新たなる支配者/NEONE_4-9

「いいや、違うよ」


 暗い雰囲気を打ち消すように、唐突にセラが告げる。柔らかな笑みを浮かべていた。

「……セラ?」

「ようやく分かったよ。キミのことが。ずっと考えていたんだ。キミに人間だと言われてからずっとね。人間とは何か? 何故キミは彼のようにならなかったのかを。その答えがようやく分かった」

 大二と亜門。二人のNEONEを目にして、セラは自身の中に生まれた疑問と、その答えを口にする。

「キミと彼は、等しく旧支配者の力を持つ。種類は違えど、どちらも人間には過ぎた力だ。力を得た者はその本能に従って、他の人間を支配しようとする。多くの旧支配者たちと同じようにね。一方でキミは違った。同じ人知を超えた力を得ていても、支配を望まず、ただの人を守るために全力を尽くした」

「……ただ運が良かっただけだ。魔術を知って数日しか経過していないから、俺の思考はまだ汚染されていなかったんだ。それが功を奏しただけだ」

「そう、キミはいつだって人のまま、誰かのために戦っていた。だからこそ自分よりも遥かに勝るNEONEを打ち倒せたんだ。このボクを信頼し、彼女を尊び、自己の犠牲をも厭わない精神こそが、彼と決定的に違うものだ。宇宙を作り出した白痴の魔王にも、全てをあざ笑う狡猾な神にもない。どの旧支配者、外なる神アウターゴットにも持ち得ない、人間だけの誇り高き精神だ」

「……お前がそこまで俺を買っていたとは。だが悪かったな。俺にはもうミーコを助ける手立てがない」

 美衣子の命を傷つける恐れに、亜門は意気消沈していた。

 セラは意を決したように言う。

「彼女を傷つけずにルルイエ異本を破壊する方法は、あるよ」

「…………それは本当か!? だがどうやって?」

「『ルルイエ異本』が彼女の夢に侵食しているのなら、侵食した箇所を分離すればいい。浸食した部分だけを排除して、失った部分を補えば、彼女の精神に影響を出さずに、『ルルイエ異本』を破壊できる」

「確かに、それならば問題はないように見えるな。……だが理論を立てるのと実行するのとでは、そこに大きな差がある。汚染された部分だけを切り取る技術も、それを補うような高度なデータも俺にはない」

「あるじゃないか……ボクだよ。抜けた彼女の夢にボクが入ればいい。今ならまだ規模が小さい『ルルイエ異本』をボクの中に取り込める。そうしたら亜門、ボクごと『ルルイエ異本』を破壊するんだ」

「………………は?」

 セラの提案に亜門は言葉を失う。

 魔導書を破壊するために、データである自身ごと破壊させる。つまりところ、それは自殺にも等しい行為だった。

「お前はそれが何を意味するのか、理解しているのか?」

「もちろん。関節的とはいえ、自らの意思で自身を破壊する。人間で言うところの自殺、に近いのかな?」

「だったら何故……!」

「亜門、ボクはこの星に来て、キミと出会って、数多くのことを学んだ。その中でも人間……特に善性という形のないものに惹かれたよ。キミは否定したが、他人や街、そして彼女のために尽力できるキミは、間違いなく善人だ」

 セラはそう断言する。亜門の行動と決意を鑑みて、評する。

「キミの善意は失ってはいけない。魔術は異界の法則だ。その知識を使用し続ければ、どんな人間であれ必ず歪む。歪みは、肉体も、その心も、やがて異界へと染まらせ、完全な異形へと変生させてしまう。そうなれば最早人間ではない。ボクがいては駄目なんだ。キミは人間のままでいなければならない。脅威が消え去った今、ボクはもう必要じゃない」

「そんなわけがあるか! お前がいたからこそミーコが守れたんだ。必要じゃないなどと口が裂けても言えるか!」

「ふふ、ありがとう。だけどいいんだ。亜門……キミはボクがこの星に来た目的を覚えているかい?」

「……確か、全ての魔導書の……」

 そこで亜門は初めて、セラの思惑に気づく。

「まさか……」

「そうだよ。この星に発生した全ての魔導書の破壊。その使命を遂行する為に、ボクは生み出された。そして破壊する魔導書の中には、ボク自身も含まれている」

 セラの運命は最初から決まっていた。

 セラエノの大図書に蓄積された知識を模写したモノリス。地球に飛来したときから、セラに元居た星へ帰る手段などはなかった。使命を遂げれば朽ちるだけの、都合の良い使い捨ての存在、それが『セラエノ石碑』だった。

「そんな話があるか……こんな、こんな報われない話があってたまるか。お前は一体何のために!」

「だから、ちょうど良かったんだ。使命が終了すれば廃棄される予定だったものが、最後まで意味を持てるのだから。それは素晴らしいことだと思わないかい?」

「お前はそれでいいのか? 魔導書には生存本能があるとお前自身が言っていたじゃないか。己の在り方は無意味じゃないと、生きたいとは思わないのか?」

「生きたいよ。その考えは変わらない。だけどそれと同じくらい、キミの善意を守りたい。人間の素晴らしさを永遠に留めていたい。キミが彼女に憧れを抱くように、ボクもキミの大切なものを守りたいんだ」

 セラは亜門の姿を見ていた。脅威に対する冷静な判断も、人を助ける為に奔放する姿も、美衣子の身を案じる様子も、全て。

 それら行動は合理性の塊である魔導書から見れば、不可解なものが多かった。しかし、だからこそ興味は尽きなかった。

 知らず知らずのうちに、セラはその不合理を理解しようと亜門の姿を記録していた。失ってしまった数多の知識の空白を埋めるように、セラは人間というものに好奇心を抱き、それに答える亜門を間近で眺めながら、同時に影響を受けていた。

 決定的だったのは、亜門がセラを人間だと言ったところだった。人の眼に入って、人の目線で物を考えて、セラはいつしか魔導書から離れた思考を取るようになった。

 自身の身より亜門の身を案じる。魔導書が持つ自己保存の本能と、自身に課せられた魔導書の破壊という使命の矛盾に苛まれていたセラの方向性が、そこで定まった。

「それに、死じゃないよ」

 未だに煮え切らない表情の亜門に、セラは念を押す。

 本能の否定にも見えるセラの決断。それは決してバグなどではなく、矛盾でもない。ただ一つ、セラという人格に芽生えた、れっきとした善意だった。


「ボクは魔導書『セラエノ石碑』。その目次であり、端子であり、知識であり、そしてキミの記憶だ。キミが人として生き続ける限り、ボクは、キミの中で生き続ける」


 死別ではなく、一番近いところでの離別。それが長いようで短い、人と魔導書の共生の中で、セラが辿り着いた終着点だった。

 セラの答えに、亜門はようやく口元を緩ませた。

「……お前が言うのなら、それはきっと正しいことなんだろうな。俺がどれほど望んでも、お前と俺は離れるべきなのだろう」

「最善の手という奴さ。キミは気にせず、いつも通りやればいい」

「……なるほど、俺がどれほど周りの心配を考えずに行動してきたかが、よく分かるな」

 いつも通りのやりとりも、これで最後だった。

 幼馴染を救うための犠牲も、覚悟も、亜門は全て理解した。ならば後は託すだけ。

 最後の魔導書に、最初で最後の祈りを。

「……すまない」

「そうやって悲しげにすることが、今まで尽くしてきたパートナーに対しての態度かい? ボクは確かにキミの所有物ではあるけど、同時に良きアドバイザーであると自負していたんだけどね。明るくとは言わず、せめていつも通りに送り出してほしいね」

「そうだな、確かにこの表情は相応しくなかったな。……今までありがとう、セラ。そして、さよなら」

 亜門は慣れない笑顔を作る。

 今後滅多に現れないであろう貴重な光景を記録し、セラは一度驚いた後、満足したように笑みを浮かべた。

「さあ、最後の魔術だ。やり方は、分かるね?」

 主の頷きを確認すると、セラは美衣子のインナーユニバースへの侵入を開始した。

 同時に、今まで亜門の義眼に居座っていた一つのデータが、その元を離れる。

《『Celaeno.smt』アンインストール開始》

 今までずっと目に映っていた少女の姿が、アナウンスの数値に反比例して薄れていく。やがてセラは横たわるように美衣子の中に溶け込み、完全に彼女と一体化した。

 美衣子の苦しげな表情に和らぐ。部屋に広がっていた塗料が剥げ、魔術の色合いだったインナーユニバースにも黄色が広がる。

 それが合図だった。亜門は目を閉じて、記憶に残った魔術を使う。

《『MEMORY_TERMINATE』実行》

《0%……100%》

《『Re:R'lyeh.txt』削除》





《『Celaeno.smt』削除》


 アナウンスが長い戦いの終わりを告げる。それは正真正銘、最後の魔導書が消滅した瞬間だった。

 もう亜門のインナーユニバースには何のもない。視界の色も、義眼の挙動も、何もかもが元通りだった。

 思い返せば僅か数日の変化。それだけなのに、今は喪失感だけが残っていた。


「亜門……泣いてるの?」

 膝元で美衣子が小さく呟いた。

 細い手を伸ばし、幼馴染の頬を伝う涙を拭う。

「ふふ、亜門が泣くなんて久しぶりだね」

 見上げるようにして微笑む美衣子を、亜門は抱きしめた。

「よかった……本当によかった……!」

 子供のように肩を震わせる亜門を、美衣子は何も言わず、ただ抱き返していた。

 彼女は何も知らない。しかし亜門が何か大事を成し遂げ、そして何か大切な物を失ったのだという事を、いつもの経験から理解していた。

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