第七章 -When the wind comes- 精霊

 食後ティアレが淹れてくれたアーヴ茶を2人で楽しむ。

 今日も空は高く、呆れるほど晴れ渡っている。


「今度忘れずにコーヒー買わないといけませんね」

「あ~、昨日のね。別に気にしなくていいのに。僕このアーヴ茶も凄く好きだよ?」


 元々向こうでは紅茶よりもコーヒー派だったけど、こうやって飲み慣れてくると、紅茶も全然悪くない。

 単に飲む機会が少なかっただけなんだろう。


「そう言えば、さっき口ずさんでたのって、僕が昨日演奏した曲だよね?」

「えっ、聞こえてたんですか? って言うか私歌ってました? 恥ずかしいな~、もう」

「そんな事ないよ。凄く綺麗な声だったよ」

「や、やめて下さいっ。昨夜イッチーの歌を聴いた身としては、お世辞でも恥ずかしい通り越して、申し訳なくなっちゃいますから」


 別にお世辞のつもりはなかったけど、ティアレは赤くなった顔を伏せて、手をパタパタしている。

 実際一度聴いただけで、メロディーラインはしっかりしていたし、きっと元々音感が良いんだろう。


「あの、あれってイッチーさんの歌なんですか?」

「ん~っと、正確には僕の曲じゃないね。別の人が作った曲だよ。僕はそれをアレンジしただけ」

「アレンジ? アレンジって何ですか?」


(もしかしてこっちの世界じゃ、曲のアレンジってあまりしないのかな?)


「どう言えばいいかな……。元々の曲の曲調を変えたり、テンポを変えたり、場合によっては演奏方法も変えてみたり。とにかく元の曲だけを使って、全く別の曲みたいに変えて演奏する事だよ」

「そ、そんな事も出来るんですか??」


(ティアレの反応からすると、やっぱりあまりこっちではポピュラーじゃないらしい)


「出来る出来ないで言えば出来るけど、何でも変えればいいって訳じゃないし、元の曲に対する敬意も忘れちゃいけないからね」

「そ、それじゃあイッチーさんの歌もあるんですかっ!?」


 結構食い気味だった。


「ん~、結構ある、かな?」

「どれぐらいあるんですか?」

「えぇ……。どれぐらい、だろう……」


 正直数えた事は無かった。

 アーリーバードが現役時代にリリースしたアルバムは20枚以上になる。

 ただ大人の事情ってやつで、売上の良いライヴアルバムもそれなりに出していたので、曲数で言えば被ってる曲も割とある。

 後は作っただけで、結果的にリリースしなかった曲も含めると。


「大体200曲とかそんぐらいになるのかな……?」

「に……、に、にひゃくっ!?」


 紅茶のカップを持ったまま、ティアレは卒倒しそうになっていた。


「ちょ、ちょっと大丈夫ティアレ!?」

「あ……、はい。ごめんなさい、ちょっと目眩がして……」


 そして大きく深呼吸を一つすると


「あの……、もし良かったら、今度イッチーさんの歌も聴かせてもらってもいいですか……?」

「えっ、そりゃもう機会があればいくらでも。別に出し惜しみする様な物でもないし」

「ほ、ホントですかっ!?」


 そう言うと本当に嬉しそうに、パァっと溢れそうな程の笑顔を浮かべていた。


(僕がティアレの為に出来る事はこれぐらいだし、そんなに喜んでくれるならまた聴かせてあげよう)


 そんな事を思いながら、ゆっくりと紅茶のカップを傾けた。



「さて、それじゃあそろそろ」


 立ち上がったティアレに続いて、僕も出発の準備を手伝う。

 とは言っても、元々それ程大量の荷物を降ろしてる訳でもないので、片付けはすぐに終わる。


 ギターを背負い、さあ後はココルに乗るだけ

 というまさにその時――


「ズガァアアアアアアアアン!!!」


 遥か遠くから響いてくるとんでもない轟音と共に、世界が傾いた。


(地震だっ!)


 そう思った直後の僕の行動は、自分でも驚く程早かった。

 ティアレを胸元に引き寄せると、そのまま頭をかき抱くようにして倒れ込む。

 それ程の数ではないにしても、周りには背の高い木々も並んでいるし、実際ピシピシと嫌な音を立てながら大きく揺さぶられている。

 外でこれだけ揺れてるって事は、震度やマグニチュードで言えば相当な大きさのはずだ。


 後で冷静に考えてみれば、ティアレには魔術もあるわけだし、僕のこの行動はむしろただの余計なお節介と言えた。

 でもその時の僕は、恐らく向こうの世界での最後の記憶がフラッシュバックして、とても冷静じゃいられなかった。


 暫くそのままの姿勢でいると、揺れ自体はいくらか収まってきた。


「よくあるの? 地震」

「地揺れですか? い、いえ……、でも……、そんな、まさか……」


 腕の中のティアレはどこか目も虚ろで、元々透けるように白かった肌も、今や血の気も失せて青白くなっている。

 体も小さくカタカタと震えているし、ただ事じゃないのは確かだ。


 地面からの揺れはもう収まってるはずなのに、周りの様子はあまり変わらない、どころかさっきより悪くなってるように見える。

 冷静に周囲を見回してみると、それは地震ではなく、とてつもない突風によって巻き起こされていた。

 まるで大型台風直下の嵐の有様だった。


 地震が収まった以上、このままここにいるのは、かえって周りの木々が危ない。


「ティアレ、立てる?」

「は、はい……。ありがとうございます」


 ようやく今の2人の状態に気付いたティアレが、軽く目を逸らす。

 体を離して先に立ち上がると、今回は僕の方から手を差し出す。

 さっきまで青白かった顔を、今度は真っ赤にしてティアレが立ち上がる。


 いくら魔術が使えて何でも出来るとは言っても、15歳の女の子だ。

 僕がしっかりしないと。


 ティアレの手はそのまま離さずに、空いたもう片方の手でココルの手綱を握ると、暴風の中に踏み出す。

 立ってるだけでも吹き飛ばされそうだったが、なるべく体を低くしてゆっくりと足を進める。


(とにかく危険そうな木々からは離れないと)


 どうにか一番大きな木の根元に辿り着いたのと、さっきまでいた辺りで、小さめの木々が物凄い音を立てながらへし折れ、一瞬で吹っ飛んでいったのはほとんど同時だった。


 さすがにこのサイズの木が飛ばされるって事はないだろうから、とりあえずは安全なはずだ。

......................................................


(早く、早く~)

(呼んでるよ~)

(なんか怒ってるよ~)

(呼んで来いって! 呼んで来いって!)


「えっ、まさかまた精霊!?」

「ん? どうしたのティアレ?」


 イッチーさんが不思議そうに私の顔を覗き込んでくる。

 さっきの事を思い出してしまって、また顔が熱くなる。

 

 一瞬の躊躇いすら見せずに、私を庇ってくれた。

 何も出来ず、震えてるだけだった私の手を引いてくれた。

 決して強いわけじゃないのに、私を守ってくれた。


 私は生まれて初めて味わう、静かな胸の高鳴りを感じていた。


(い、今はそんな事考えてる場合じゃないからっ!!)


 頭を振って雑念を追い払う。


《イチャついてる場合じゃないよ~》


「い、い、イチャついてませんっ!」

「ど、どうしたの? ティアレ?」


(あ~、そうだった。イッチーさんには精霊の声も聞こえてないんだった)


「あ、えっと今精霊が話し掛けてきてて」

「精霊が? それでなんて?」

「なんか呼んでるって」

「呼んでる? 誰が?」

「いえ、それはまだ……」


(いいから、とにかく早く~)

(ついてきて~)

(わたしたちが怒られちゃうんだってば~)

(だからイチャついてる場合じゃないよ~)


「良く分からないんですけど、とにかくついてこいって言ってます」

「えっと、それって大丈夫なの?」

「はい……。少なくとも、精霊が直接危害を加えるような事は絶対にないので、多分大丈夫だと思いますけど……」


 前回の似たようなシチュエーションを思い返す。

 直接じゃなくても、何かに巻き込まれる可能性はあるけど、今は言ってもしょうがない。


「なんにせよ、このままじゃどうしようもないよね」

「そうですね……」

「でも、こんな中どうやって進む?」


 確かに言われてみれば、こんな暴風の中とてもじゃないけど先に進めない。


(もうしょうがないな~)

(助けてあげるから早く行くよ~)

(ほらほら、マナをちょうだい~)


 これまた覚えのあるシチュエーションだったけど、今は気にしてる場合じゃない。


 言われた通りマナを送り込むと、私達の周囲だけピタリと風が収まった。

 多分風精霊の力なんだろうけど、二度目とは言えやっぱり凄い。

 少し離れた所には、今にも根元から吹き飛ばされそうな木々が見える。


「凄いなこれ……、精霊がやってるの?」


 そう言えばイッチーさんは、見るのは初めてだった。驚くのも無理はない。


(イッチーさん自身が呼んでるわけじゃないなら、だけど……)


「はい、とにかく今は急ぎましょう。事情は分からないですけど」


 2人揃ってココルに飛び乗ると、精霊達に導かれて西の山脈へと向かう。

 また進路から遠ざかってる気がするけど、それは多分言ってもしょうがない……。


(さぁさぁ、急ぐよ~)

(わたしたちが怒られちゃうからね~)

(早く、早く~)


「あっ……」


 今私はこの暴風を抑えてくれてる精霊の為に、マナを送り続けてる。

 何だか嫌な予感がする……。

 デジャヴを感じる……。


「イッチーさん、しっかりつかまって下さい!!」

「えっ? 急にどうしたの?」

「説明は後でしますから! とにかくつかまって下さい!」


 ――次の瞬間

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