新たなる支配者/NEONE_4-6

「……お前じゃ、ないんだ…………」

 『膿』と化した腕が僅かに動く。

 亜門の身体のほとんどは大二の『膿』と同化していたが、まだ頭の奥底、意識は残っていた。なけなしの気力が僅かに体を動かす。

「あ? まだ生きてんのかよ。いい加減しぶてえぜ。まあ、待ってろ。今魔導書を取り出して全部終わらせるからよ」

 大二が『膿』の出力を上げる。それにより亜門の『黄衣』として残っていた部分が一気に汚染された。旧支配者の加護が消え、顔に刻まれた古い印だけが残る。

 その中でルルイエ異本が蠢いていた。一滴の痕跡も残さぬように、大二の化身は亜門の脳にある一切の知識、その全てを吸い取る。

 最大の好敵手であり親友。亜門という存在を骨の髄まで味わうため、大二はその記憶にまで手を伸ばす。

「んん?」

 脳を覗いていた大二が声を上げる。あるはずのものがないことに気づき、5つの目すべてを見開く。

 人間である亜門をNEONE足らしめている最大の要素、魔導書が存在していないのだ。

「ねえ! 魔導書がねえぞ! 亜門、魔導書を何処へやった!?」

 『膿』の塊は何も答えない。代わりに大二は嗅覚で、その答えを探し当てる。

 亜門が展開した異界、転移してからは放置されていた砂漠に唯一人佇む少女。その手から、魔術の匂いが放たれていた。

 セラの手の上で燦然と輝く球体。それは亜門が身につけていた義眼だった。

 時は少し遡る。



「準備?」

「ああ、の準備だ。合図はこちらで出す。お前はその時に、あの星の記憶を渡してくれ」

 そう言って亜門は、仮面の奥から自身の義眼を外し、セラに渡す。

「何をしているんだい? キミの眼はボクの本体、セラエノ石碑そのものだ。これを外すということが何を意味しているか。キミも理解しているだろう?」

「ああ、NEONEとしての力を失う。言わば今の俺は、変生した残り火だ。身体に残ったエネルギーで僅かに動く人形であり、そしてそれを操る糸は、今お前が持っている」

「それを分かって言っているのかい? 脳と繋がった魔導書は、身体から取り外したくらいではその繋がりを断つことはできない。逆にこれを渡すことで、ボクがキミの脳や身体を自由に操れる可能性もある。主従が逆転するんだ。どんな事態になっても取り返しがつかない。今の彼のようにね」

 魔導書でもある義眼を渡す。それはセラに魔術を使わせることを意味していた。

 言うならば自分の身体の主導権を人外であるセラに渡したようなもの。セラがその気にさえなれば、亜門から理性を失わせるのも、魔力を枯渇させるのも、全て彼女の思うがままとなる。

 それこそ今の大二や八幡教授のように、怪物にだって堕ちる可能性がある。

 人間など取るに足らない。自らの知識を保管するためなら、宿主がどんな末路を迎えようとも歯牙にもかけない。それが魔導書という存在だった。

 セラもまたその魔導書の一つ。それは亜門もよく知っていた。

「随分と心配してくれるな……」

「当たり前だよ。彼を倒し、魔導書を破壊するまで、キミの力はまだまだ必要だ、こんなところで、こんな状況で、キミに正気を失ってもらうわけにはいかないよ」

「……だからこそだ。お前に託すんだ」

 予想よりも熱の入った答えに、亜門は微かに笑う。

 NEONEと化した大二を倒すために、セラには亜門の策略が。

 ルルイエ異本を攻略するために、亜門にはセラの存在が。

 どちらも欠けては大二には勝てない。互いが互いを補い合う必要があると、二人は理解していた。

「転移した後の手立ては整えた。それを利用して記憶解放の魔術を奴に叩き込む。問題はその後だ。万が一、俺が奴の異界に足を踏み入れて同化してしまった場合、安全に戻ってこれる保険が必要だ」

「その保険とは?」

「記憶を司る魔導書の、お前にしか出来ない芸当だ。セラ、俺の身体を復元しろ。……お前に俺の運命の全て託す」




「本当に言った通りだったんだね。亜門」

 セラは亜門を見ていた。主の消滅に反応して、セラは予め言われていた通りに魔術を起動する。

《『MEMORY_RESTORE』実行。0%……》

 何かを察知した大二が素早く身を引くが、それよりも速く、金属質の腕が大二の首筋を捕らえた。

《20%……》

《45%……》

《70%……》

 徐々に腕に力が宿る。『膿』に侵されていた肉体が銀の輝きを取り戻し、頭部の古い印に火を灯す。


「俺はお前にはならない。大二」


《100%》

《『The_King_In_Yellow』再起動リブート。形状"ネイキッド"》

 新亜門は再び産声を上げた。NEONE『The_King_In_Yellow』の復活だった。

「は は は! 俺を騙したってのかよ!」

「死んだふりだ。お前が得意とするな」

 首を掴まれたまま、大二が歓喜の声を上げる。

「面白え。何度でも蘇るなら、それ以上に殺し尽くすだけだ」

 復活したとはいえ、依然、亜門が不利な事には変わりなかった。異界の維持率は1%を切り、旧支配者の力の象徴である『黄衣』も、既に全身を覆うほどの面積はない。マフラーのように伸びる一本の『黄衣』、それだけが亜門の武器だった。

 万全の大二と戦うには、余りにも心許ない状態。それでも亜門は大二の前に立ち塞がることを止めない。諦めることはない。なぜなら既に、亜門の布石は打たれていたからだ。

「一度で十分だ。勝利は、既に俺の手の内にある」

 亜門は大二の首を掴んでいるのとは逆の手を開く。

 手の中には大二の心臓とも言える刺青、ルルイエ異本が握られていた。

「!? 亜門、お前まさか、蘇ったその時に!?」

「これで終わりだ」

 幸か不幸か、セラに託した義眼が勝負の境目だった。

 魔導書は知識を食う。亜門の肉体を支配した大二は、その知識を取り込むために亜門の身体へ魔導書を潜り込ませた。しかし亜門の魔導書は既に体内にはなく、ルルイエ異本は空の身体に残る。

 それが最大の隙だった。侵食の合間を突くように、亜門の身体は蘇る。そして体内に残った魔導書は今、亜門の手に。

 手の上に心臓があれば、訪れる未来は一つだった。

「止め、やめろおおおおおおおおおお!!」

 笑みを止めた焦燥の叫びは、今の亜門には届かない。

《『MEMORY_TERMINATE 』実行。0%……100%》

 『ルルイエ異本』は血液塗料を吹き上げ抵抗する。しかしその足掻きを、亜門は『黄衣』を幾重にも巻きつけ抑えつけた。

 拳を握りしめ、魔導書へ一気に圧力をかける。

 全ての恨み、全ての怒りをぶつけるように、全力を込める。

「ああああアアアアアアアアアアアッ!!」

 苦悶の声を上げ、大二は悶え苦しむ。肉体を構成していた『膿』が剥がれ落ちていき、干からびた手足から消滅の煙が上がる。

 これは崩壊の兆し。NEONEの術式に綻びが生じ始めた証だった。

 異界の夜が明ける。

 街を脅かした異界は『ルルイエ異本』という核を無くし、後はゆるりと滅びを迎えるだけだった。

 因縁の死闘は静かに、そして緩やかに決した。

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