List.03 -アーリーバード- 変わらぬ物
「おはようございますオーナー! 今日はバッチリ丸一日貸切にしてありますから、安心して心置きなく演奏してくださいねっ!」
「う、うん……。ありがとう美佳ちゃん……」
――都内某所
僕ら5人が生まれ育った地元から2駅程離れた場所にある、小さな貸しスタジオ。
普段はピアノ教室や、かつての僕らのような近隣の高校生、大学生バンドなどに向けて安く開放している。
元々は僕の叔父が所有していた物だが、アーリーバード解散とほぼ同時期に譲り受け、今では一応僕がオーナーという事になっている。
そして開口一発目から、テンション全開の目の前の女の子。
この子は
自称現役のアーリーバードファン。(解散しているが)
――今から3年程前の話になる。
元アーリーバードのメンバー、市原太一が経営する貸しスタジオが都内の外れにあるらしい、と言う噂だけを頼りに福岡から上京して来た挙句、見事にこの場所を突き止め、更に驚いた事に、解散後数ヶ月に一度程度のペースで集まって演奏していた僕らの演奏中に奇跡のようなタイミングで現れ、必死に引き止める叔父の制止を振り切ってスタジオに乱入し、ひとしきり感涙にむせび泣いた後、突然額を床に擦りつける勢いで土下座しながら「タダでいいのでどうかここで働かせて下さい!」と涙ながらに訴えた、という伝説を持つ女の子である。
メンバー5人全員が揃っていた事もあり、ここまでのファンを無下にもできないと言うことで、キチンと親御さんに了承を得る事を条件に、アルバイトという形で雇うことになった。
(後で確認したところ、家出というわけでもなく、春から通う事になる大学に関する諸々の下見なども兼ねていたらしい)
美佳ちゃんが、その通う予定だという大学の名前を口にした時、僕ら5人は全員言葉を失い凍り付く事になるのだが、それはまた別のお話である。
果たしていつ学校に行っているのだろう、と思うぐらいいつもスタジオにいるが、「単位は足りてるから大丈夫」と言う事らしい。
天才となんとかは紙一重と言うやつなのだろうか……。
皆黙々とセッティングを進める。
普段は適当なメンバーも、この時間だけは軽口を叩いたりふざけたりする事はない。
まるで神聖な儀式の様に楽器の機嫌を伺い、音に耳を研ぎ澄ます。
スタジオ内の機材に関しては、僕が暇を見つけては調整しているので問題はないだろうが、皆がそれぞれ持ち寄っている個人の機材に関しては、その本人にしか理解出来ない不可侵領域が存在する。
僕のギターと喉は普段から商売道具なので、大体いつも一番最初にセッティングを終えるのは僕だった。
ヒロの方に目を向ける。
マルチとコンパクトのバランス調整をしているらしい。
(あ、新しい音作ったんだ)
ヒロはマルチも使うが、「マルチだけの音は薄っぺらくて味気ない」と昔から言っており、どんな時でもディストーション、エコー、リバーブ、オーバードライブ、ディレイ、コーラスのコンパクトだけは決して手放した事がない。
(お、シュン今日はジャズベなのか)
シュンは一時期取り憑かれたようにジャズに夢中になっていた時期があり、その頃の名残なのか数本ジャズベースも所有している。
その時の気分でジャズベとプレベを使い分けているようだが、恐らく今日はジャズベの気分という事なのだろう。
フレットレスも問題なく使いこなすが、あまり音が好きじゃないと以前言っていた記憶がある。
(マサは相変わらずカワイか)
マサは実家が音楽一家という事もあり、元々アーリーバードに加入するよりも遥か前からピアノをやっていた。
正直僕にはそこまでの違いは分からないのだが、マサ曰く「一番タッチが近い」のだそうだ。
これが何代目なのか、他のメーカー製を持っているのかは知らないが、少なくとも僕はマサがカワイ以外のキーボードを使っている所を見たことがない。
ドッドッドッドッと地響きのような低音が下腹部を痺れさせる。
アキのツインペダルだ。
アキはツーバス(バスドラムを2つ置くセットアップ)はツブがバラけるから、という理由で絶対にツインペダル(1つのバスドラムに対し2つのペダルを使う方式)しか使おうとしない。
かさばって大変だろうに、まだ誰も車なんて持っていなかった学生時代でさえ、ツインペダルと自分のスネアだけは、文句一つ言わずに毎回スタジオに持ち込んでいた。
そして最後に自分の左手に視線を落とす。
もう既に自分の体の一部と言っていい程馴染んだ、オベーションのネックの感触。
音を出さないように左手を滑らせると、「キュイッ」と小さな甲高い鳴き声をあげた。
マーティンのシルクストリング。
この弦に出会ってから、僕のオベーションにこれ以外の弦を張った事は一度もない。
右手のピックはトーテックスの1mm。
ヘビーゲージではどうしても気になる耐久性の高さと、ライヴなどで汗をかいても滑らない、独特の素材が特徴的なスグレモノで、ケースの中には常に10枚程度は入れている。
防音扉の横には、小さな丸椅子に腰掛けた美佳ちゃんの姿が見える。
爛々と目を輝かせてはいるが、声どころか物音一つ立てずに大人しく座っている。
初回の乱入時は別として、美佳ちゃんが僕らと一緒にスタジオに入るようになってから、演奏中はもちろんセッティング中でさえ、僕らに話しかけてきたり興奮して暴れたりした事は一度もない。
ただ一曲終える度に、涙目になりながら小さな拍手を送ってくれるだけである。
代わりにスタジオを出てから「今日はあの曲の誰と誰のユニゾンが最高だった」とか、「あの曲の時の、誰々の入り方がオリジナルよりもカッコよかった」とか、演奏した僕らですら覚えてないような所まで、事細かく興奮気味に語ってくれる。
そういう所はやはり頭の良い子なんだと思うし、さすがは自称現役アーリーバードファンである。
僕らの定期演奏会の、唯一の観客というわけだ。
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