ぼくは妻を愛したことが無い
佐武ろく
ぼくは君を愛したことが無い
今日は早く帰ると言っていたが結局遅くなってしまった。疲れ切った体で妻の待つ家へ帰る。
妻とは結婚3年目。小さな喧嘩などはちょくちょくあったが幸せに暮らしている。妻は明るく少し子供っぽい。そしてドラマや映画が好きでよく影響を受ける。
例えば、事あるごとに「たまんねぇ」と言う日があったり、吐息たっぷりなセクシー口調で話す日があったり、あるドラマの登場人物の仕草や話し方を真似する日があったり、映画内でやっていた遊びを真似たり...
とまぁ、こういう妻なのだ。
そんな妻の待つ家に今日も帰ってきた。
「ただいまー」
いつもならすぐに玄関まで来てくれるのに今日は静まり返っていた。まぁ、聞こえてないのだろう。そう思いながら靴を脱ぎ家に上がった時、妻が出てきた。
「ただいま」
「もう帰って来たんだ」
そう言う妻の表情は不機嫌そうだった。遅れると早めに連絡はいれたのだが、怒っているのだろうか?いつもなら『やっと帰って来た!』なんて言いながら抱き付いてくるのに。でも仕方ない遅くなったのはぼくだから。
「遅れてごめんね」
「許さない」
そう言って妻は顔を逸らした。顔も見たくないほど怒ってるのか?これはどうにかして機嫌を治さないと。
「どうする?ご飯があと?お風呂があと?」
顔を逸らしながら妻が訊いてきた。なぜ、先ではなくあとなのだろう?でもそんなことは今はどうでもいいか。
「ご、ご飯があとで」
まずはお風呂に入りながらどうするかを考えよう。だが、結局何も思いつかなかった。お風呂を出ると妻と一緒に遅めの夕食。
いつもなら色々と話をしてくれるのに今日はだんまり。時折、目が合うと眉間に皺を寄せムッとした表情を見せる。
夕食を終えると妻の代わりに洗い物をした。
それも終え、リビングに行くと妻はソファに座っていつもなら見ないはずの報道番組を今日は見ている。ぼくが隣に座るといつもなら寄り添ってくるのに今日はササッと離れていった。
「遅れたのは謝るよ。ね?だからいつもの可愛い笑顔を見せてよ」
そう話しかけても妻は顔が見えないように体ごと逸らす。これはもしかしたら、遅れたことだけじゃないかもしれない。
「ねぇ。なんでそんなに怒ってるの?言ってくれなきゃ」
そう言いながら妻の体をこちらに向かせるため手を伸ばす。指先が肩に触れたぐらいで妻は顔を逸らしたまま子どもが駄々をこねるように両手を振り回した。
「嫌い!嫌い!嫌い!大っ嫌い!」
なんとも心痛い言葉を吐くとお風呂に去って行った。一度も顔を見せずに。ぼくはソファに深く座り長くため息を吐く。
「まずい。これは非常にまずい」
そしてどうするか考えた結果、まずは妻の好きなものの話題で徐々に怒りという感情を笑みに変えていきそれからなぜ怒ってるのかを聞くことにした。
そうと決まれば早速今日放送したばかりのぼくと妻がハマっているドラマの続きの録画を見なくては。
だが、ドラマを見終わる前に妻がお風呂から出てきた。
全部は見れてないけどここまで見れたのなら十分。それに今となってはさっきの作戦なんて破り捨て、言われた分はちゃんと言い返すことにしていた。
ソファから立ち上がったぼくはタオルを首にかけた妻の前に立った。
「さすがにぼくもあんな態度であんなこと言われたら悲しいよ」
ぼくが怒りながらそう言うと、妻は一瞬ビクッとしたが後ろのドラマを停止したテレビに気が付いた途端に眉間に皺を寄せムスッとした表情になった。その表情を見ながらぼくは続けた。
「だからぼくからもひとつ君に言っておくことがある」
ぼくはすぐには言わず少し間をあけた。
「ぼくは君を愛したことがない。これまで一度も。そしてこれからも愛することはない」
この言葉を聞いた妻は耐えきれなくなったのかぼくに抱きついてきた。ここで泣き顔でもしようものならぼくは妻のことがさらに嫌いになるだろう。そして案の定妻は泣き顔を、目尻に皺が生じさせ口角を目一杯上げながらこう言った。
「わたしだって...。世界で一番あなたのこと愛してないって自信があるんだから」
もうこれ以上何も言うことはない。言いたいけど、どれだけ言おうとこの気持ちを表すには言葉は無力過ぎる。その代わり両手で妻をいつもよりも強めに抱きしめた。
抱きしめ合うぼくらの後ろでテレビは、
愛情を与えられることなく育った主人公は嘘によって人生を塗り固め社会的地位を得ていたが自身の嘘によりそれは崩壊してしまった。だが全てを失った主人公を唯一見捨てなかった主人公に想いを寄せる女性のおかげでなんとかどん底から脱する。前ほどとはいかないものの不自由ない生活に戻ることが出来た主人公は愛を教えてくれたその女性に愛を誓う。そしてもう嘘はつかないと自分に誓った主人公は最後の嘘をついたという場面
を停止した状態で再生をまっていた。
ぼくは妻を愛したことが無い 佐武ろく @satake_roku
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