生け巣/Dagon_3-3
夜の帳が降り、街灯が瞬く学都にサイレンが響き渡る。脱獄者を探すように木霊する警報は、表から外れた裏通りにも届いていた。
『紙面』を広げると、すでに捜査が開始されたという情報が流れていた。インナーユニバースを通して、亜門が脱獄したことは警察各署にすでに通達され、学都の警察の優秀さが分かる。
「流石に対応が早いな……」
「ここまで来ると思うかい?」
立ち並ぶ店舗の看板に腰掛け、セラが言う。
日は既に暮れ、すでに周囲には人影はない。ここは町の中でも比較的安全な場所といえるが、それもいつまで保つのか分からなかった。
「可能性はある。だから安全な内に大二を呼び出す」
亜門は通話の『紙飛行機』を飛ばす。目標は当然大二、全速力で発信させる
しかし、返ってきたのは機械音声の無慈悲な返答だった。
《おかけになった番号は現在留守になっているか、通話が出来ない環境にあります》
「……まずいな」
悪い予感が的中していた。
八幡教授を追う大二が、この状況で亜門からの通話に出ないことはまずあり得ない。危惧していた事態が起きている可能性があった。大二の現状は今、非常に危険極まりない状況にあるといえた。
何度目かの通話を試みる亜門の元へ、別の『紙飛行機』が飛来した。
「……ん? なんの通話だ。ミーコ!?」
険しい表情の亜門の元にかかってきたのは、美衣子からの通話だった。
『紙面』を『黒電話』に、すぐさま通話を開始する。
「亜門!! 今どこにいるの!?」
「ミーコ、無事だったか? 俺は警察の取り調べを受けて、今終わった所だ。それより大二を知らないか!?」
「警察!? また何かしたの? こんな大変な時に!」
「……どういうことだ? ミーコ、一体何が起きた?」
「大二が!!」
美衣子の只ならぬ口調から伝えられたのは、まさに亜門が探していた、深見大二の訃報だった。
大二から美衣子に連絡があったのは、僅か数時間前。亜門を探し、アフター211を徘徊していた時の出来事だった。
亜門が警察の世話になっている間に、美衣子は大二と連絡を取っていた。会話の中で、美衣子は大二と合流することになり、その待ち合わせ場所を第二学区の水道局前に決めた。
しかし、美衣子が辿り着いても誰もおらず、いつまで経っても連絡すらなかった。
不安になり、周囲を見渡すと、下水道に大二の身体が浮かんでいるのを発見したのだ。
大二は亡くなっていた。それだけはパニック状態の美衣子でもはっきりと理解できていた。何故なら、その死体には頭部がなかったからだ。
それが美衣子から聞いた、事のあらましだった。
警察にはまだ連絡するな、と連絡し、亜門は現場へ急行した。
待ち合わせ場所に辿り着くなり、美衣子は亜門に抱き着いた。不安や動揺といった抑えていた感情が溢れ、思わず爆発したようだった。
堪えきれない感情を露わにするように、その目から涙が流れる。
「亜門、大二が……! 大二が!!」
小さな肩を震わせながら泣きじゃくる美衣子を、亜門は腕の中で抱きしめていた。
「美衣子、大二はどこだ?」
幼馴染の嗚咽が落ち着いたころを見計らい、亜門は言う。
美衣子は水路を指差した。その先には学都の排水を一手に担う下水道があった。下水道は地下に広がっており、そこに大二の死体は流されたと思われた。
「美衣子、五分経っても俺が戻らなければ、警察に連絡しろ」
「亜門はどうするの?」
「……俺は大二を探す」
美衣子に伝言を残し、亜門は一人、マンホールから地下水路へ入る。
地下は想像以上に広い空間だった。五メートルほどの直径のパイプに、人が通るための通路が敷かれている。明かりは点々と存在し、隅々まで届かない。代わりに生臭い匂いが空間を満たしていた。
意識を失うほど有害なガスではなさそうだが、専用の装備もないまま長居できる空間ではなかった。
慎重に、亜門は歩を進める。
「セラ、例えばだが、体を治すような魔術はお前の知識の中にあるか?」
水滴の音だけが響く用水路を進みながら、ふと亜門はセラに呼びかける。
「どうしたんだい? 珍しいじゃないか、君から魔術を教わりたいだなんて。どういう風の吹き回しだい?」
「……これから先、何が待ち受けているのか不明だ。ここは既に公の場ではない。不意を突かれ負傷することもあるだろう。そうなる前に、対処できるような魔術を予め知っておきたい」
「なるほどね。随分積極的だとは思ったけど、それならば合理的だね。ボクにとっても良い兆候だよ」
「もう四の五の言っているような場合じゃない。俺は魔導書を破壊し、この町の脅威を排除することに決めた。だからそのために最善を尽くす。例えそれが、未知な力に頼ることになろうともな」
「その結果が、狂気に溺れることになってもかい?」
「そうならないように、お前がいるのだろう」
「……なるほど、これは一本取られたね」
セラは堪忍した素振りを見せると、一冊の『本』を亜門に渡す。
『
「それは名前の通り、指定した物体を記憶から復元する魔術だよ。厳密には治療の魔術ではないけど、似たような効果を得られるんじゃないかな?」
「……
百聞は一見にしかずとばかりに、亜門は魔術を起動した。
《『MEMORY_RESTORE』実行》
対象は壁のパイプ。下水道の不衛生により、表面には錆が発生していた。亜門がパイプに手をかざすと、そこから徐々に汚れが抜けていく。処理が完了すると、まるでその箇所だけ時間が巻き戻ったように完全に修復していた。
「凄いな……元に戻るのか」
「本来の状態に戻す、という表現が正しいかな? ボクは記憶を司る魔導書だからね。記憶に関する魔術ならなんだって記録しているよ」
魔術の効力は想像以上だった。緊急時の保険として記録していて損はない魔術と言えた。
物質を復元するという超常現象を目の当たりにして、亜門は一つ可能性を思いつく。
(これなら……)
「言っておくけど、それで深きものを元の人間に戻す、なんてことは止めておいた方がいい」
亜門の考えを先読みし、セラは釘を刺した。
「……なぜだ?」
「いいかい。変生とは変化であり適応だ。異界に対し、人間がそこで活動するために得た肉体なんだよ。この魔術は傷ついた体を最適な状態に戻すことはできても、体の構造が変わってしまったものを元に戻すことはできない。なぜなら設計図が違うからだ。NEONEとなったキミが人間の姿を保っているのは、キミの夢が人の形を覚えているからだよ。NEONEが元の人間に戻るには、本人か、促している魔導書が変生を解除するしかない」
「……そうか。残念だ」
望む結果は得られそうにもなく、亜門は肩を落とす。もしかしたらと予想はしていたものの、そう上手くはいかないのが世の常だった。
「ボクからすれば、何故そうも人間の姿に拘るのかが疑問だね。NEONEであるなら、純粋な力も魔力も人間よりずっと強大なのに」
「発狂するのは誰だって嫌だと思うが」
「キミはそうじゃないだろう?」
「……俺は人でいい。新しい支配者なんぞに興味はない」
NEONEの強大な力も、権能も、亜門にとっては全て、事件が解決するまで一時的なものだった。どれだけ凄まじい力であろうとも、人の営みをしていく上では不要。過ぎたる力だと亜門は考えていた。魔術も同様だった。
「しかし記憶か。そういえば前も言っていたな。魔導書によって記されている魔術は違うと。お前が記憶なら、他の魔導書も同様に専用の分野があるということか?」
先程のセラの言葉を蒸し返し、亜門は尋ねる。
その考察は的を射ていたようで、セラは肯定する。
「そうだよ。魔導書にはそれぞれ役割がある。と言うより、契約できる旧支配者によって得手不得手ができるのさ。キミが契約した旧支配者は観測者の特性を持つ。彼についての記憶を持つボクは、記憶と認識についての魔術を司れるのさ」
「なるほどな。ならばセラ、先程破壊した深きものの魔導書、あれは何を司った魔導書なんだ?」
深きものの魔導書「ALA.zif」。回収したものは殆ど破壊してしまい、内容については殆ど触れてこなかったものの、セラの言葉通りなら、この魔導書にも何らかの役割があるということだった。
「あれはアルアジフ。キミ達にとってはネクロノミコンと言った方が通りがいいのかな? 人間に知られている中で、最も著名な魔導書だよ」
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