新たなる支配者/NEONE_4-4

 最初に起きた変化は空だった。

 穏やかな昼間だったはずの空から太陽が消え、夜の帳が降りる。

 暗黒の空に星辰が並ぶ。地面からは『膿』が溢れ出ていた。深く黒光りする流動体は、これまでにない規模で広がり学都を満たす。その範囲は亜門の異界、『黄衣』の砂漠にまで及んでいた。

 揺れが起きる。地震というよりも、何か巨大なものが迫り上がる感覚。やがて学都の地面を突き破り、幾何学模様の建造物が姿を現した。

 それはインナーユニバースで亜門が目撃した石造りの都市、ルルイエの顕現だった。

「どうだ亜門。俺がコツコツと街に仕込んどいた裏の学都はよ。見事なもんだろ? これでお前と対等だぜ」

 建造物の一つに腰掛けた大二が言う。混沌とする町を見下す様は、まさに狂気の都市に君臨する暴君だった

《異界侵食中、『Celaeno_Lost_""_Library』展開率低下、25%……21%》

「まずいね。ルルイエがこちらの異界にも侵食しているよ」

 セラの言葉通り、建造物は砂漠の中まで入り込み、そこから『膿』を広げていた。

 異界の支配が目に見えて変動する。学都はルルイエに占拠されようとしていた。次々と立ち並ぶ異形の建造物の勢いを止める手立てはなく、上書きされるようにビルや舗装路が押し剥がされる。

 無力な人々が急造する建造物に巻き込まれ、地の膿に触れ異界と同化する。学都は今まさに地獄絵図と化していた。

「街が……!」

 亜門は人や建物を異界に匿うが、破壊に対しては到底間に合わない。加えて異界の許容量は限界を迎えようとしていた。

 そんな砂漠を引き裂くように、『膿』の波が亜門の元へ襲い来る。

《形状"ファイヤーウォール"》

 咄嗟に亜門は、自身の異界から引き出した『黄衣』を編み込み、目の前で炎を模した壁を作りだした。壁は『膿』を受け止め、凄まじい衝撃を抑える。

 亜門の領域にもかかわらず、『膿』の威力は予想以上に強力だった。明らかにルルイエの影響が、大二の魔術に力を与えていた。

「どうした亜門! その程度かよ! もっと頑張れよ!」

 耐える亜門の元へ、第二波、第三波と続けて攻撃が来る。

《『Celaeno_Lost_""_Library』展開率低下、15%……11%》

 触手が亜門の異界へ侵食する度、異界の維持率は下がり続けていた。

「どうする亜門? 戦えば戦うほど異界の差は広がっていく。キミはボクが言った事を覚えているかい?」

「異界同士がぶつかれば、というやつか?」

「そう、今のキミと彼の戦力差は大きい。このまま戦っていても不利になるだけだ。かと言って、こちらの異界も残り少ない。ここから取れる選択肢はそう多くはないよ」

 セラの言う通り、縮み行くこちらの異界に対し、異形の都市はその面積を数倍にも膨れ上がらせ、今や一つの島を形成しつつあった。

 異界の規模がNEONEの力量だというならば、その差は果てしないほど圧倒的。亜門は賭けに出るしかなかった。

「策はある。そのために奴に接近する」

「どうやって近づくんだい?」

「……魔術だ。俺がお前に初めて授かった魔術を使う」

「転移をかい!? それは無理だよ。今彼の周りは膿で満たされている。転移するにも降りる場所がない。彼もNEONEだ。魔術を使えば匂いで察知されるよ」

「それを今何とかする。それと俺が転移する間、お前は準備をしておいてくれ」

「準備?」

「ああ、――――の準備だ」

《『TRANSFER』開始》

 顔に刻まれた『古い印』が光り、転移の魔術が起動する。座標はルルイエの中央。亜門は大二の懐に一気に攻め込む算段だった。



 亜門に動きがあることは、遠く離れた大二も嗅ぎつけていた。

「近づかなきゃジリ貧だぜ? それとも何か仕掛けるか?」

 次の波を放っていた大二の元へ、突然大量の『紙飛行機』が飛来する。亜門がよく使っていたものと同じ形状。ただし、魔力が込められていることを表すように、その色は黄色に染められていた。

「目眩しにもならねえな」

 目の前で飛び回る『紙飛行機』を大二は手ではたき落とす。その時だった。

《形状"ロープ"》

 折りたたまれた『紙飛行機』が一斉に解体し、大量の『黄衣』へ、そして縄へと変化する。縄は大二を捕獲しようと伸び、その身体を拘束した。

 しかし、

「これが陽動かよ!」

 ここは暴君の異界。細い『黄衣』程度では、異界から力を得ている大二を縛り付けることはできなかった。次々と縄と化した『黄衣』を引きちぎり、大二はその力を見せつける。

「さて本命は……」

 大二は周囲の様子を探る。

 亜門が使用する魔術は大二にも予想がついていた。『転移』の魔術。それを使えば、膿を渡らずとも大二の側へ近づけるからだ。異界の力の差が明確な今、亜門は長期戦を望まない。やるとすれば短期決戦。大二本人へ攻撃を仕掛けることは容易に予測出来た。

 大二は魔術を察知できる嗅覚がある。その手の対策は万全だった。

 魔術の反応が現れる。大二は後方、石造りの建造物の上に、亜門の匂いを嗅ぎつけた。

「同然そこに来るよな!」

 大二は匂いの元へ『膿』を向かわせると、亜門が移動する前にその建造物を破壊した。

 足場は消え、一面が『膿』と化す。異界が浸食する学都は、今や大二の胃袋にも等しい領域である。人であろうとNEONEであろうと、一度異界に入ってしまえば皆等しく餌だった。

「これで終わりだ! その脳をもらう!」

 大二が勝利を確信する、その時だった。

 何処からか笛の音が響き渡る。同時に、異界の彼方から超高速で飛来したが、『膿』の波を掻い潜り、空中で実体化した亜門を掻っ攫って行った。

 大二の予想はほぼ的中していた。行使する魔術を見破り、出現場所を特定し、逃げ場を塞ぐ。亜門を仕留める手段として完璧だった。

 ただ誤算があるとしたら、それは一つ。『膿』よりも速く、亜門の元に駆けつけた者がいた。

「よくやった! ビー!」

 転移に成功した亜門が金属質の背を撫でる。亜門の窮地を救った者は上機嫌に喉を鳴らした。

 主を背に乗せ、異界の空を駆けるのは『The_Winged_Lady翼ある貴婦人』。亜門の唯一にして初めての眷属、バイアクヘーのビーだった。

「はは、そいつがお前の眷属かよ!」

「そうだ。お前に引導を渡す、俺の仲間だ」

「こっちにはもはや一人も味方がいねえってのによ……妬けるねえ!」

 空を味方に付けた亜門に対し、大二は大量の『膿』で異界に生えた建造物を掴んだ。ビルほどある巨大な建造物を恐るべき力で引き抜くと、それを亜門に向かって投擲する。

 車やバスとは比較にならないほど圧倒的な質量が、空に線を引く。迫り来る巨大な石の上を、自在に飛行する眷属と共に、亜門は滑るように回避した。

 影からビーが飛び出す。大二に向かってその羽を震わせ、急接近する。

 大二は強襲する異形の馬を、逆に膿で捕らえた。その身を拘束し、背に跨る亜門を引きずり下ろそうとするが、

「亜門がいねえ!?」

 バイアクヘーの背には誰も乗っていなかった。大二に接近していたのはビーのみ。亜門はまだ、空中にいた。

 ビーに気を取られている大二の隙を、亜門は見逃さなかった。

「今だ! セラ!!」

 亜門は大二の真上。闇夜の真ん中で『古い印』に光を程走らせ、魔術を起動する。

 合図を受け取り、小さくなった異界の砂漠に残るセラが、ルルイエに向け一冊の本を投げ込む。それは星の記憶。ダゴンから魔導書を吐き出させる時にも使った、地球の記憶だった。

 莫大な量のデータを、亜門は足から伸ばした『黄衣』で引き寄せ、固定する。

《『星録:銀河系第三惑星地球』、1/4.6E9スケールで脚部に固定》

 星の質量を得て、亜門は流星となった。大二の肉体へ、魔導書を追放させる一撃を放つ。

《『星録――』》

「解放!」

 膨大な量の圧縮されたデータが大二の体内に入り、解凍される。身体に浮かび上がるのは『黄衣の王』の古い印。それは記憶の解放が成功した証だった。

 大二の身体が干からびて消滅する。技を繰り出した亜門が、驚くほどあっさりと。

(何かがおかしい。手ごたえはあった。なのになんだ、この違和感は?)

《『Celaeno_Lost_""_Library』展開率低下、9%》

 未だに健在の『膿』が砂漠を蝕む。ついに亜門の異界は顕現した当初の十分の一ほどの大きさになった。

(そうだ! 魔導書は!?)

 周囲を見回し、亜門は大二の魔導書が排出されていないことに気づく。

 亜門の疑問に答えるように、背後から『膿』の一撃が飛んでくる。向けた視線の先には、見覚えのある深い藍色の魔力が人の形を形成していた。

 『膿』の中から消えたはずの大二が姿を現す。

「馬鹿な!? あの一撃で消滅したはず……」

「消えたさ。肉体はな。だが残念なことに、俺の魔導書はもうそこにはねえんだぜ。そういう技を使う時は直接、魔導書を狙わねえとな」

 そう言う大二の身体を、魔導書である入れ墨が走っていた。身体を再生させる魔導書を、すかさず亜門は『黄衣』を右手に纏わせ、殴りつける。

《『MEMORY_TERMINATE 』実行》

 亜門の渾身の一撃が大二の胴を、腰を、胸を抉る。しかし魔導書には当たらない。大二の破損した肉体は、すぐさま異界から出る『膿』によって修復されていた。治癒などという生易しいものではない。今、ルルイエという領域そのものが大二のNEONEとしての肉体を形作っていた。

「悪いな亜門。ハナっからお前に勝ち目なんかねえんだよ。異界があれば肉体なんていくらでも補充が効く。生身で乗り込んで来ること自体が自殺行為だったのさ。……かと言って、お前が異界に篭っていても、異界の質量差でいずれ限界が来るがな」

未だに魔導書を消去しようとする亜門の攻撃を、大二は文字通り食い(・・)止めた。

「なっ!?」

 再生する胴体に固定され、身動きが取れなくなった亜門に、大二は言う。

「亜門、お前はよくやったよ。力が及ばないなりに知恵を絞り出し、俺を一度消滅させるまで追い詰めた。俺もここまでやるとは思ってなかったぜ。お前が友人であることをこの上なく誇りに思う。……だからもう、眠っとけ」

 次の瞬間、大二の腕が亜門の胸部を貫く。至近距離の無慈悲な一撃は、金属質の肉体を容易く貫いた。。

「く……あ……」

「流石、俺と同じNEONEだな。心臓辺りを貫いてもまだ死なねえか。じゃあ、直接脳をいただくか」

《侵食、拡大》

《『Celaeno_Lost_""_Library』展開率低下、2%……1%》

 『膿』は根を張るように身体と『黄衣』を侵食していく。ついに亜門の異界は、セラの周囲と身体の僅かな『黄衣』を残すのみになった。

 大二の腕を伝い、入れ墨ルルイエ異本が流れ込んで来る。直接、魔導書セラエノ石碑を取り込もうと亜門の身体を這い上がる。

 既に全身を『膿』で侵され、身体は石のように動かない。意識が薄れゆく中で、亜門は異界の砂漠へ、眼を向けていた。

 砂漠の中でセラが佇んでいた。『黄衣』のフードから覗く、意志の強い視線が亜門を見つめる。幼き日に見た少女の瞳は、亜門に一つの記憶を思い出させていた。

(ミーコ……)

 それは亜門が学都へ向かうことを決めた日の出来事だった。

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