第二章 -A girl meets- 持たざる者

 それも、魔術見習いの子供でも倒せるかもしれないぐらいの、低位スライムだった。


 意味が分からず、頭の中に大量の???が浮かぶ。


 ただ私が放心状態で固まっていても、スライムは待ってはくれない。

 街道に倒れている人に向かって一気に突進していく。

 意識はあるみたいだけど、どうやらその人は身動きが取れないみたいだ。

 さすがにあの状態でまともに突進を受ければ、無事じゃ済まない。


(とにかく今は、一旦余計な事を考えるのはやめよう)


 手綱を右手だけに持ち替え、左手に意識を集中する。

 精霊とのパスを開き、取り込んだオドをマナに変換する。

 変換した体内のマナを使い、術を編み込み、土の精霊の力を借りる。


「ストーンシールド!」


 倒れている人の前に石の盾を形成して、一度スライムの突進から守る。

 スライムは盾に弾かれて、突進の勢いのまま盛大に元いた方向へと跳ね飛ばされた。


(今は威力よりも発動が早い術を)


 マナを別の術の生成に切り替え、今度は火の精霊の力を借りる。


「ファイアースピア!」


 いくら威力が低いとは言っても、さすがに低級スライム一匹を倒すには十分だったみたいだ。

 炎の槍の直撃を受けて、スライムが一瞬で霧散する。


「大丈夫ですか!?」


 ココルから飛び降りて駆け寄ると、痛みで体が動かせないのか、首だけをこちらに向けて私を見つめる。

 少しだけ驚いた表情の後、安心したように口元を綻ばせた。



 素早く状態を確認すると、軽い擦り傷や切り傷以外、特に目立った怪我などはないようだ。

 私も安心して、軽く微笑みかける。


 一瞬だけ何かを言いかけた様にも見えたけど、そのまま気を失ってしまった。


「メディカルサーチ」


 水の精霊の力を借りて体の状態を調べると、幸い骨や内臓にもダメージは一切無いみたいだった。


「フィジカルヒール」


 そのまま今度は外傷の治療をする。

 ようやく一息ついて周りを見渡すと、さっきまであれほど騒がしかった精霊達の姿は、もうどこにも見当たらなくなっていた……。



「さてと……」


 いくら人通りが全くないこの時期とは言っても、このまま街道の真ん中に放置するわけにもいかない。


「よいしょ」


 両脇の下から腕を差し入れ、ちょっと申し訳ないけど、そのままズルズルと一番近い木陰まで引きずっていく。

 その人の持ち物なのか、木の根元辺りには見た事もない素材で出来た、不思議な形のケースが置いてあった。


「ココル!」


 すぐに駆け寄って来たココルを軽く撫でてあげると、嬉しそうに鼻先を擦りつけてきた。

 逃げ出したりした事は今まで一度もないけど、一応手綱を手近な木の枝に括りつける。

 ココルから鞍と荷カバンを降ろすと、カバンの中から水袋を取り出し一口だけ飲み干す。


 辺りはそろそろ日が落ち始め、後数時間もしない内に、一面のオレンジは紫へと変わるだろう。


(もう今からは動き回らない方がいいかな)


 どうやら今日は、このままここで野営する事になりそうだ。


 水袋を戻すとすぐに結界魔術の準備に入る。

 いくら低位のモンスターとは言っても、寝込みを襲われたら危険だし、盗賊や野盗が出ないとも限らない。


「アンチアニムスフィールド」


 土の精霊、水の精霊、風の精霊、木の精霊、可能な限りの精霊の力を借りて結界を築いていく。

 効果範囲はそれほど広くはないけど、対象の敵意や害意に反応して身を守ってくれる、おばあちゃん直伝の強力な結界魔術だ。


 『世の中には、敵意や害意を一切持たないままでも、平気で人を殺せるような存在もいるから、過信は禁物だよ』

 というのはおばあちゃんのげんだけど、出来る事なら、そんな存在とは一生出会いたくない。


 結界を張り終えて一息つくと、助けた人の所へと足を向ける。


 そのまま地面に寝かせておくのも可哀想なので、今はとりあえず膝枕で我慢してもらう事にした。



 ――不思議な人だった。


 身なりはごく普通で、見た感じは人間種みたいだけど、日焼けの跡もないし、作業などで荒れた様子もない、綺麗な手をしている。


(お忍び中の、どこかの貴族か王族の御子息かな?)


 その割には木の根元にあった独特なケース以外、荷物らしい荷物は辺りには全く見当たらないし、当然それらしき護衛の姿もない。


 それと傷一つない両手の割には、なぜか左手の指先にだけは、長年の修練の末に出来たタコのようなものが出来ている。


(私の知らない特殊な体術か何かかな?)


 その割にはスライム一匹にやられてたけど……。

 そこでふと思い出す。


(そうだ。そもそもなんでこの人は、自分で精霊を使役しなかったんだろう?)


 あれだけの数の精霊を操れるぐらいの精霊使いなら、スライムどころか魔族や竜族とも張り合えそうだけど……。


 若干の申し訳なさと罪悪感を感じながらも、額に手を当て少しだけ調べさせてもらう。


「ディテクトマジック」


 体内のマナ構成と精霊回路を軽く走査する。


「えっ?」


 精霊とのパスが開いてないどころか、これっぽっちのマナの痕跡すらない。

 と言うことは、恐らくこの人は100%純血の人間種って事だ。

 今この世界で、純血の人間種が果たしてどれくらい残っているのかもかなり大きな疑問だけど、それはとりあえずこの際横に置いておく。


 それよりも、精霊回路もマナも無いって事は、精霊との契約も結んでいない、どころか魔術すらも一切使えないって事になる。


 術っていうのは、言ってみればただの装置みたいなもの。

 装置を動かす為には燃料が必要だし、その燃料は精製も必要になる。

 その燃料に当たるのが自然界に満ちているオド。

 オドを補助精霊の精霊回路を通して体内に取り込む。

 取り込んだオドはそのままでは使えないので、マナへと精製して術への燃料として使う。


 一部の例外を除いて、これが魔術の一番基礎となる働きだ。


 でも魔術への適正は、生まれ持った物でほぼその全てが決まってしまうという。

 生まれ持った器を修練で磨き上げることは出来ても、元々持っていない物は磨きようもない。


 物質主義へ偏重する人間種やドワーフ種は、元来魔術への適正が低いと言われている。

 精霊との相性が絶望的に悪いためだ。

 逆に、より精霊に近い存在、精霊種や妖精種などが、生まれつき魔術適正が高いと言われるのはこの為だ。



 そこまで考えてから、一つだけ分かった事がある。

 なんで精霊達が、私に助けを求めてきたのかだ。


 精霊っていうのは、途方もない力を持っていても、自身でその力を直接使うことはない。

 使わないのか使えないのか、その辺は未だに分からないらしいけど。

とにかく精霊がその力を使うためには、集めたオドをマナへと変換し、更に正しい術式を通して再びマナを精霊へと橋渡しする媒介が必要になる。


 つまりは術者だ。


 ついさっき、本来なら半日以上掛かる道のりを、わずか30分程度で走り抜けて来たのも、私という媒介があって初めて成り立ったわけだ。


 この人に精霊回路すら開いてないって事は、精霊を使役する以前の問題で、多分この人には精霊が見えてない、どころか認識も出来ていない。


 精霊達がいくらこの人を助けたいと思っていたとしても、からこそ私を呼んだわけだ。


 それはそれで、今度は『なんで精霊達がこの人を助けようとしてたのか?』っていう、別のもっと大きな疑問が湧いてくるけど、それはいくら考えても答えは出てこないような気がする。



「んっ……」


 膝の上の頭が、身じろぎでほんの少しだけ動くのを感じた。

 ようやく気が付いたらしい。


 ゆっくりとその人が目を開ける。

 頭の向きは逆のまま、これまで見たことがないくらい真っ黒な瞳と目が合う。


「大丈夫ですか? 体の傷はもう治ってると思いますけど、どこか痛む所とかはありませんか?」


 慌てさせないように、極力ゆっくりと落ち着いた声でそう聞く。

 混乱しているのか、その人は暫く何か色々と考えを巡らせているように見えた。



「……はい?」



 それが私が初めて聞いた、その人の第一声だった。

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