List.04 -転がる石のように-

 ――今でも良く覚えている。


 あれは小学4年生の夏休み。


 登校日で学校から自宅に戻り、自分の部屋のある2階へ上がると、普段は閉められている兄の部屋のドアが、少しだけ開けっぱなしになっているのが目に入った。


 別に入るなと厳命されているわけでもない。

 それでも大きく年の離れた兄の部屋に、小学生の自分が興味を示すような物があるわけもなく、普段滅多に兄の部屋に入るような事もなかった。


 20近く年の離れた兄は当時大学生。

 時はまさにバンドブームの只中にあり、世の若者達の大半は猫も杓子もロックバンドという熱に浮かされていた。

 そんな中で兄は、恐らく今で言うところの、所謂いわゆる『洋楽ロックオタク』だったんだと思う。

 誰も彼もが日本のアマチュアロックバンドに夢中になっている中で、兄はメジャーマイナー問わず、ありとあらゆる海外のロックバンドに精通していた。

 

 大学生になり、バイトも始め、お金に余裕ができ始めていたせいもあるのだろう。

 久しぶりに入った兄の部屋には、小学生の自分が見ても分かる高級なステレオと、壁を埋め尽くす程のCDラックに詰め込まれた、海外ロックアーティストのCDがあった。

 

 まだ世にCDという物が普及し始めてから日の浅いあの頃に、あれだけの数のCDを(しかも全て海外ロック)抱えていた人間は、あまりいないんじゃないかと思う。


 なんとなくステレオに近づいてみると、電源が入ったままなのを知らせる赤いランプと、ステレオラックの上に置かれたままの、小学生の僕には理解不能な、随分と禍々まがまがしいデザインのCDジャケットが目に入った。


 ふと気になってCDケースを開けてみると、中は空っぽだった。

 と言うことは、つまり今そのCDはステレオのCDプレイヤーの中に入っているという事になる。

 別段深い考えやいたずら心があったわけでもない。


 ただなんとなく、本当になんとなく、僕はリモコンのCDプレイヤーの再生ボタンを押した。


 

 ――世界が一変する。


 全身を稲妻が走る。

 血液が沸騰する。

 首の後ろから後頭部にかけて味わった事のない痺れを感じ、自分自身の全身が鳥肌に包まれているのを、生まれて初めて実感した。


(一体なんだこれは……)


 せいぜい学校の音楽の授業と、テレビから流れる流行曲と、親が時折口ずさむ、有名な古い歌謡曲程度しか音楽に触れる機会の無かった、ごくごく一般的な小学生の僕は、その一切の情け容赦ない音の暴力に、完全に打ちのめされる事になる。


「おっ、メガリスのシューティングスターだな。良い趣味してるじゃないか」


 急に後ろから聞こえた声にハッとして振り向くと、そこには学校帰りなのかバイト帰りなのかは分からないが、心底嬉しそうに、ニヤニヤといらずらっ子のような笑みを浮かべた兄が立っていた。


「めがりす……? しゅーてぃんぐ……?」

「うん、最近急に飛び出してきた、アメリカのデラウェア出身の若手5人組のメロディアスロックバンドだよ。その曲は向こうでも映画にタイアップされて一気に有名になった、シューティングスター。良い曲だろ?」


 兄の言ってる事はほぼ呪文のようで、全く意味は伝わってこなかったが、(勝手に部屋に入った事を怒られるかもしれない)と思っていた僕は訳も分からず、ただ「良い曲だろ?」だけに反応して、壊れたオモチャの様にコクコクと首を縦に振る。


「やっぱ血は争えないな。小学生にメガリスの良さが分かるとは予想外だったけど、良いものは理屈や世代を超えてもやっぱり良いって事なんだろうな」


 そう言って兄は、一人で勝手に何かをウンウンと納得すると


「他の曲も聴いてみるか? メガリスでも、別にメガリス以外でも良い曲はイッパイあるぞ?」


 もしかしたら兄は、周りに同じ趣味を持つ人間がいなくて寂しかったのかもしれない。

 ただでさえ世の中は、邦楽アマチュアロックバンドで沸き立っていた頃である。

 例え小学生の弟でも、同じ音楽に共感してくれた事が嬉しかったのかもしれない。



 それからの僕は洋楽ロックについて、兄から英才教育を施される事になる。


 後から考えても、気軽にネットで検索というわけにもいかなかったあの当時、兄の知識情報量は並大抵ではなかったと思う。

 しかし兄はそんな知識をひけらかすでもなく、逆に隠すわけでもなく、決して馬鹿にしたり上から目線で語るでもなく、ただ同じ趣味を持つ同胞として、小学生の僕相手でも、ありとあらゆる洋楽ロックに関する知識や情報を分け与えてくれた。


 

 ――そしてそれから1年後の小学5年生の夏休み。


 僕は生まれて初めて、本気で兄に頭を下げた。


 兄の部屋のクローゼットの奥で、完全にただの置物と化していたアコースティックギターを「どうか譲ってください」、と頼み込む事になる。


 恐らく長男の大学入学祝いや、バブルの名残もあったのだろう。

 当時の大学生が新車で車を買ったりする事も珍しくなかった時代だし、兄自身がバイトをしてた事もある。


「勢いで買ったはいいけど、俺はどうにも演奏する方には向かないのか、どうせただの置物だし。お前が使ってくれるって言うなら、タダであげても全然構わないよ。でも欲しい物を頑張って手に入れるってのも、それはそれでまた達成感があるって言うか、その過程が重要だったりもする。だからイッチーが自分でバイトを出来るようになったら、その時に少しずつでもいいからお金を払って買い取るって言う約束ならいいよ」


 それだけ言って快く渡してくれた、ハードケースに入った、まるで工芸品のような美麗なギターを、僕は王様から宝物を賜る騎士のような気持ちで、うやうやしく受け取ったのだった。



 そして中学に入り、親類のお手伝いという名のバイトや、お小遣い、お年玉などを約束通り可能な限り兄に返していった。


 当時ギターに関する知識なんて、当然全くあるわけもない。

 僕は、ただ(ギターってなんて綺麗なんだろう)程度の感想しか抱いてなかった。


 結果的に元値の3分の1程度の値段で譲ってくれた兄のギターは、後にようやくそれなりに楽器の知識を得た僕の度肝を抜くことになる。



 同じ名前を冠しながらも、現行モデルとは全く細部の完成度の違う完全な手彫り製ヘッド。

 エレアコでありながら、アンプを通さなくてもその素材と作りで、通常のアコギにも引けを取らない、野太い生音と中低音を叩き出す、分厚い丸みを帯びたボディー。

 他のギターにはまず見られない、特殊なトップ素材に映える濃紺のブルーバースト。


 僕の持つモデルと全く同じ作りの物は、今までの人生の中でも一度も目にした事が無い、数少ない初期型。


【オベーション スーパーアダマス】

 


 それがその後の僕の人生を変え、そして人生を共にする事になる運命の出会い。


 文字通り正真正銘、僕の宝物となったギターの名前だった。

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