第六章 -Ride like the wind- ココル
「んんッ……」
草を踏む音と人の気配を感じて目が覚める。
どうやら今回は普通に目が覚めてくれたようだった。
「あっ、ごめんなさい。起こしちゃいましたか? ちょっとココルに水をやりに行ってて」
声のする方へ顔を向けると、そこには朝日を浴びて微笑むティアレの姿があった。
白馬を携えたその姿は、朝露のフィルターを通してキラキラと輝き、本当に映画のワンシーンの様な神々しさだった。
「いや、そんな事ないよ……。ん~っ……、いててっ……」
車の中やソファで寝るのは、慣れてると言うよりほとんど日常みたいなものだったけど、さすがに野宿の経験はなかった。
一応、自分の着ていたローブを敷布団代わりに敷いてはいたけど、腰や背中がやたら痛い。
気候が穏やかなのと、ティアレが貸してくれた魔術付与が施してあるという布のお陰で、暑さや寒さの心配をしなくていいのはホントに助かった。
「イッチーさん、体痛いんですか? 昨夜は凄かったですもんね……。私凄すぎて、腰が抜けちゃいました……」
「……」
(いやいやいや、ティアレさん?? 無自覚とは言え、さすがにその言い方はどうかと思いますよ? 多分演奏の事ですけどね? と言うかそれ以外にないですけどね? 誰も聞いてないから良いようなものの、僕が聞いてますよ?)
かなり頭が悪くなっていた。
まだ起き抜けで頭が回ってないらしい……。
「お、おはようティアレ」
体を起こして、ティアレが馬を繋ごうとしている所へと足を向ける。
「おはようございます、イッチーさん。良く眠れましたか?」
「うん、良くは眠れたんだけどちょっと体が痛くてね。多分これも慣れるんだろうけど」
「大丈夫ですか?」
人間はなんだかんだ言いながら、どんな環境にも慣れてしまう生き物だ。
人類史全体で通して見れば、布団やベッドで寝るようになったのなんて、つい最近と言ってもいいだろう。
「綺麗な馬だね。本物の白馬なんて初めて見たかもしれない」
「ありがとうございます、って私が言うのも変ですけど」
ふふっと笑いながらも、優しそうに馬の体を撫でている所を見ると、きっと自分の事の様に嬉しいって事なんだろう。
「ココルって言うんです」
「ココル?」
「はい、この子の名前です」
「なるほど。何か意味があったりするの?」
「古いエルフの言葉で『白き者』って意味です。実はあんまり良い意味じゃないんですけどね」
「どうして? こんなに綺麗なのに……」
これは別に気を使ったわけでも、お世辞を言ったつもりもなくて、ホントに綺麗だと思ったからだった。
「えっと、白い馬ってエルフの中では、あまり縁起が良くないって言われてた時代があったみたいなんです。もちろん今時そんな事を気にする人は、ほとんどいないですけどね」
ほとんど、って事は多少はいるわけだ。
「僕には全然分からない感覚かな。むしろ縁起が良さそうに思えるけど」
「えっと、あんまり近付きすぎない方が……」
僕も撫でさせてもらえないかと数歩足を進めた所で、先にティアレがやんわりとストップをかけてきた。
「あ、ごめん。まずかった?」
「いえっ、そうじゃなくて……。この子、凄く人見知りが激しくて……。私とお父さん以外には、ほとんど懐かなかったんですよね……」
「そう、なんだ……」
あと2,3歩の距離だったけど、そう言われてしまってはしょうがない。
残念だけど撫でてあげたい気持ちを抑えて手を下ろす。
「ブルルッ」
一声啼いたココルと目が合った、と思った時には、もう既に顔は真横まで来ていた。
「えっ?」
「あれ?」
まるでじゃれつく猫のように擦り寄ってくるんだけど、さすがに体が大きいので、それだけでもグイグイと押されてしまう。
丁度良い距離と高さに来ていた首元を撫でてあげると、急に大人しくなった。
「びっくり、です……。ココルが初対面の人に懐くのなんて、私初めて見ました……」
「そ、そうなの? 凄く大人しいけど……」
実際ココルは、今現在僕に体の方を撫でられながらも、せいぜい時々『ブルッ』とか『ブルルッ』って啼くぐらいで、嫌がる素振りすら見せなかった。
「いえ、きっとココルにも分かるんですね」
「?」
ティアレが言わんとしてる事は分かったけど、思い当たる節が特に無かった。
今まで動物から拒絶されるような経験は無かったけど、別に某プロ雀士の様に『よ~し、よしよしよしよしよしよしっ』と動物に無償の愛を注いでるわけでもなかった。
ともあれ、これから一緒に旅をする仲間になるわけだ。仲良くしてくれるに越した事はない。
「これからよろしく、ココル」
小さく告げた僕に、ココルはさっきと同じ様にブルルッ、と軽く啼いただけだった。
「イッチーさんお腹空いてますか?」
「あ~、いや、僕いつも朝は食べないから。コーヒーでもあれば、それで充分なんだけど……って言うかコーヒーってあるの?? ん? ちなみに昨夜淹れてもらったのは『紅茶』で合ってる?」
全く意識せずに言ってしまったけど、まずこの世界にコーヒーがあるのかどうかが分からない。
それに昨夜は『お茶』とは言ったけど、紅茶とかその辺りの定義が全く違う可能性もあった。
「? 私が苦いの得意じゃないので、今はないですけど、コーヒーじゃないと駄目ですか? それならラントルムに寄った時にでも、一緒に買いに行きましょうか。それと紅茶っていうのは良く分からないですけど、昨日のはアーヴ茶っていう種類ですね。それも探してみますか?」
「あ、ごめんごめん。そういう意味じゃないんだ。僕の記憶にある……、つまり僕の国の呼び方と一緒なのかなって思っただけで」
「そういう事ですか。それじゃまた昨日のアーヴ茶でも淹れましょうか?」
「うん、お願いしてもいいかな? あれも凄く美味しかったからね」
ティアレが淹れてくれたアーヴ茶をゆっくりと楽しむ。
ティアレは昨日のサンドイッチの残りをパクついていた。
静かな朝のひと時がゆったりと流れていく。
(本当に、こんなにのんびりとした時間を過ごすのはいつ以来だろう?)
好きでやっていた事なので特に不満は無いとは言え、過去を振り返ると、とにかくいつも忙しなく動き回っていた。
僕らの過去20年程の国内移動距離でも計算したら、どエライ数字になるんじゃないかと思う。
「えーと、それでもし良かったら今日の予定とか、今後の予定とか聞かせてもらってもいいかな?」
サンドイッチを食べ終わって、丁度ティアレもアーヴ茶を飲み始めた辺りで、声を掛ける。
「ん~、そうですね。ホントは真っ直ぐ中央街道に戻るつもりだったんですけど、ここからだったら……、あっ、そうだ。ちょっと待って下さいね。すいません、ちょっとこれ持っててもらってもいいですか?」
そう言って僕に自分のカップを手渡すと、荷カバンの置いてあるココルの方へと向かった。
戻って来た時、ティアレの手には丸められた何かが握られていた。
僕の前まで戻って来ると、それを目の前の草の上に広げる。
両手がふさがるので、ティアレのカップはそのまま僕が持ってる事にした。飲みたい時だけ渡せばいいだろう。
(あ、地図か)
すぐに何か分からなかったのは、それが僕の良く知る紙ではなく、パピルスの様な物だったからだ。
そんなに現物をマジマジと見たことはないので、パピルスと羊皮紙を見分けられる自信は無かったけど、形と質感的に多分パピルスの類だと思う。
「この地図は西の大陸だけなんですけど。さすがに世界地図は貴重で、簡単には手に入らないので……」
(世界地図は貴重なのか)
そう言えば地球でも、戦時中なんかは精密な地図は国家機密扱いになってたと聞いた事がある。
今僕の前に広げらてる地図も、緯度経度があって測量に基づいて描かれた、と言うよりは、漫画や映画に出てくる古文書に描かれた地図のような印象を受ける。
けれど魔法なんて存在がある以上、こういう所で『文明的に遅れている』と一概には言えない気がする。
必要性が無いのかもしれないし、人が簡単に踏み込めない様な領域があるのかもしれない。
「全然そんなのは構わないから。良かったら続けて?」
「はい。それじゃあ、一つずつ説明していきますね」
――そう前置きしてティアレは語り始めた。
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