第四章 -Singing in the...- 音楽の死んだ世界

 ――ケースを開けてを取り出す。

 ストラップを肩に掛けて位置を調整する。

 軽くチューニングを確認すると、不思議な事に全くズレはなかった。

 ケース内の収納スペースを開けると、そこには小さく折りたたまれたハーモニカホルダーがあった。

 分かってた事ではあるけど、このホルダーがあるって事は間違いなくこのギターはって事になる。



 ――昔とある音楽雑誌のインタビューで

「いつもハーモニカホルダーを持ち歩いているんだけど、ハーモニカホルダーってやつはとにかく嵩張って邪魔になる。半分に折りたたんだところで大して小さくもならないし、なんでどこのメーカーさんも、もっと小さく折りたためるホルダーを作ってくれないんだろう」

 みたいな事を喋った事があった。

 その記事を見たアーリーバードのファンの中に、町工場を営む社長さんがいた。

 彼は丁寧な手紙と一緒に、ワンオフで作ってくれた『小さく折りたためるハーモニカホルダー』を僕に贈ってくれたわけだ。

 その後彼は、小さく折りたためるハーモニカホルダーを筆頭に、『簡単にしっかり止まるカポ』や、『ワンタッチで脱着出来るストラップピン』など数多くのバンドマン便利グッズを世に送り出し大成功したらしいが、それはまた別のお話である。


 そして今手元にあるこのホルダーは、それが商品化される前の、しかないプロトタイプ。

 それがこのケースの中に入ってると言うことは、間違いなくこのギターは僕のギターだという事になる。


 せっかくなのでハーモニカを使う曲をやるのもいいかもしれない。

 何を演ろうかなぁと考え始めた所で、ふとある疑惑が頭を掠める。


(いや・・・待てよ。は本当に歌えるのか?)


 根本にして根源的な疑問だった。

 少なくともこちらの世界で目を覚ましてから今まで、僕はまだ一度もギターは弾いてないし当然歌ってもいない。

 今の僕と向こうの僕が本当にイコールなのかどうか確認する術はない。

 少なくともさっきチューニングをした時には、ほとんど無意識に近い状態でも音は取れてたはずだ。


 念の為、左手の中指で軽く左耳を押さえて自分の音を確認してみると、チューニングの時と同じように問題無く音は取れる。

 もっともその可能性もあるけど、そこまでいってたらもう完全にお手上げだ。


 ――その時、たまたま送った目線の先にいたティアレと目が合う。

 ティアレはちょっと心配そうな顔で、僕の方をじっと見つめていた。


 一気に頭が冷め、我に返る。


(馬鹿か僕はっ! 何をゴチャゴチャ思い悩んでるんだ! 第一僕にはしかないじゃないか! 聴いてくれる人を不安にさせてどうする!)


 ローブのポケットの中にあったハーモニカケースを全部出す。

 ホルダーを取り出し首に掛けると、位置を調整する。

 一瞬考えてから、Dキーのハーモニカをセットした。

 軽く唇を舐めてから、一度素早く端から端まで全音鳴らす。

 カポは2フレットにセット。

 最後にケースからトーテックの1mmを摘み、夜空を見上げてみる。


 そこには、まるで手が届きそうな程の距離に、怖いぐらいの満天の星星。

 焚き火を囲み、辺りは見渡す限りの地平と草原。


(うん、悪くない。これは全然悪くないじゃないか)


 こんなシチュエーションでの曲や演奏を、頭に思い浮かべたりした事は何度もあったけど、まさか本当にそれが叶う日が来るとは夢にも思わなかった。

 せっかくだから、カントリー調やフォーク調、ケルト調なんかもいいかもしれない。


 最後に、ティアレが淹れてくれたお茶を一口飲んでから軽く目を閉じた。

 

 『オーバー・ザ・ムーン』


 僕が選んだのは思い出のその曲だった。




 軽いギターリフから入って、すぐにアレンジしたハーモニカを被せる。


 空気が澄んでるせいなのか、ハーモニカの音も良く伸びる。


 歌い出しは柔らかく、語りかけるように入る。


 自分の声が、まるで外から聴いてるように鮮明に聴こえてくる。


 ギターの一音一音が、鼓膜を震わせ、脳に染み渡り、酸素のように血流に乗り、体の隅々まで細胞へと送り込まれていく。


 全ての音一つ一つがかつて無い程明瞭に、けれど同時にとなって返って来る矛盾に酔いしれる。


 恐ろしく喉の調子が良い事に気付く。


(ああ、やっぱりこれだ……。結局、僕はこれなんだ……)


 救いようがない程の音楽馬鹿な自分を、どうしようもなく思う反面、愛おしくも感じてしまう。

 Bメロに入り、徐々に曲は盛り上がり始め、最初のサビが近付き始める。


(ああ、ダメだ。これはヤバイ。どうやら僕は完全にスイッチが入ってしまったようだ)


 ――瞬間、頭の中で一気に情報が炸裂する。


......................................................


 ・スキル【集音位置設定】オン

1.ギターピックアップ、設定完了

2.口元、設定完了

3.ハーモニカ前、設定完了 追尾座標設定、確認

 ・スキル【イコライザー】オン 各バランス調整、完了

 ・スキル【モニタリング】オン モニタリング位置、確認。モニタリング音声、スキル使用者にリターン、設定完了

 ・スキル【ヴォリュームコントロール】オン ヴォリューム3に設定

 ・スキル【アンプリファイア】オン 指向性、拡散に設定


......................................................


 コンマ1秒に満たない空白。

 その刹那で僕は全てを理解し、そして全ての設定を終えていた。


 でも今はいい。

 一体何が起こったとか、この世界の事とか、これから先の事とか、自分の体の事とか、向こうの世界の事とか、全部全部、細かい事は後回しでいい。


 今は……今この時だけは。

 僕は、僕はただ彼女の為に歌いたいんだ……。



 ――その歌声は、音色は、大きな大きなうねりとなって大気を震わせていく。


 直接その音は届かなくとも、何かを感じ取った者達はいたと言う。



 フォムト系第四惑星『メア』

 新神暦しんかんれき1020年12月25日

 この星で、実に1627年ぶりに新たな歌が誕生した記念すべきその日


 観客はたった一人、エルフの少女だった。

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