目覚め/The_King_In_Yellow_2-10

 その変化に気づいたのは、ごく少数の深きものだけだった。

 無抵抗に横たわる亜門の義眼にヒビが入る。黄色い線がいくつも走り、そこから黄金のような砂がいくつも溢れ落ちていた。線は重なり、亀裂へと変化する。亀裂は義眼を超え、亜門の身体を裂け目として、その範囲を拡大していた。

 群がっていた深きものはようやくその異常性に気づく。しかし広がる亀裂は止まらない。黄金の線は亜門を超え、ついに異界の膿を引き裂いた。

 それは異界という絶対の法則が崩れる瞬間だった。

 裂け目から風が吹き、黄土の粒子が空間を満たす。やがて奥から人影が現れた。そのシルエットは、形こそ人だったが、その姿は人間からかけ離れたものだった。

 銀色に光る金属の鎧。生身の部位は一切なく、卵殻のように割れた隙間から、亀裂と同じ色合いの輝く流動体が血液のように流れる。

 その顔に当たる部分には、亜門の描いたものと同じ、『古い印』が刻まれていた。


The_King_In_Yellow黄衣の王


 異界に適した形を持つ、騎士然とした異形。それこそがセラが呼び出し、亜門が変生した異形である。

 亜門は今、『NEONE』として顕現していた。

「ずいぶん長い旅だったみたいだね」

 姿が変わった亜門に対し、いつものようにセラは声をかける。

 変生は時間にして一瞬の出来事。しかし亜門の精神はその間、長時間に渡って別の星を旅していたことを、彼女は知っていた。

 精神の安否を確認する声に、亜門はくぐもった声で返事する。

「セラか。……本当に長い旅だった。自分を見失うほどにな。だがもう大丈夫だ。俺はもう自分を忘れない。奴らを倒し、ミーコを助ける。それだけの力はここにある」

 そう答える亜門の精神は、セラの予想以上に安定していた。

(やはり、人間は素晴らしいね。いやもしかすると、彼だけがそうなのかな?)

 セラが見守る中、亜門は力強く異界へと踏み出した。その眼はインナーユニバースを通し、その場にいる者だけでなくショッピングモール全体、ひいては異界全域の深きもの全てを補足していた。

「……反撃開始だ」

「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」

 異界を物ともせずに進む亜門に、深きものたちが一層声を上げて迫る。先程と同じように牙を突き立て、食らいつく。

 だが、今度は違う結果になった。

 鋼鉄の肌に立てた歯が、爪が、次々と折れていく。今の亜門の身体は異形と化したそれ。いくら金属質に見えていても、その本質は亜門が契約した旧支配者に酷似したものだった。

 深きもの程度の力では傷をつけるどころか、その歩みすら止めることは出来ない。

 いくつもの攻撃を受ける中で、亜門はついに攻勢に出る。指を折り、深きものへ拳を繰り出した。拳はいともたやすく深きものの体を貫通し、内部にまで達した。あれほど強靭だった魚鱗を引き裂き、恐れとともに、その存在を深きものへと知らしめる。

 しかし引き裂かれた深きものが異界へと沈んでも、深きものの手は休まなかった。次の個体がすぐさま『膿』から浮上し、数で亜門を攻め立てる。

「きりがないな……」

 自身を取り巻く力は強大だが、このまま殴っているだけでは全て撃退するには程遠い。状況を一転させる決定打が、何よりも必要だった。

「亜門、これを使いなよ」

 突然、戦闘を達観していたセラが何かを投げる。

 それは『本』だった。セラが所有する知識と言えば一つ、すなわち魔術だった。

「なるほど……」

 セラの意図を理解し、亜門は『本』に手を伸ばす。『本』は亜門の手に収まるまえに粒子となり、体の亀裂へ吸収された。

 頭に入ってくる魔術を、そのまま起動する。

《『TENTACT_DEITY/HASTURハスターの接触』開始》

 アナウンスが魔術の発動を知らせる。

 すると身体の亀裂から、黄とも緑とも言えない色合いの触手が飛び出す。ぬめりを帯びた触手は肌に纏わりつくと、その質感を布に変えた。

《形状”外套ローブ”》

 腕を動かすと、黄衣も合わせて動く。

 黄衣の王。その名の通り、旧支配者の手足を己の具足とする。

「殴るより、効果的か」

 亜門は向かってくる深きものに手を伸ばす。比喩ではない。亜門の動きに合わせ、黄衣が伸びたのだ。

 黄衣は深きものの身体を通り抜け、さらに後ろの深きもの数体の肉体をも通過した。

「GAuGA!?」

 深きものの動きが止まる。黄衣は接触した箇所から全身に広がっていた。亜門の手足と化した黄衣は、神経や血液を通り、脳にまでたどり着くと、夢野角の中から『本』を探り当てた。

 それは魔導書だった。古の文字で綴られ、人を深きものに変貌させていた未知のデータは、インナーユニバースを介し異界と直結していた。

「ならば、その接続を断つ」

《『MEMORY_TERMINATE記憶抹消』実行。0%……50%……100%》

 黄衣は深きものを拘束し、その魔導書を亜門の元へ引きずり出す。数値パーセンテージが最大になると同時に、亜門は手元の魔導書を握り潰した。

《『ALA106.zifアルアジフ106削除ターミネート

 魔導書は塵と化す。

 同時に魔導書を奪われた深きものにも影響が出ていた。深きものの動きが完全に停止し、その肉体にほころびが生じ始める。

 それが魔術によって変生した『NEONE』の末路だった。魔力源である魔導書を失った深きものは、一体の例外もなく砂へ還る。

 崩壊していく同胞を見て、圧倒的な力の差を感じ取った深きものたちは、一斉に後退を始めた。本能故に決断は早く、行動は迅速だった。

「亜門、彼女が!」

 亜門はセラが示す方角を見る。そこで目にしたのは、今まさに深きものが、『膿』に囚われた人々を連れ去り、異界へと潜ろうとする光景だった。

 その中には美衣子の姿もあった。

「させるか!!」

 亜門は声を震わせ叫ぶ。激情に呼応するように古い印が光る。無意識のうちに亜門は新たな魔術を起動させた。

異界構築ビルド『Celaeno_Lost_""_Library渇望の大図書展開オープン

 亀裂が走り『膿』が砕け、新たなる異界が顕現する。

 ガラスのように砕け散った世界の向こうは、どこまでも広がる砂漠だった。それは亜門の見た世界。亜門の脳に描く星の環境が夢野角を通じ、この学都に支配者の領域を呼び起こさせる。

 広大な砂漠の元に、『膿』に潜っていた深きものが次々と吐き出される。ここはもう既に彼らの世界ではなく、自在に活動できる『膿』ではない。行き場を無くした深きものは、ただこの世界の主の前に身を曝け出すしかなかった。

 異界化が解けた影響か。囚われた人々の姿も元に戻っていた。美衣子も無事だった。

 ただ、全てが元通りというわけではない。意識を失った人。深い傷を負った人。そしてもう、生き絶えてしまった人を亜門は目の当たりにする。

 誰かがこの連鎖を止めなければならなかった。

 深きものは砂漠の上を逃げ回る。だが亜門は彼らに容赦しない。たとえ元々が人間の身体であろうとも、知性を無くし、人の命を奪う怪物となってしまったのであれば、その脅威を誰かが排除せねばならなかった。

「貴様らには罪を償う知性がない。だから、命で償え」

《異界支配率上昇『Celaeno_Lost_""_Library』領域内の魔導書を全て補足》

 砂漠から触手がいくつも伸び、その全てが『黄衣』へと変化する。深きものを拘束し、その内部の魔導書に取りつく。

 深きものは必死に抵抗し生き延びようと足掻く。しかし亜門の異界内では、全ての抵抗は無意味だった。

《『MEMORY_ALL_TERMINATE記憶全抹消』実行、0%……50%》

《『ALA55.zif』削除》

《『ALA56.zif』削除》

《『ALA58.zif』削除》

 凄まじい勢いで魔導書が消滅していく。黄衣は劇場内どころか、このショッピングモール中全ての深きものを探知し、異界へと引きずり込んでいた。

 異界の砂漠は全て黄衣。亜門の手足であり、外敵を処罰する処刑具だった。世界そのものに押し潰され、深きものは魔導書ごと圧倒される。

《100%》

《『ALA122.zif』削除》

 魔術を起動して僅か数秒、NEONEとなって僅か数分の出来事だった。

 あれほどいたショッピングモール内の深きものは、欠片も残らず消滅した。

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