生け巣/Dagon_3-2

「誰?」

 セラが首を傾げる。亜門も知らない名前だった。

 その人物の名前を行方不明者のリストに照合すると、一ヶ月前に発生した首のない死体の持ち主となっていた

「……最初の被害者か。リストの日付と同じ日に死亡が確認されているとすると、これは被害者の視覚データか」

 生きている人間の視覚を抜き取るのは条例で禁止されているが、こと死亡している人間に関してはその限りではない。この映像は被害者が死亡した後に、警察が調査のため管理局から預かったもの、そう見てまず間違いはなかった。

 亜門はファイルを手に、動画を再生する。

 そこに流れたのは、一人の人間が深きものへと変貌し、被害者を襲う光景だった。 映像は5分未満と比較的短いものだったが、深きものの凶暴性が、無力な被害者の視点で十二分に映し出されていた。

「待て……この服装、見覚えがある」

 映像を繰り返し視聴していた亜門が、とある箇所で声を上げる。

 それは映像の冒頭。深きものが変生する前のシーンだった。虚ろな目をした男の体に、既視感を覚えていた。

 亜門は大二から預かっていた八幡研究所の名簿データを取り出す。名前と顔写真が並ぶファイルの中を閲覧すると、目的の人物はすぐに見つかった。

 八幡賢治。八幡研究所の所長であり、大二の探していた人物だった。

「八幡教授……もう人ではないのか」

 消息不明になった時点で手遅れだったのかもしれない。予想していた事だったが、それよりも遥か前に八幡教授は怪物となっていた。

 亜門は再び行方不明者の名簿を表示させ、検索する単語に『八幡研究所』の文字を追加する。リストには八幡研究所の職員や関係者のみ絞り込まれ、残ったのは死亡者も含めて70名ほど。数値としてはあまり多くは感じられないが、それは全体から見ればの話だった。一組織として考えた場合、他の組織と比べて被害は頭一つ抜けていた。

「……八幡研究所はやはり危険だ。そして教授を探しに行っている大二も危ない」

「でも亜門、このリストには問題なしになっているよ」

 セラが別の資料を見て言う。確かにセラの言う通り、八幡研究所はすでに捜査済みで、結果は問題なしと評価されていた。

 しかし、それこそが問題だった。

「何故警察の調査が難航しているのか? それは被害者が死体以外見つかっていないからだ。判明しているだけで1000人を超える被害者を、深きものはどこへ隠していると思う?」

 セラは少しきょとんとすると、すぐさま目を輝かせた。

「異界、だね」

 亜門は頷く。

 最新の技術と都市の管理体制を利用した学都の警察は、この国きっての治安維持組織である。その警察が多数の行方不明者に対し、何一つ足取りが掴めていない現状。これはもう物理的な問題ではない。この街のどこかで異界が発生し、そこから拉致されていると考えるのが妥当だった。

 調査に異常がないからこそ、異界は確実に存在している裏付けとなる。

「八幡研究所。間違いなく、奴らの住処はそこにある」

 結論は出た。後は向かうだけだった。

 自由になった身体を起こし、亜門は義眼で牢の電子キーを解除する。

 急がなければならなかった。八幡研究所が深きものの巣窟である事は亜門しか知らない。外部から戻ってきた大二はまだ研究所に戻っていないが、いずれ教授を探しに研究所へとたどり着くだろう。

(それまでに大二を止めねば)

 亜門は留置所からの逃走を決意する。

 足取りは速く、されど歩みは慎重に。

 現在、亜門の義眼に接続されているインナーユニバースは警察内部のローカルなものである。外部との接続は途絶えていた。大二と連絡を取るためには、一度警察署を抜ける必要がある。

 事件の対応に追われているのか、署内の警官の数は少なかった。監視カメラ、電子キーの類を持ち前のハッキングで潜り抜け、亜門は留置所の最後の扉に手をかける。

「そこまでだ。新亜門」

 声に亜門は振り返る。そこには拳銃を構えた四方が、亜門に銃口を向け立っていた

 手に持つのは学都で配布されている電子制御の拳銃だった。安全装置は外には存在せず、手に持った指紋で使用者を判別する最新のもの。発砲を促すように、安全装置が外れた状態を表すランプは赤く点灯していた。

 後は引き金を引くだけ。拳銃の銃口は亜門を捉える。

「引き返すなら良し。そこから一歩でも前に進んでみろ。お前の脳天に風穴が空くことになる」

 四方の言葉はあくまでも脅しだが、撃つ覚悟は本気だった。二人の距離は5メートル。四方の持つ拳銃には弾道を自動的に制御するシステムも組み込まれている。足でも手でも、撃てば必ず当たる。

 対する亜門は丸腰だった。まともに相手取ることは不可能であり、この状態でハッキングをしようものなら、即座に撃たれかねない状況と言えた。

「どうした? 早く牢に戻れ」

「…………セラ、任せた」

 亜門が言葉を発すると、拳銃のランプが赤から緑へと変わった。安全装置が起動し、引き金が固定される。

「何!?」

 驚く四方の後ろにセラが立っていた。彼女が安全装置を起動し、銃を発砲不能にしたのだ。

 亜門以外の目に映らないセラの面目躍如だった。相手に気づかずに銃器を無力化することで、四方の混乱を誘い、脱出までの時間を稼ぐ腹づもりだった。

(よし、これで……!)

 形勢逆転、かと思いきや、四方は次の手に出ていた。拳銃が使えなくなったと分かった瞬間、四方はそれを捨て、腰から新しい拳銃を手に取った。

 まるで、亜門が拳銃を無力化することを分かっているかのような動きだった。

「連装式の……リボルバー!」

 亜門が苦々しく口にする。

 正式名称『ニューナンブM60』。かつて警察で正式に採用されていた回転式の拳銃である。しかしこの学都の警察では先の自動拳銃が採用されており、電子制御できないリボルバーは支給すらされていないはずだった。

「ウィザード級のハッカーが相手だ。万が一、電子ロックを解除する可能性があるからな。こんなこともあろうかと、外部からかつての相棒を取り寄せておいた」

 再び銃口を突きつけ、四方が口にする。

 骨董品レベルの銃器が功を奏する形になっていた。完全なるアナログ作りの拳銃は、亜門やセラのハッキングによる介入を不可能にしていた。

「もう牢に戻れとは言わん。事件について知っている事を、洗いざらいここで吐いてもらう!」

 銃を取り出したことで、四方は強硬手段に出た。

 それはハッキングによる技術だけではない。何が何でも脱出しようとする亜門の意思の硬さを見ての判断だった。このままではいずれ留置所を抜け出す。そうなる前にも、この場で尋問を開始するしかなかった。

「……喋るような事はなにもない。記録に残っていることが全てだ。俺はただのハッカーで、多くの不正アクセスを行った。それだけだ」

 ついに亜門は自身がハッカーであることを白状した。手を挙げ、明らかな降伏のポーズを取っても、四方は警戒を解けなかった。

「いやまだあるはずだ。アフター211の映像は途切れていた。その後、我々が突入するその間にあの化け物どもは全て消え、ただ一人、お前だけが残っていた。お前にはまだ隠していることがある! あの後、お前は何をした!?」

 四方には確信を持っていた。

 年若い青年に見えるこの男には、卓越したハッキング能力だけではなく、何か言いようのない大きな秘密がある、と。

 それは、長きに渡る警察生活からくる経験と、多くの事件を解決した本能からくる直感だった。

 四方は優れた警官だった。己の直感を信じ、迷いを持たない。己の正しさに絶対の信頼を持つ者。この事件を解決するに相応しい人物であることは、亜門にも理解していた。

 それでも、亜門は事の全容を話す気にはならなかった。

「全て話したいのは山々だ……。だが、今は時間がない。巨大な悪意がこの街に潜んでいる。人智を超えた力が、意思を持って人を襲っている。対抗できるのは俺だけだ」

「人の命を守ることは警察の役目だ!! 答えろ! あの化け物は何だ!? 法を侵してまで、お前は何をしようとしている?」

「それは……今は言えない。だが信じていてくれ。俺は……人の側に立っている」

《『TRANSFER』開始》

 亜門の義眼が魔術の起動を告げる。

 何か仕掛けることを察して四方は動いた。銃を向けたまま、亜門を拘束するために接近を試みる。

 素早い対応だった。しかし今度は亜門の方が上手だった。亜門は『紙面』を取り出すと、迫る四方に向けて飛ばす。いくつもの『紙面』が宙を舞い、四方の視界を奪った。

「くそッ!? 俺の視覚に干渉ハッキングしやがった!」

 情報の『紙面』がインナーユニバースに溢れていた。荒れ狂う紙吹雪の嵐に、思わず四方の足が止まる。

 やがて視界が晴れると、舞っていたはずの大量の『紙面』は、眼前にいたはずの男と共に消えていた。

「……くそ」

 思わず悪態を吐く。

 扉の電子キーは開かれてはいなかった。ハッキングの痕跡もない。それは扉に触れず、足音すらなく、亜門は消え去ったということだった。

 不可解な現象、と同時に四方は納得する。亜門の行動は、決して法を侵し、秩序を乱そうと目論んだものではなく、むしろ逆、人の命を守るための行動故の必死さだと言えた。

 流石の四方も、現実主義な自身の考えを改めなければならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る