生け巣/Dagon_3-4
「ネクロノミコン……確かに名前は聞いたことがあるな」
魔導書から残骸から読み取った情報にもその名があった。オカルトの知識に乏しい亜門でさえ聞き覚えのある名前だった。
「ネクロノミコンを一言で表せば、「万能」だよ。人間の使える魔術をほぼ全て記録していて、どんな人間にでも使用できるような汎用性がある。それ故にいくつもの派生や複製が存在する器用な魔導書だよ」
「……そんなに便利なら、他の魔導書は必要ないのではないか?」
聞く限り、確かにネクロミノコンは万能の魔導書だった。できないことを探す方が困難なほどに多彩であり、セラのような記憶に特化したものより優れているように亜門は感じた。
「ところがそうもいかない。どんな人間にも使える、と言うことは、逆に言えば誰でも使えるような基本的な魔術しか記録されていないんだ」
「……つまりは、それ以上の応用がきかないと?」
「そういうことだよ、亜門。応用がきかないからこそ派生が生まれている。キミがさっき使った魔術ぐらいなら使用できるが、キミと同じように旧支配者と契約するとなると困難だろうね。大規模な儀式と時間、そしてキミ以上の代償が必要だと思うよ。だからこそ、深きものなんていう低俗な種族と契約するために使用されているんだろうね」
「そこまで言うか……」
セラの言葉の節々に貶めるような意図を感じつつも、亜門は同時に納得した。ネクロミノコンという魔導書は汎用性が高いが、より専門的な魔術に関してはそれ用に生み出された魔導書の方が分があるのだ。
それは深きもの達の変貌具合からよく分かる。深きものの使用していたネクロミノコンのコピーは専門的でなければ、それ用に調整された派生品でもないのだろう。使用した魔術はNEONEの一つだけにもかかわらず、深きものたちは理性を失い狂気に陥っていた。
(コンピュータに似た話だな)
基本的な魔術を使いたいのであれば、ネクロミノコンという汎用的な
そうでなければ術者の脳というコンピュータは魔術の処理負荷に耐えきれずオーバーヒート、つまり発狂してしまう。
脳の
「ならばダゴンを呼び出した魔導書は、調整されたネクロミノコンなのか?」
「可能性はあるよ。じゃないとネクロミノコンに異界なんて構築できない。旧支配者の領域を再現するなんて魔術は、本来ならボクのような限られた魔導書でしか記録されていないものだからね」
「ふむ……待て!」
魔導書の講義が白熱してきたところで、亜門は一旦思考を切り替えねばならなかった。
さらに大きな水路と合流する。その先で、地下には不釣り合いな派手な色彩を見つけたのだ。派手なピンクのジャケットと、長い足を覆うパンツ。それらを身につけた人の身体が、水路の途中に引っかかっていた。
この学都広しといえど、そんなものを身に着ける人物は一人しかいない。
「大二!」
亜門は急いで死体を引き上げる。美衣子の証言通り、頭部に当たる部分には何もない。首の根元から頭部は切断されていた。
亜門は警察にも使用されている生体認証の照合ツールを起動する。言わずもがな、死体が大二本人であるか確認するためだった。
(頼む……!)
せめて違う誰かであると、亜門は険しい表情で祈る。しかし思い虚しく、生体認証は大二のものと完全に一致した。
死体は間違いなく大二の身体だった。亜門の目の前にあるのは、親友の変わり果てた無残な姿に他ならない。
(……俺がもっと早く決断していれば)
いつもうるさいくらいに喋る大二の、物言わぬ姿を見るのはこれが初めてだった。
死体を目にして改めて、亜門は大二の死が事実であることを痛感する。美衣子のように取り乱すことはなかったが、悲しみと、何故こうなってしまったのかという後悔が亜門の脳内を駆け巡る。
止める機会はいくらでもあった。それなのに、事態を甘く見たばかりに、友人を失ってしまう羽目になってしまった。
「すまない。大二」
悔いを飲み込み。謝罪を口にしたところで、ふと、亜門は何かに気づく。
(……腕に何か?)
横たわっている死体の中で、右手だけが強く握られていた。
何かを持っている様子はない。かといって抵抗した様子でもない。死後硬直により固まった右手は、明らかに意図して作られたものだった。
掌を開くと中に物はなく、大きなシミのようなものが広がっていた。拭いても消えず残る模様は、所謂タトゥーだった。
その黒がかった色味に、亜門は見覚えがある。
(確か、昨日見た大二の色料がこんな色だったような……そうか!)
それは昨日、大二が外部より持ち帰った『色情記憶塗料』と命名された液体と同じ色だった。続けて亜門は、何かに気づいたように大二の死体をまさぐる。
「……あった」
ポケットから注射器と小型の発電機を取り出す。注射器はおそらく塗料を皮膚に埋め込んだもの。発電機は塗料の色を変化させるためのものだった。
色情記憶塗料は色と形を記録し、電気信号によって形状を変化させる。
つまりは、
「これは、大二からのダイニングメッセージだ……!」
手のシミが塗料なら、意図して着色したものだった。昨日持ち帰ったと言っていたことから、大二以外の人間はほとんど使い方を知らないはずである。これは大二自身がつけたものと見て間違いない。
亜門は発電機を起動し、シミに電気を流す。塗料の変化はすぐに起きた。黒からピンクへ色は変わり、不定形だった形は見覚えのある文字へと変わる。
そこには『八幡研究所』と綴られていた。
直接亜門にメッセージを送らなかった理由として、考えられるの要因は一つ。
(おそらく、送れなかったんだ。大二は深きものに襲われた時に異界に巻き込まれ、インナーユニバース上で連絡が取れなくなった。それを知った大二は、自分の死を覚悟して体にメッセージを残したんだ)
異界では外との通信が遮断される。独自に八幡教授の行方を捜していた大二は、自身の研究所が危険であることを知ったのだろう。それをなんとしても亜門に伝えるために、腕にメッセージを残すことを選択したのだ。
大二らしいデジタルに頼らない、機転を利かした方法だった。
「………………」
亜門はメッセージを更に凝視する。大二が残した痕跡というのは間違いない。しかしそれでも、何かが頭の片隅に引っかかっていた。
(これは……)
「悲しんでいるのかい?」
遺体を見つめる亜門にセラが声をかける。相変わらずの笑顔で、悲しんでいる人間に向ける表情ではないが、これがセラの通常だった。
「……そうかもな」
セラの言葉で亜門は立ち上がった。
悲しむ暇はない。亜門が望むのは一刻も早い事態の収拾だった。悲劇も被害もこれ以上は不要である。魔術という力を得てしまった者として、ただ一人、真実を知っている者として、亜門がこの凶行を止めなければならない。
決意を新たに、亜門はその場を離れた。
地上に出て、再び美衣子と会う。
美衣子の様子は先程よりも落ち着いていた。目元が赤いため、相当泣いていたことが伺える。
「……どうだった?」
心配そうに美衣子は問う。亜門は首を振る。
「そう……やっぱり」
「……大二は、いい奴だったな」
「! ……うん!」
「明るく、常に俺たちの間にいるムードメーカーだった。俺のような人間にも気さくに接し、そして何より気の利く奴だった」
「……そうだね。ほんとに、いい友達だったね」
友人の死が自身の見間違いではないことを再確認し、美衣子は涙を流した。
(だからこそ、ミーコ、俺はあいつの意思を確かめに行く。この事件を引き起こした者の正体を暴き、必ず同じ被害を出さないようにする)
弱々しい姿の美衣子の肩を抱き寄せ、亜門は強く誓う。
この状態の美衣子を放置できない亜門は、一旦、付き添いとして美衣子を家まで送ることにした。
道中、二人は一言も発しなかった。それはまるで祈り。友に捧げる、無意識のうちの黙祷だった。
いくつかの電車を乗り換え、美衣子が住むマンションへ到着した。玄関先までたどり着くと、ようやく彼女は重い口を開いた。
「ありがとう、亜門。ここまで送ってくれて」
「……一人で大丈夫か?」
「うん、大丈夫。もう元気だから、ね?」
「とてもそうには見えん。やはりまだ……!」
あまりに意気消沈した様子に、亜門は心配そうに食ってかかる。
放っておけば部屋に乗り込みかねない亜門に対し、美衣子は気まずそうに答えた。
「へや、散らかってるから……」
美衣子を家まで送り、ひとまず亜門は安心した。
一人、マンションを後にする。
「彼女の心は複雑だね」
「……お前か、セラ」
移動している間も口を閉ざしていたセラが、ここにきて姿を現した。美衣子とのやりとりを楽しんだように、その表情に満面の笑みをたたえる。
「それで、行くのかい?」
「もちろん……元よりそのつもりだ」
行き先は言わずもがな、大二の残したメッセージに記されていた八幡研究所だった。
八幡研究所は第二学区にある。そして大二の死体を発見したあの水道局も第二学区のものだった。二つの施設は水路によって繋がっており、そこに流された死体を美衣子はおそらく目撃したのだ。
大二は何かを八幡研究所で掴んでいた。その答えを明らかにするため、亜門は事件現場へと向かう。
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