第五章 -Listening in the...- 決意

「でも……本当にいいんですか?」


 そこから先は、私よりもむしろイッチーさんの方があれこれ戸惑ってるみたいだった。


「はい、いいんです」


 これで私は結構頑固な所があるらしいし、一度こうだと決めてしまえば、切り替えも早い方だと思う。

 それにイッチーさんは随分と申し訳なく思ってるみたいだったけど、私の方にも全く打算が無いってわけでもなかった。

 

 多分私が一番悩んでたのは、二人で旅をするという事。

 世界を見て回りたいという夢がようやく叶った矢先に、誰かと連れ立って、これからの旅を続ける事に抵抗があったんだと思う。


 でもそれと同時に、これから先ずっと一人で旅をする事への不安が無かったと言えば嘘になる。


 自分自身の成長の為って意味なら、一人で旅を続けるのもきっと正しい選択なんだろうけど、それは全部全部一人で完結してしまうって事でもある。

 楽しい事や辛い事も、誰かと共有したり分け合ったり、笑ったり怒ったりする事もない。

 なんだかそれは、とても寂しい事の様に思えた。

 そんな当たり前の事を、このほんの僅かな時間、イッチーさんと話をしていて、嫌と言う程痛感してしまった。



『明日、旅に出たあなたは、恐らく一人の少年と出会う事になるでしょう。出来る事ならば、どうかその少年の力になってあげて欲しい。これは、単なる私の我儘であり、願いでもあります』


 ――夢の中でミナストス様はそう仰っていた。


 でも同時に、これは無理強いや命令の類などでは一切なく、全てを決めるのは私自身だとも言っていた。

 そしてそれは、きっと彼の方にも同じ事が言えるだろう、とも。

 あれは多分イッチーさんの事を言っていたんだとは思うけど、もちろん確証はない。


 それに夢での事は、私が最終的に答えを出すほんの小さなきっかけにはなったけれど、結局最後に私の気持ちを動かしたのはイッチーさんだった。

 きっと自分自身は藁にもすがりたいだろう状況にも関わらず、あの時イッチーさんは私に助けを求めようとはしなかった。

 間違い無くあの時イッチーさんは、私に別れを告げ、一人で行く道を選ぼうとしていた。

 私に迷惑を掛けまいと、そしてそう悟らせまいと、精一杯優しく笑って。


 そんな想い程、かえって周りには良く伝わる物だ。


 そんな彼となら一緒に旅をしていけると。

 いや、一緒に笑ったり怒ったり悲しんだり、そういう時間を共有していけるんじゃないかと、そんな風に思えた。



「よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いしますね」


 二人揃って顔を上げた時には、さっきまでのモヤモヤは一瞬でどこかに吹き飛んでしまった。

 この時見たラスティロ湖の輝きを、多分私は一生忘れないんじゃないかと思う。



 人間現金なもので、一安心すればお腹も空く。

 先にお腹が鳴ったのはイッチーさんだったけど、実は私もお昼過ぎに一度休憩を取ったっきりだったので、正直お腹ペコペコだった。


(先に鳴らないでくれてありがとう、私のお腹)


 それから色んな話をした。


 魔術の事、おばあちゃんの事、スキルの事、精霊の事、お母さんの料理の事、お父さんの事。

 今日初めて会った相手とは思えない程、イッチーさん相手には不思議と何でも話せてしまう。


 こんな風に焚き火を眺めながらゆっくりと過ごす時間は、何よりも大切な物のように思えた。


「そんな事ないよ。僕もあった方がいいと思う」

「そう……ですよね」

「うん」


 だからイッチーさんがそんな風に言ってくれた事は、本当に嬉しかった。


 

「じゃあ、何か演奏して下さいっ」


 思わずそんな言葉が飛び出してしまったのも、多分優しいイッチーさんに甘えてしまったんだと思う。


 千年という気が遠くなる程の間、長く長く続いた大戦によって『音楽神イチハ』様を失い、この世に新しい音楽が生まれなくなってからから1600年余。

 今では音楽を奏でる人も、ほとんどいなくなってしまったと聞く。


 元来エルフの民は、森と共に生き、音楽を奏でる。

 緑を愛し、そして音楽を尊ぶ。


 そんな中で生誕祭や収穫祭など特別な時に訪れる、1600年以上前の音楽を守り続ける、数少ない吟遊詩人や楽士は非常に重宝される。

 その為に納める金額も少なくないと聞くし、決して軽々しく演奏を頼んでいいようなものじゃないはずだった。


「あっ……。ごめんさい。ちょっと図々しかったですよね……」


 勢いで言ってしまったとはいえ、さすがに反省する。

 怒ってるんじゃないか、嫌われてしまったんじゃないかと心配になる。


「全然そんな事ないよ。僕は聴いてくれる人がいるなら喜んで演奏する」


 ところがイッチーさんの口から出てきたのは、そんなとても優しい予想外の言葉だった。

 そして言うが早いか、呆気に取られる私をよそに、本当に演奏を始めるつもりなのか、さっき楽器だと言っていたケースに手を掛ける。



 ――その時の衝撃を表す言葉を、私は持ち合わせてない。


 あまりのショックで、私はまるで金縛りにでもあったように、身動みじろぎ一つ取る事が出来なかった。


 彼が何気なく、その見た事もない素材で出来たケースから取り出したのは、いくらその手の知識が全く無い私でも、さすがに一目見ただけで分かる。


(これは『至宝』や『伝説級の宝具』と呼ばれる類の物だ……)


 なんで彼がそんな物を持って歩いているのか、これっぽっちも分からない。

 そんな国宝級の逸品を、何ら気負う素振りすら見せずに、慣れた手つきで気軽に扱っているイッチーさんの方が、それ以上に理解不能すぎて頭が悲鳴を上げそうだった。


(これが……、これが本当に楽器なの……?)


 あえて言えば、吟遊詩人などが持っているリュートに似ているけど、形状や細かい造りなどは全く違う。

 さっき彼は一瞬『ギター』と呼んでいた気がするけど、それがこの楽器の名前なんだろうか? 今まで聞いた事も無い名前だ。

 そしてそれ自体の美麗な造りももちろんだけど、何よりもが持つ独特なオーラと言うか、まるで魂を宿しているかの様な、不思議な迫力と存在感がある。 

 

 続けて彼が取り出した物も、どれもこれも私が今まで一度も目にした事が無い物ばかりだった。(せいぜい私に理解出来たのは、その楽器を体に固定する為の皮のベルトぐらいだろうか)


 彼が調律の為に軽く弦を爪弾くだけで、これまで一度も耳にした事のない、震えが来るほど美しい音色が響いた。


 正直に言えば私はこの時、演奏に対する期待や喜びよりも、(これから一体何が始まってしまうんだろう)と言う畏怖にも似た崇敬を感じ、軽々しく演奏を頼んだ事を少し後悔し始めていた。


 ところが、それまでは慣れた手つきで準備を進めてるように見えた彼が、一瞬固まる。

 急に不安そうに、爪弾いた弦の音と自分の声を合わせたり、左手を自分の左耳に当てながら、「ん~」とか「ふ~」とか口ずさんでいる。


 そう言えば、あまりにも自然にイッチーさんと会話している事で、すっかりが頭から抜けていたけど、記憶の方はどうなんだろう?

 歌や演奏を忘れてしまっている可能性だって、充分にあるんじゃないだろうか。

 そこに思い至って、自分のしでかしてしまった事の重大さに申し訳なくなってくる。


 その時、たまたま視線を上げたイッチーさんと目が合った。

 私の方を見たと言うよりは、本当にたまたま、向けた目線の先に私がいただけなんだと思う。

 もしかしたら不安そうな顔を見られてしまったのかもしれない。


 その一瞬に、一体どんな意味や効果があったのかは分からない。

 けれど、その直後からイッチーさんの様子が急に変わった。

 何が、とはうまく言えないけれど、さっきまでの不安そうな様子は微塵も無くなり、自信に満ちた表情で淀みなく準備を進めていく。

 

 不思議な形をした金具を首から下げると、これまた見た事のない、ローブから取り出した小さな箱に収まっていた金属の笛? の様な物をその金具に取り付ける。

 イッチーさんが確かめるようにその笛を鳴らすと、今まで聴いた事もないはずなのに、なぜかどこか懐かしさを感じる、とても優しく澄んだ音色が響き渡った。

 続けて、手のひらに収まってしまうぐらいの、小さな金属を楽器の弦の部分に取り付ける。

 そして最後にケースからとても小さな爪? の様な物を摘まみ上げると、静かに夜空を見上げた。


 とても穏やかな表情で微笑んでいる。


 つられて私も同じように見上げてみる。


 そこにはいつもと同じ、見慣れた夜空があっただけだった。

 けれど理由は良く分からないけど、今イッチーさんが見ている空と、私が見ている空は、なぜか違うような気がしてならなかった。


 視線をイッチーさんの方へと戻す。


 彼は私が淹れたお茶で口を潤してから、静かに目を閉じた。

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