生け巣/Dagon_3-8

《形状"紙飛行機"》

 慣れた手つきで亜門は紙飛行機を前方に飛ばす。紙飛行機は群れを抜け、ダゴンのさらに先へと向かうと、進行上の陸橋の高架下へ飛んでいった。

 向かった先は学都を巡る環状道路の立体交差点。その高架下にある管理局所有の車庫だった。亜門はそこにある車両を次々と発進させる。

 運転席には誰もいない。全て亜門の遠隔操作で動いていた。

 前方から、背後から、車両が迫り、地上の深きものを蹴散らす。

「GYAAAAAAAAAAAHOOOOOOOO!!」

 物量による妨害は、深きものを退けるという意味では非常に効果的だった。しかしダゴンの進行を妨げるという意味では余りにも無力。ダゴンは一台のトラックを掴むと、それを振り回し、並ぶ車両を問答無用で蹴散らした。質量による暴力は、深きものも、車両も、並み居る全てを吹き飛ばす。

 そうしてダゴンの周囲から障害物が消える。亜門はその瞬間を見逃さなかった。


「それだ。お前が車両に集中し、妨害の手を休める。その時を待っていた」

 その声はダゴンにも聞こえるほど近くで発されていた。声に導かれるように目を向けると、吹き飛ばした車両の裏から、鮮やかな黄金色のバイクが姿を現す。

 その距離、僅か数メートル。ダゴンの目と鼻の先で、『黄衣』を纏った騎士が魔術を行使する。

《『MEMORY_TERMINATE』実行。『ALA001.zif』を補足。0%……25%……》

 『黄衣』がダゴンの身体を捕縛する。今度こそ『黄衣』はプロテクトを破り、ダゴンの魔導書にまで届いていた。

 距離は充分。魔術の進行速度も問題なし。完全なる拘束により、ダゴンの逃げる道はない。

 ……はずだった。

《45%……削除失敗。『ALA001.zif』を消失》

 突然、上昇していた数値が止まる。それに連なるようにダゴンの姿が流動体となって消滅した。

 魔導書が破壊された時とは明らかに異なる消え方これは電脳化だった。

「馬鹿な。異界など何処にも……」

「亜門。トラックの中だよ!」

 セラが察知したのは、最後にダゴンが持ち上げ振り回していた一台のトラックだった。

荷台の中を覗くと、驚くべき事に異界が展開されていた。

「ここから逃げたのか? こんな小さな場所から……」

「彼は元々これを目指していたみたいだね。どんなに小さくても異界は異界。現実を夢へと変える。あるいは夢を現実に出現させる領域だよ。重要なのは大きさではなく、そこにあるかどうかという事実だ」

 ダゴンは異界をインナーユニバースの入口としてではなく、電脳化するための変換機として利用していた。異界が肉体全てを覆う必要はなく、身体の一部分でも触れてしまえば取り込まれる、『膿』の特徴を生かした逃走だった。

 凄まじい生への執着といえた。現実とインナーユニバースの両方を巧みに使い、亜門のような者から逃げ切る執念を感じていた。

 だからこそ、亜門は疑問に思う。

(なぜ異界化の魔術を使わない? いや、そもそも、深きものを統べるだけの力……街にいる何者よりも巨大な身体と力を持ちながら、なぜ、俺から逃げる?)

 ひたすらに逃走を繰り返すダゴン。その行動による不可解さを、亜門は追走中に幾度となく感じていた。

 研究所で初めて邂逅した時もそうだった。亜門に脅威を抱かせるほどの猛攻を仕掛けたと思いきや、亜門が異界を展開した瞬間、踵を返したように逃げ出した。

 異界を避ける挙動は、まるでNEONEに恐れを抱いているかのようだった。

「………………」

「亜門、まだ追うかい?」

 魔導書の破壊は失敗し、ダゴンは未だに健在。『黄衣』の糸はまだ辛うじて繋がっているものの、追えども追えども逃れていくダゴンを捕まえるのは難しかった。

 今までのやり方では、いたちごっこになるのはセラの目から見ても明らかだった。

「いや、もう追わない」

 打って変わり、亜門は強く口にする。その様子に迷いはなく、これからの道行を見据えていた。

「今度は奴を引きずり出す」


 ビーを駆り、亜門は再びインナーユニバースへと侵入した。

 遥か先を泳ぐダゴンを眼で追いながら、セラへ一つ要求する。

「セラ、予め聞くが、この空間では全ての物体が電脳化されているんだな?」

「そうだよ。キミの身体も何もかもが電子の領域に変換されている。現実と夢は、この空間でなら同価値さ。今のキミから見れば、ボクも質量を持っているに等しいね」

「ならば、お前の持っている中でなるべく容量の大きな記録はあるか? 無論、情報量的な意味でだ」

「一番大きな記録というと、……星の記憶とかかい?」

「星か。それでいい。いや、それこそがいい」

 了承すると、セラがどこからともなく『本』を手繰り寄せた。どこからか現れた無数の『本』は、セラの手の上に集まると、一つの球体を形作った。

 それは掌サイズの地球だった。圧縮された『本』のページから生まれた緑と青の惑星。

「『星録スターレコード』とでも言おうか。生まれてから現実に至るまでの、この星の記録だよ。もちろん閲覧することも出来る。同じだけの時間がかかるから、おすすめはしないけどね。しかしこんな物を一体どうするつもりだい?」

「決まっている。重りにする」

《異界構築『Celaeno_Lost_""_Library』展開》

 異界を展開し、ビーを着陸させた亜門は、セラの手にある星の記憶を受け取った。

 手にしたのは只の情報である。現実であれば、映像として再生できるかどうかも怪しい大容量の信号でしかない。しかし、あらゆるものが質量を持ち、物質として存在するこのネットワークにおいて、膨大な情報いうのはそれだけで強大な武器だった。

 情報量=すなわち質量。人の夢覚野を利用した仮想空間であっても、質量の持つ優位性は変わらない。

「魔導書を消すデリートのではなく、追放オーバーフローさせる。この星の記憶で!」

《『星録スターレコード銀河系第三惑星地球ジ・アース』1/4.6E9スケールで脚部に固定》

《『ALA001.zif』を補足。拘束開始》

 亜門は『星録』を『黄衣』と同化させ、右足に纏わせる。

 同時にダゴンを追跡するため、今まで伸ばし続けていた『黄衣』を、自身に向けて引き寄せ始めた。


「!? GA!! GGYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!

 それは遥か前方にも影響を及ぼし始めていた。伸び続けていた『黄衣』が突然静止したことにより、ダゴンの巨体は『黄衣』によって引きずり込まれる。藻掻き、暴れることでダゴンは再度逃走を図るが、まるで意味をなしていなかった。

 今の亜門の質量は研究所にいた時の比ではない。その体に異界を背負っていた。

 ダゴンは『黄衣』に引きずられ、データの星々の間を抜ける。やがて重力に導かれるようにして、亜門の元へと飛来した。

 亜門の右足が輝く。星という巨大な記憶が持つ質量が、異界を、周囲のインナーユニバースを震撼させる。

 あまりの重力に、亜門に引き寄せられるダゴンの動きも次第に遅くなっていた。膨大な質量が巻き起こす時間の歪みが、街に潜んでいた怪物を、なす術なく亜門の眼前で完全に静止させる。

 星の終わりブラックホールにも匹敵する力。その力を、亜門は蹴りという形で、出力する。

《『星録スターレコード――』》

「……解放リリース!」

 確かな手ごたえがあった。アナウンスを聞くまでもなく、星の質量を乗せた一撃は、今度こそダゴンの中枢にある魔導書に届いていた。

「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」

 10トンは下らないであろう巨体が吹き飛ぶ。かつてない質量の一撃は、ダゴンに星の記憶を追体験させる。

 一瞬。

 外から見れば僅かな時間にしか過ぎない時の中で、ダゴンの意識と肉体は40億年もの歳月を駆け巡っていた。

《100%》

 星の再現が終了を告げるとき、ダゴンの体内から一冊の本が飛び出した。

 それは『ALA001.zif』。正真正銘、オリジナルの魔導書ネクロノミコンだった。

 同時に、ダゴンの肉体に綻びが生じ始める。鱗が剥がれ、牙は抜け、巨体は萎む。それは魔導書を喪失したことによる消滅の兆しだった。肉体は縮み続け、やがてダゴンは消滅間際に、元の人間の姿を取り戻した。

 大二が追っていた人物。学都における海洋学者の一人で、映像や名簿で何度も見た八幡研究所の責任者。八幡教授その人だった。

「八幡教授……こうするしかなかったんだ。貴方の暴走を止めるためには、こうするしか」

 申し訳なさそうに亜門は告げる。

 虚ろに砂漠に佇んでいた八幡教授は、やがて正気を取り戻したように瞳の焦点を定めると、その目を大きく見開いた。

 何故か亜門ではなく、その向こうを見ていた。

「aa……ァアああ……

 呻き声のような断末魔を上げ、八幡教授が消滅した。

 街を脅かしたダゴンの、それが最後の姿だった。

(……まだ?)

 消え行く教授の最後の様子を亜門は反芻していた。何かがおかしい。頭に引っかかる遺言を反芻しながら、亜門は教授が見ていた視線を追う。

 そしてその答えを知る。

 インナーユニバースの宙にある『膿』が全て消えていた。

 代わりに現れたのは無数の建造物だった。整列されているようで破綻した、幾何学模様が連なる深い緑の石像。それがいくつも立ち並び、巨大な摩天楼を作り出す。

 見上げるそれは都市だった。学都ではない、そもそも人が住める場所でもない。それはある神格を祀る神殿であり、同時に君臨するための玉座であった。

「まだ、終わっていないと言うのか……」

 狂気の都ルルイエ、その全貌が浮上した。

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