目覚め/The_King_In_Yellow_2-11

 脅威が去ったことを知らせるように、砂漠に一陣の風が吹く。

 亜門は何よりも先に、美衣子の元へ駆け寄った。

「……大丈夫か?」

「ひとまずは無事だよ。息もある。今は気を失ってるみたいだけどね」

 いつの間にか美衣子の近くにいたセラが、一足早く安否を確認していた。

 その言葉の通り、美衣子は無事だった。異界化の影響も完全に消え、美衣子の身体は元に戻っていた。

 穏やかに眠る美衣子の様子に、亜門は安堵のため息をつく。

「まさかお前が看てくれているとはな」

「彼女が無事じゃないと、キミとの契約が無駄になってしまうからね。それにボクの姿の原型だ。キミほどではないけど、思い入れは他の人間よりも大きいよ」

 ろくでもない理由だと亜門は踏んではいたが、思っていたよりも好意的な理由だった。また妙なところで義理堅かった。

「しかし驚いたよ。キミにこれほどの『NEONE』の適正があるなんてね。変生して自我を保っていられるどころか、この規模の異界まで展開できるとは、ボクの予想をはるかに上回る結果だよ。それでどうだい、その身体の使い心地は? どんな特性があるんだい? 何か違和感とかないのかい?」

 セラは変生した亜門の肉体に執心のようだった。矢継ぎ早に質問を飛ばす。

 だが、その質問に答えているよりも、今の亜門にはすることがあった。

「それよりも、魔導書は確かに破壊できたのか?」

 混乱の中で魔導書を破壊できたのは奇跡に近かった。なにせ今、亜門は『NEONE』という未知の存在に変化しているのだ。自身の肉体がどのように変化しているのか把握できていない状態。その状況下での魔術の実行。当然、目的の魔導書が削除されているかどうか、一抹の不安が残っていた。

「これを見なよ」

 セラは異界から何かを拾う。黒焦げた炭のようなそれは、深きものが使用し、脳内から排出された魔導書の残骸だった。

 『本』なのは形だけ、完全に機能は停止し、起動する気配はない。

「魔導書か。それがどうかしたのか?」

「キミは不思議に思わなかったかい? 今破壊した魔導書の数は実に143冊。明らかに数が多すぎる、と」

「……確かにな」

 ショッピングモール内の深きものは全て一掃した。だがそれは氷山の一角。深きものの多くは『膿』に潜んでおり、群れとしての規模は亜門が想定していたよりもはるかに大きかった。

 破壊した魔導書も、その数に比例して膨大な量となっていた。

「これは模造品コピーだよ」

「!?」

「他の魔導書も同様だった。原典オリジナルとも言えるデータはこの異界のどこにも存在しなかったよ」

「……やはりか」

 魔導書を手にセラが告げる。偶然にも、亜門も同じ結論に辿り着いていた。

 破壊した魔導書は全部で100を超える。その全てが別の場所で生み出されたものだとは考えづらい。同じ状態、同じ効果を生み出すのならなおさらだった。

 コピーとしての強みは物理アナログよりも電子デジタルにある

 元となるひな形が存在するなら、電子上で流用することは容易。どんな容量の物であれ、時間さえかければ自動的に、いくらでも複製できる。

 あの深きものの多さは、その量産にかけた時間に比例していると言えた。

「それだけじゃない。この魔導書の詳細をその眼で見てごらんよ」

 亜門はセラの促すまま、義眼を残骸に向ける。

 すると自動的に魔術が起動した。詳細が視覚に浮かび上がる。

《『MEMORY_SCAN記憶解析』実行》

《データ名……『ALA121.zif』》

《コピー元……『Necronomi.con』》

《製造日――》

「『6月22日』……これは昨日か!?」

「そう、ボクたちが出会った日にも魔導書は誕生していた。もしかしたら今こうやってお喋りしている間にも、彼の仲間は誕生し続けているかもしれない。亜門、これは由々しき事態だよ。今対処しなければ、この町はいずれ彼らで埋め尽くされる」

「今みたいな深きものが、増え続けるということか……」

 深きものが消え、安心できるのもつかぬ間の出来事だった。

 いつ次の深きものが現れるか分からないのが現状。こうしている間にも魔導書は増え、無知な人々を深きものへと変貌させ続けているかもしれない。そうすれば、この都市はいずれ破滅へと向かう。それだけは阻止しなければならなかった。

 そのためにも、まず魔導書の原典を探り当てる必要があった。

(だが……どうやって?)

 もちろん具体策などない。唯一の手がかりは、手元にある破損した魔導書のデータだけだった。

「とりあえず亜門、変生を解除しなよ。起きた彼女がびっくりしてしまうよ」

 亜門が思考を張り巡らせていると、セラが口を出す。

 異界はまだ展開されていた。自然に消える訳はなく、変生を解除しないと消えそうにもなかった。

「ああ。……それでどうやるんだ?」

 変生するのは簡単だった。呪文を唱えると全て自動で進み、いつの間にか姿が変わっていた。ただ変生した時とは異なり、元の姿に戻るには特定の呪文などはないのだ。

 戸惑う亜門に、ため息を吐きながらセラがアナウンスする。

「眼の中に視界とは別に開いている門があるだろう。それを閉じればいい。なに、キミがいつもしていることだよ。機械を操るように、あるいは知識を覗き見るように、肉体を操作すればいい」

「……そうか」

「キミの力だ。キミが実行しやすいように契約は成されているはずだよ」

 亜門はセラに言われるがまま、作り替えられた身体と同化した義眼に意識を向ける。

 義眼の内部構造は同じだった。亜門の設計したとおりの構造。同じプログラムで動き、同じタスクで処理を行う。その中に一つだけ未知のプログラムが、夢野角を広げるように起動していた。

 自身の義眼に亀裂のように広がるそれを、ひと思いに閉じる。


《『TENTACT_DEITY/HASTURハスターとの接触停止ストップ


 終了のアナウンスに伴い、周りの異界も消え始めた。『膿』も『砂漠』も消え、劇場は本来の姿を取り戻す。

 それは亜門の身体も同様だった。肉体が再構築され、身体に広がる亀裂が閉じる。瞬きほどの間に、亜門は正常な人の形を取り戻していた。

「……もう終わったのか」

 変生した本人が気づかないほど静かな変化だった。

 亜門は自分の身体が無事か、鏡や素手で確認する。その瞬間だった。

《異界破損、支配率低下。異界を維持できません》

「っ!?」

「どうしたんだい? 亜門」

「今、異界が割れた。いや

 亜門の表情に焦りが浮かぶ。当然だった。あの深きものですら抵抗することができなかった異界を、何者かが破ったのだ。

「まだ生き残りがいたのかい? まさか原典かい?」

「わからない。だが何にしろ、ここで見逃すわけにはいかない」

 眠り続ける美衣子を座席に座らせて、亜門は映画館から更に上階へ向かう。美衣子を放置して動くのは心苦しかったが、今は背に変えられない状況だった。

 異界が破られた最上階の踊り場へ。亜門は向かう



「なんだ……これは?」

 階段を駆け上がった先に亜門が視たものは、驚愕の光景だった。

 真っ先に目に入る、完膚なきまでに破壊された店舗。店名を表す旗が床に散らばっている様子から、かろうじてそこが元々は食品店が並ぶフードコートだったことが窺える。そんなか細い情報でしか判別できないほど、その場所は軒並み破壊され尽くしていた。

 不自然に破損した床のタイルが、その破壊が自然現象ではなく、未知なる力によって引き起こされた事を証明する。

 深きものとはまた違う、何か異なる存在の痕跡だった。

「巨体だ。深きものよりずっとね」

 痕跡は外へと繋がっていた。

 フードコートに出入り口はない。踊り場の壁を突き抜けるように、巨大な風穴が空いていたのだ。

 外から風が流れる。亜門の異界を破った何者かが、もうそこにいないことを知らせるように吹き荒ぶ。

「異界を破れるのはNEONEだけ。間違いないよ亜門。ここにはNEONEがいたんだ」

「……誰が」

 亜門は推し量る。

 凄惨たる被害から、敵の脅威を。

 魔術の残り香から、敵の強大を。

 両の目にそれぞれ映し出す。

《外部と接続が復旧しました。緊急災害アナウンスを停止。避難されたお客様はそのまま、救助隊が到着するまでその場を離れないようにしてください。間もなく救助隊が到着します》

 安全が確保されたというアナウンスが流れる。同時に踊り場に電灯が点り、亜門のいる踊り場に一台のエレベーターが到着した。



「そこまでだハッカー!! 大人しく手を挙げろ!!」

 エレベーターの扉が開くと、そこからトレンチコートを着た男が飛び出した。後を追従するように銃器を携えた機動隊が周囲を取り囲む。

 弁明の余地もなく、亜門は機動隊に取り抑えられた。姿を現してから僅か数秒間の出来事。手際よく物事が進む。間違いなく本物の警察だった。

「偽造工作及びインナーユニバース不正アクセス、加えて殺人補助の疑いにより、新亜門、貴様の身柄を拘束する! 無駄な抵抗をするなよ!!」

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