第五章 -Listening in the...- 黒曜石の少年
「ここから一番近い街か村って、どの辺りになりますか?」
そう切り出した時の彼は、どこかもう達観してしまっているようにも見えた。
私が言うのも変だけど、年相応じゃないと言うか、さっき言った妙に落ち着いた雰囲気や、柔らかい物腰のせいもあって随分大人びて見える。
(なんかズルい……)
こういう所はまだまだ私が子供なんだろうけど、もちろん別にイッチーさんが大人っぽいのがズルいって意味じゃない。
私の方はまだあれこれと、どうするべきか思い悩んでるのに、自分はサッサと見切りをつけてると言うか、とても笑っていられる状況じゃないのに、自分の事よりも私の方を優先して考えてる。
そんな所がズルいと思った。
ここから一番近くて、ある程度の規模で安全な土地だと、それは多分レディウス村になる。
でもさすがに、村を出たその日の内にとんぼ返りは避けたい。
イッチーさんの目的地がレディウス村だったら、何も悩む事はないけど、それも確かめようがない。
中央街道まで戻れば、街道沿いに小さな集落程度はあるけど、この年齢で更に記憶も失くしたを一人、抱えられる程の余裕があるのかと考えると正直厳しいと思う。
ここ西の大陸では、豊かな緑に覆われた北端のレディウス村、小さな港と広大な穀倉地を持つ南端のラントルム、そして大陸最大の港を持つ東端のノーベンレーン。
この3つの地域以外はどこも似たり寄ったりで、自分達の生活で精一杯だと聞く。
それに加えて、魔物や魔獣の驚異も無視は出来ない。
それならいっそ一時的にでも、ラスティロ湖やラスティロ山に拠点を張っている、ドワーフや商人達に身を寄せた方が、よっぽど安心なのかもしれない。
(ダメだ。こんなんじゃ全然ダメだ……。結局私は周りに何とかしてもらう事しか考えてない。私はどうするべきなのか……。私はどうしたいのか……)
おばあちゃんがくれたネックレスを手に取り、目を落とす。
貰った時には気付かなったけど、裏には古いエルフの言葉でこう書かれていた。
『道無きて往くは
道も無い場所を進むのは何の手掛かりも目印も無い。
けれど進んだ先で振り返ってみれば、そうやって自分の作った足跡が道を作っていく。
確かそんな意味だったはずだ。
(初めから道があるわけじゃない……)
――次に顔を上げた時には、もう私の心は決まっていた。
イッチーさんの手を取り丘を登って行く。
とても柔らかい綺麗な手だった。
少しだけ、自分の荒れた手が恥ずかしいと思ってしまった。
女の私よりよっぽど女の子みたいな手をしている。
けれどなぜか指先だけは、まるで老練のドワーフの鍛冶師の手の様に、厚く固くなっている。
ラスティロ湖には、お父さんと一緒に何度か来た事があった。
この丘を登れば湖を一望出来るはずだ。
このタイミングなら、きっと夕日に照らされたラスティロ湖はとても綺麗だろう。
理由は自分でも良く分からないけど、イッチーさんにも見せてあげたいと思った。
2人でその景色を共有したいと思った。
「さぁ、あとちょっとです」
最後の数歩を先に駆け上がる。
思った通り、いや今まで私が見てきたどのラスティロ湖よりも輝いて見えた。
向こうには深緑を湛えるラスティロ山も見える。
「おぉ~……」
イッチーさんは、瞬きも忘れたように放心して固まっている。
期待以上の反応が返って来てちょっと嬉しい。
ずっと大人の余裕みたいな物を見せていたイッチーさんに、多少意趣返し出来たみたいだ。(そんな風に考えてるのがきっと子供なんだろうけど)
「イッチーさん」
「はい」
もう自分の中で心は決まってたとは言え、ちゃんと言葉に出して伝えようと思った。
そうする事で、自分の気持ちを再確認したかった。
私の決断は絶対に間違ってないって。
彼の瞳を正面から見つめる。
この辺りではほとんど見かけない、真っ黒な瞳と真っ黒な髪。
その黒い瞳は、湖から照り返される夕日に合わせてユラユラと揺れ、黒い髪は山から降りてくる風に煽られて柔らかく靡いていた。
どっちもとても綺麗だと思った。
そしてなぜか、どっちもとても彼に合っていると思った。
「私と一緒に旅をしませんか?」
言葉に出してしまえばなんてことは無かった。
むしろウジウジ考えていたのが情けなくなる程に、言ってしまった後の私の心は軽やかだった。
もちろん彼の記憶の事や、彼自身が抱えている物、2人で旅する事への不安。
色々考え始めたら喜んでばかりもいられないだろう。
けれど私はそういった心配や不安よりも、これから始まる旅への期待の気持ちの方が遥かに上回っていた。
それにどういう訳か、彼自身の人間性や、彼が男であるが故の危険性、みたいなものにはこれっぽっちも疑いを持ってはいなかった。
これでも一応人を見る目には自信があるつもりだ。
これでもしイッチーさんが、羊の皮を被った極悪人だったりしたら、さすがに私は自信喪失で立ち直れそうにない。
どれもこれも、きっと私がまだ子供だからこその甘さなのかもしれない。
でも、今はそんな無鉄砲で無計画な子供でもいいと思った。
不安に立ち止まるよりも、これから先に待ってる旅の事を考えよう。
そう強く心に決めた。
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