第一章 -Wonderer- チート

 ――ギター片手に一人草原を行く。


 孤高の旅人のようで聞こえだけはいいが、当の本人としては旅人と言うよりは遭難者の気分である。


 気候が快適なのがせめてもの救いだろうか。

 暑くもなく寒くもなく、日本で言えば良く晴れた春先のような心地良い天気だ。


 それに、これだけ人の手が入ってない土地を一人で歩くなんて経験は、滅多に出来るものじゃない。

 少なくとも僕の人生の中では一度も無かったし、恐らくほとんどの人にも早々あるものじゃないだろう。


 不思議と空腹も喉の渇きも感じない。


(最後に食べたのはいつだろう? 確かスタジオに入る前に皆でファミレスに行ったから、あれが最後か。飲み物はスタジオに水を持ち込んでるから、結構ギリギリまで飲んでるな)


 ボーッとそんな事を考えるが、そもそも時系列と言うか、あれからどれぐらいの時間が経過したのか。

 いや下手をすれば、時間が経過しているのかどうか以前に、僕自身が時間の概念がある状態にあるのかすら怪しい。


(考えてもしょうがないか)


 ある意味開き直って、壮大な自然が作り出す景色を楽しむ。

 生活圏が都内の人間にとっては、感動すら覚える程空気がうまい。


 ――思えば、常に日本中を駆けずり回った20年だった。

 30を過ぎてから多少ペースは落ちたとは言え、僕らはいつも『どこか』へ赴いていた。

 もちろんメンバー全員の希望あっての事だったが、バス、電車、飛行機、一つツアーが終わればまた次のツアーといった感じで、あまり一つ所に落ち着いた記憶というのが無い。

 そういう意味では、僕らは常に『旅人』だったと言えるのかもしれない。



 小一時間程歩いただろうか。(と言っても時間を確認出来る物が一切無いので勘でしかない)


 もう暫くすれば夕方、といった辺りまで日は傾いてきている。

 これだけ見晴らしの良い大自然が、一面オレンジに染まる景色はさぞかし壮観だろう。

 我ながらのんびりした考えだが、正直状況はあまり芳しくない。(と言うか非常に悪い)


 歩き出してからここまで、ただの一度も人影どころか人の手による物すら見かけてない。

 食事の事は一旦置いておくとしても、あと数時間もすれば、最悪この大草原での野宿になるだろう。

 野宿するにしても、一応それに相応しい場所の目処ぐらいは付けておきたい。


 大きな木の根元に手頃な岩を見つけたので、一度ギターケースを下ろすと、その岩に腰掛けて一息つくことにした。


 置かれている状況の割には意外と冷静だし、40に手が届こうかという体の割には、不思議と体の疲れも感じない。


(う~ん……。これはいよいよ死後の世界か、夢の中説が濃厚になってきたかなぁ……)


 それなら空腹や疲れを感じない事への説明も一応はつくが、確認する手段が無い以上、とりあえず今はまだ自分は『生きている』、という前提で行動を起こしたい。


「せめて誰か他に人がいれば、話を聞く事も出来るんだけどな~」


 木に寄りかかり、思わず独り言の愚痴が溢れるが、どうせ聞いている人もいない。



 ――その時だった。


 視界の隅に、一瞬何かが素早く動いたのが映る。


 目覚めてからここまで、風に揺れる草木以外では雲ぐらいしか動く物を見ていない。


 サイズからして小動物か何かの可能性が高そうだが、それでも初めて自分以外の生物を発見した期待があった。

 僕は立ち上がると、その何かが移動したらしき小さな岩陰の方へと足を向けた。


 あまり警戒させても逆効果なので、猫でも呼び出す気持ちでその場にしゃがむと


「出ておいで。怖くないよ」


 そう声を掛け、右手を差し出す。


 30秒程そのままの姿勢で待っただろうか。

 もう一度声を掛けてみようかな、と思い始めた頃、はピョンといった感じで、岩陰から姿を見せたのだった。


「……はい?」


 の登場により、現在置かれている状況の可能性のいくつかが瞬時に消えたのは有難かった。

 けれど同時に、僕の頭の中にあった、『そこから出てくると予想されるリスト』の中のどれとも一致していない、どころか掠りもしていなかった。



 ――スライムだった……。


 世界中で最も知名度が高いと予想される、頭のてっぺんがちょっと尖った青いスライムではなかったが、丸っこいフォルムにプヨプヨとした柔らかそうな体は、多分スライムと呼んで差し支えないだろう。


 幸か不幸かは分からないが、とりあえずこれで夢の中じゃない限りは、異世界説が一気にトップに躍り出た。

(地球から遠く離れた惑星という可能性もあるが、その場合は確認でもしない限り、僕の主観では異世界と変わらないだろう)


「……」


 人間想定外の事態に遭遇すると思考停止するというのは本当みたいで、僕はただしゃがみこんで、右手を差し出した姿勢のまま固まっていた。


 ここから先の自分の行動方針すら全く見えない。


 ――戦う?


(いやいや、それこそ全く意味が分からないし……)


 向こうから「ぼくわるいスライムじゃないよ」的に懐いてきてくれる、とかなら分かりやすいんだけど……。


 僕の期待も虚しく、僕ら一人と一匹? はお互い遭遇時の姿勢で固まったまま、暫く見つめ合っていた。(目がないので、向こうが僕を見ているのかどうかはこの際無視しておこう)


 このまま睨み合っていても埒が明かないので、一旦仕切り直すつもりで立ち上がる。


(まぁスライムと言えば最弱のモンスターと相場は決まってるし、最悪敵対するような事態になったとしてもどうにかなるだろう)


 ――そして次の瞬間、その予想は完全に甘かったと思い知らされる事になる。


 移動手段は全く分からないが、は予想外のスピードで走り寄ってくると、そのまま僕の腹のど真ん中目掛けて突進してきた。


 見た目に反して、まるでサンドバッグか水袋ででも殴られたかのような強烈な衝撃。


 全く予期していなかった事態に対応も出来ず、軽く数メートルは吹っ飛ばされ、殺しきれない勢いのままもんどり打って地面を転がる。

 肺の空気を綺麗サッパリ吐き出す羽目になり、酸欠で目の前が霞む。

 何も口にしていなかった事が幸いして、胃の中身を撒き散らす自体にはならずに済んだが、痛みと酸欠で全く身動きが取れない。


(滅茶苦茶つえー! スライム超こえー!)


 スライム舐めててごめんなさい、と言いたい気持ちもあったが、伝わる伝わらない以前に声すら出せない。


(ヤバイ……。とりあえずこれはヤバイ……)


 今まで人生の中で、殴り合いの喧嘩すら一度も経験した事のない僕だが、自分が今非常にマズイ状態にある事だけはハッキリと分かる。


(何か、何かないのか?)


 武器などの類は一切身に付けてないのは確認済みだが、こうやって異世界に飛ばされて来た以上、僕には何か特別な力があるとか、特殊なスキルを発動するとかいうのが普通なんじゃないのか?

 何が普通なのかは良く分からないが、これが藁にも縋る思いというやつだろう。


 ――その時、頭の中にメッセージと言うよりは、イメージに近い何かが浮かぶ。


 《風精霊の加護により、特殊スキル【アンプリファイア】を習得しました》

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