第2話 田中司は転生する
夜が空けて、外で雀が鳴いていた。
六畳一間に台所、風呂と和式便所があり家賃四万二千円の木造アパート。
ここのところ、ゲームに仕事で、徹夜続きであったが、当然仕事は休めない。
炊いた米をインスタント味噌汁で腹に流し込むと、顔を洗いに台所に立つ。
立て掛けた鏡には、目の下にクマが出来、無精髭と鼻毛が伸びていた男が映っていた。
鼻毛やもみ上げの辺りに白いものが混じっている。口の横にある大きなホクロから毛が三本はえていて、その内の二本は白い。
最近髪が薄くなっていて、前髪が短くなっていた。これ以上伸びないのだ。髪も細くなっている気がする。
視力も弱く零・一以下。眼鏡が手放せない。
運動不足のせいか、手足は細く、日頃の不摂生が祟り、ぽっこりとお腹が出ていた。
最後に彼女がいたのは二十代だったか。
◆◆◆
俺の仕事である設備機械の営業は激務である。
客先との納期擦り合わせや、見積り。営業だけならまだしも、機械の不具合なども、直さねばならなかったりする。
組付けの人間が、別の機械を組んでいれば、彼らは手が離せないので、「田中行ってきてくれ」と言われ現地に向かい納品した機械の不具合調整をしなくてはならなかった。それが大変で作業は深夜を回る事もあった。なまじ仕事を覚えた為に便利に使われていた。営業職なのか、職人なのか分からなくなっていた。
忙しい事を理由に女性との出会いを求める事がなかったが、その反面このゲームで美少女を口説いていた。AI内蔵の為に会話出来てしまうので、本気で好きになってしまうという弊害が社会現象になっていたし、俺もそれに倣っていた次第である。
毎日夜の十時近くまで働き、家に帰るとゲームをぶっ通しで朝方近くまでやっていた。
俺はVRアクション用のスーツを脱ぐ。
これは全身が厚手の黒タイツで関節にセンサーが着いている。
部屋の数ヶ所に設置した機械がそれを読み取りプレイヤーの動きをゲーム内で再現するのだ。
剣や魔法を本当に使っている気になるし、可愛い美少女なども目の前に本当に存在している様に感じる。
その反面、ドタバタと動くと近所迷惑になり、トラブルが絶えない。
俺は
インカムを通して会話も出来るのであるが、ブツブツと独り言を言っているようで怖い。薄い壁なので隣の住人宅に声が漏れてそれは恥ずかしいので、俺はタオルを頭にぐるぐると巻いて防音にしてゲーム内のキャラクターと話していた。
◆◆◆
出勤時間になり俺は通勤するために駅のホームで電車を待っていた。
「うっ」
突然の胸の痛みで俺はうずくまる。目がかすみ、視線の先に誰かの革靴が見えた。
「大丈夫ですか?」
誰かに肩を叩かれた様だが、反応できなかった。
次第にボヤける視界。
結論を言えば、ホームで俺は倒れ、過労の為に死んだ。
呆気ない俺の人生。まぁ、未練はない。
◆◆◆
暗闇に俺は落ちていた。
服は着ていない。魂だけの存在というのか何なのか。一応、自分には肉体的なイメージがあるがその境界は曖昧だ。
闇に溶けていっているのだろう。
四十一歳の裸のおっさんが闇に溶けていっている。
これが死後の世界というやつだろうか。
──……司……司……。
誰かが俺の名前を呼んでいる。
俺は疲れてるんだ。もうこのまま眠りたい。
──司!──
うっとおしいなあ。
うっすらと目を開けると、真っ白い全裸の女性の姿。
「ラーナ姫……?」
それは俺がゲームで恋愛をしていた相手だ。ゲームの中というだけではなく、本気の恋愛というアウトなおっさんである俺なのだが。
「司。やっと会えたね。愛してる」
ラーナ姫は俺に抱きつく。
あたたかい。
俺の意識はそのあたたかさの中で途切れた。
◆◆◆
再び気がつくと俺は鉄の手すりに掴まっていた。目の前には見たことのない町の景色が広がっていた。突然のこの状況に混乱していた俺だ。
先程死んだはずだから、これは死後の世界なのか。
見渡す限り鉄。鉄。鉄。鉄の町。赤茶けたシルエットが眼前に拡がっていた。
蒸気が町のあちこちから立ち上ぼり、油の匂いがする。
やけにリアルだが、鉄の町なんて日本にはない。
「カシム! ほら行くよ。学校に遅れちゃう」
見ると美少女だった。彼女は俺の方を見ていた。こんな美少女の知り合いではないし、おじさんだから、学校ではなく会社だろうに。しかもカシムって……。それは俺の名前か?
女子の柔らかい手が俺の手を引く。
「え?」
俺は戸惑ってしまった。
俺の手は明らかに若い子特有の手をしていた。
俺、田中司はカシムという少年になっていた。
これは異世界転生というやつだろう。
日頃そんな小説ばっかり読んでるからピンときた。
カシムとして生きてきた俺が、突如つい先程死んだ田中司の記憶をインストールしたような感じだ。
カシムとしての人格は記憶を残して消滅し、田中司としての人格になっている。
要するに、体は若いが、中身はおじさんに突然なってしまった。
そういう事なんだろう。
目の前の女の子の事もカシムの記憶にはある。
また、カシムとしての彼女の印象と田中司としての彼女の印象には
女の子に手を引かれながら俺はこう考えていた。
失われた人生をやり直すチャンスなんじゃないか?
今度は失敗しないぞと俺は胸に誓った。
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