
「うん! でも縛られているし、自力で登れない深さだからロープとか持ってきたほうが良いかも」
「分かった、すぐに用意する!」
バタバタと走り去る音がする。正直、行かないでくれと引き留めたかったが、その前に近藤さんの笑っていない笑顔によって蛇に睨まれた蛙になってしまう。
「……言いたいことわかりますよね?」
「ご迷惑をおかけしました」
踏みつぶされた体勢とはいえ、できる限り頭を下げると近藤さんがどいてくれた。ただその笑顔は恐ろしいもののままだ。
「ただでさえダーリンは連続殺人事件で頭を悩ます中、友人の失踪と濡れ衣を解決すべく普段以上に働く羽目になったんですよ?」
「俺、濡れ衣着せられたんですか!?」
「そりゃあ行方不明ですから。行方不明と書いて逃走中の犯人です。あ、でも今朝とお昼の殺人で犯人の目星はついたみたいなので、その点はご心配なく」
「……誰が殺されたんですか?」
恐る恐る尋ねると、近藤さんは驚いたように目を瞬かせ、空っぽの表情をこちらに向けてきた。
「その様子だと、葉山君犯人が誰か分かっていますね」
返す言葉が出てこなかった。
「まあ、拉致されたときに顔を見ていたら当然といえばそうですけど」
「……本当にあの人が犯人なのか」
「さあ? 私は貴方のいうあの人に見当がつかないので」
沈黙がその場に降りた。問いかける視線に心臓が否が応でも高鳴る。どうすればいいのか、何を言えばいいのか答えが分からなかった。
「……いや、顔はみていないから分からないな」
悩んだ末に俺が出した答えは、とぼけることだった。
「あ、そうです? まあ、その答えもアリじゃないですか」
幸いにも近藤さんは、それ以上追及はしてこなかった。興味をなくした、というより最初から彼女にとっては些末なことだったのだろう。彼女は頭上の光をまぶしそうに見上げた。
「でも、忘れないでくださいね。真実はかならず暴かれる、正義は必ず悪を裁いてくれる」
その愛おしそうな顔はきっと和泉に向けられたものなのだろう。慈愛に満ちたその瞳がひどく印象に残った。
「……ところで、この縄どうにかしてくれませんかね?」
正直、縛られて転がされたままは不服だった。彼女ならどうにかできるのでは期待を込めて、訪ねた。
「え、駄目ですよ。刃物仕込んでいることはダーリンに秘密なので」
悪びれもない笑顔と、袖口から刃物をきらめかせる姿は、いつもの近藤さんだった。
俺が監禁されていたのは宗一郎の部屋にあった隠し部屋の物置だったらしい。そんなところがあるとは初耳だったが、隠し部屋の存在を吹聴することはないのでそういう物なのだろう。
部屋から助け出されたときには午後の三時を回っていた。ボサボサの頭といい、寝間着姿といい、人に見せられる姿ではなかった俺は手早く身支度を整えていた。
この館の全員に話したいことがあると、和泉が言った。不信感を覚えた客人がいないわけではないだろうが、連続する惨い事件に誰よりも真摯に向き合う姿を見ていた一同はそれを承諾した。
この事件の真相が分かった、真っ直ぐな瞳でそう伝えられたとき、その場の時が止まってしまったように感じたのは何故なのだろう。この胸に残る罪悪感ややるせなさ、虚脱感は何なのだろう。俺がこの手で殺せなかったことへの後悔なのか。
結局、俺は和泉にも犯人をとぼけることにした。犯人をかばった、そういうことになる。
「おーい、まだ準備中ですか」
「……近藤さん」
「護衛ですよ、念のため。感傷的なのはお腹いっぱいなので、さ行きましょう?」
真実の扉へ、そう近藤さんは笑った。無邪気に、無感動に。
彼女に導かれて向かう道筋は、とても足が重く感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます