目覚め/The_King_In_Yellow_2-6

「今のは誰なんだい?」

 今までどこに立っているのか、頭上から亜門の視界に入り込んできたセラが言う。

「深見大二。俺の友人だ」

「ふうん、実に仲が良さそうだったね。そうか、キミのような人間にも友人はいたんだね」

「無意識だろうから言っておくが、その言い方は失礼極まりないぞ」

 意外そうなセラに対し、釘を刺す。亜門は静かに憤慨していた。

「しかし、また厄介な相手が現れたね」

「厄介?」

「何って、絵に描かれていた主さ」

 セラが指すのは、大二から送られた画像の壁画に描かれていた、あの驚くべき巨体を持つ深きもののことだった。

「あの怪物を知っているのか!?」

「もちろん。そしてある意味納得したよ。深きものが増え続けるこの現状を生み出せるのは、彼を置いて他にはいないね」

 セラは手をかざし、亜門の『紙面』に文字を連ねる。

 深海の主。深きものどもの頂点に立つ存在。『セラエノ石碑』にも刻まれた正真正銘の旧支配者。その名を。


「『Dagonダゴン』」


「大二も言っていたな。奴らの親玉ではないかと。しかしセラ、実際にこれほど巨大な存在が、この町に潜んでいる可能性はあるのか?」

 市原陽子が変貌した深きものも巨体ではあったが、あくまでもそれは人と比べてのこと。『ダゴン』という怪物の全長は、壁画に描かれた構図をそのまま読み解くのであれば、他の深きものと比べて十倍はあろうかという体格を有していた。

 あらゆる監視機器が機能するこの町で、それほどの巨体が隠れて活動できるほど、町の警備は甘くないと亜門は身をもって知っていた。

「そのための『異界』だよ。物質と電子の狭間、インナーユニバースという夢によって形作られた仮想空間ならば、いくら巨大な存在であろうとその身を隠せる。彼が居を構えるとすればそこだね」

「……なるほどな。あの空間ならば身を隠すのにうってつけというわけか」

 昨日の出来事と照らし合わせ、亜門は納得する。あの現実離れした異空間であれば、どんな巨体、異物であっても電脳上に存在するため、現実から姿を隠すことが可能だった。

「そしてもう一つ、襲われた人間の頭部が欠損している理由が分かったよ」

「本当か?」

「ああ、魔力さ。彼らは魔術を利用して変生した後、魔力を糧にして活動する。彼らが自我を失っているように見えるのも、変生に魔力を使っているからだ。そんな彼らは魔力をどこから調達してると思う?」

 昨日のやり取りから答えは自ずと導かれる。

「そんなもの決まっている、脳だ。しかしなぜ同じ深きものである市原陽子が犠牲に?」

「彼女は他の人間とは違う。おそらく脳にある魔導書を頭蓋ごと奪われたのさ」

「脳にある……魔導書?」

「そう。キミは例外だけどね」

 考えてみればそうだった。

 亜門は現在、『セラエノ石碑』というデータを義眼に移植している。しかし普通の人間は義眼のような外付けの義体はない。よってインナーユニバースでやり取りするデータの多くは脳に保存されている。

 セラの言う通り、電脳化された魔導書を人間が持っているとすれば、その場所は脳の他にはない。

「彼女はおそらく、何らかの理由で群れから追われることになったんだ。そして他の人間と同じように、魔力の糧として回収されたと見るべきだろうね」

「その何らかの理由とは?」

「それが分かれば苦労しないさ」

 セラはあっけらかんと言い放つ。死んだものには興味がないといった様子だった。

「でも大方の理由は、自我を取り戻して逃げ出した、といったところだろうね」

「深きものは複数。さらにダゴンもいるとなると、この町にある魔導書は想像以上に多いのか?」

「うーん、それが分からないんだよ。本来それほど魔導書はないはずなのだけど、どういう訳か数が増えている。これが全て深きものに変生するしたら、その数は恐ろしいものになるよ」

 平和に見える学都だが、その裏では無数の脅威が蔓延っていた。今までの情報や事件は氷山の一角に過ぎないとすれば、一体どれだけの魚人が街に潜んでいるのか。

 事態は亜門の想像しているものよりずっと深刻なようだった。

(やはり大二一人では無理がある)

《形状”紙飛行機”『スワロー』。》

 亜門は『紙面』を広げ、素早く『紙飛行機』へと変化させる。形状は普段使いの汎用のものではなく、速度重視の燕と呼ばれる流線型の形態だった。速度は特急、強制的にメッセージが開示される緊急仕様である。

「大二を呼び戻す」

 短く、八幡教授捜索の制止メッセージが込められた『紙飛行機』を亜門は投げた。

 『紙飛行機』は特殊回線を通じ、目にも留まらぬ速さで外へと向かい、大二の元へたどり着く。

 はずだった。

「!?」

 外に向かって投げたはずの『紙飛行機』は、行き場を無くしたように彷徨う。やがて二、三回、その場を回転すると、諦めたように亜門の手元へと帰ってきた。

 インナーユニバースの中を飛ぶ『紙飛行機』は物理的な壁には阻まれない。それが行き場を無くしたという事は、

「ネットワークが遮断されているのか!」

 そこで亜門はようやく周囲の異常に気付く。

 外に通じる出入口が黒い壁のようなもので閉ざされていた。黒い光沢を放ち、常に胎動して動く流動体。すなわち『膿』だった。

「まさか!?」

「そのまさかだね。今の今まで気づかなかったよ。こんな場所にまで広がっているなんてね」

 驚く亜門の隣でセラが言う。一つ一つ、噛みしめるように告げる口調が状況の深刻さを物語っていた。


「この場所、この空間はもう、『異界』だよ」


 デパート全体に警報が鳴り響いたのはその直後だった。

 亜門はすぐさま、出口とは逆の、人のいる方角へと走り出す。

(ミーコが危ない!)

 広間に出ると案の定、混沌の極みだった。

 異界から生み出される『膿』によって、だれも外部と連絡を取る事は出来ない。買い物客で賑わいを見せていたはずのショッピングモールは、物理的に脱出することができない魔境へと成り果てていた。

 声を上げ逃げ回る人々。その視線の先には、昨日亜門を襲った深きものが沸く。深きものはうなり声を上げ、何も理解できていない無垢な人々を追い詰めていた。

 その数、視界に入るだけでも数十。

「いつの間にこれだけの数が?」

「人の中に紛れていたみたいだね。こうしてる間にも数が増えている。ほら見てみなよ」

 セラが指差す先を見る。逃げ回る集団の中、亜門の義眼が捉えたのは深い藍色だった。それは昨日、市原陽子が変生する際に見えたものと同じ色。つまりは同じ『魔導書データ』が集団の中に存在することを表していた。

 何処からともなく響き渡る奇声の後、一人の男が怪物と化す。続いて女性。魔術による変生。その繰り返しだった。

 セラの予想は的中した。避難していたはずの人々の中から新たな深きものが現れ、場はさらなる阿鼻叫喚へと導かれていた。

「奴らはなぜこの場所へ現れた?」

「分からない。ただ一つ断言できることがある。これほどの異界を構築するには、相当な時間と魔力が必要だよ。すぐに準備できるものではないさ」

「……計画性があるということか」

「そう、そしてそれを実行した者も、相当な魔術師だよ」

(一体いつから仕掛けられていた? いや何故俺たちがいる時に?)

 疑問は尽きないが、今必要なのは思考ではなく行動だった。

「俺は一先ずさっきの場所へ向かう。セラ、お前はミーコの場所を探してくれ」

「おや、逃げないのかい? 今なら深きものも気づいていない。転移の魔術でなら一人で安全に逃げられるよ」

「まだミーコが中にいる。逃げるのはその後だ。ミーコの事だ。この騒ぎで避難しているか、俺を探している可能性が高い。監視カメラの記録から探し出せるはずだ。やってくれ」

「自分の安全が確保されているのに、みすみす危険を冒すなんてよくわからないな。昨日はあれほど深きものと関わるのを拒否していたじゃないか」

「あの時とは状況が違う。ミーコの命も関わっているんだ。手を抜くなよ。俺の義眼に勝手に住み着いてるんだ、出来ないとは言わせんぞ」

「やれやれ、魔導書使いが荒いね」

 亜門は素早く、建物全体の見取り図と監視カメラの映像を、デパートのデータベースから抜き出し、セラへと差し出す。

 莫大なデータの中から美衣子の姿を探し出すのは、人がやるにはかなり根気のいる作業だが、情報体であるセラからすれば容易な作業だった。セラは肩をすくめ、渋々といった面持ちでそれを受け取った。

「キミは不思議だね。これ以上事件と関わらないと言う割に、魔術について知りたがり、あまつさえ危険を冒して他人を助けようとする。もしかして、キミは人間で言うところの善人って輩なのかい?」

「……俺は善人じゃない。助けれられるのは自分と、自分に親しい人間だけだ」

 亜門の答えを興味深そうに聞くと、セラはデータの選別作業に移った。

 知識を名乗るだけあってその速度は驚異的だった。ものの数分あれば作業が完了する勢いで、次々と映像を処理していく。

「……任せたぞ」

 セラに一言だけ声をかけ、再び亜門は走り出す。

 深きものに襲われる集団に向け、『CLASSICハッキングツール』を起動する。

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