目覚め/The_King_In_Yellow_2-5

「通話だ。すまんが取らせてもらう」

 沈黙を破るようにベルは鳴り続ける。亜門は質問の流れを断ち切るように、『黒電話』の受話器を手に取る。

「亜門だ」

「おおう! やっと繋がった。亜門、俺だ、お前の親友だ」

 ハイテンションな言動が受話器越しに聞こえていた。聞き間違えるはずもなく、深見大二の声だった。

「知っている。それで何の用だ?」

「いやなに、デートの調子はどうかと思ってな。例のデパートにいるんだろ?『アフター211』だっけか?」

「デートじゃないと言っているだろう。あと何故この場所を知っている?」

「そりゃあ勿論、教えてもらったのよ」

「……ミーコか」

 昨日の今日で二人の予定が第三者に伝わっていた。おそらく昨日、亜門がカフェを出て行った後、美衣子が話したのだろう。

 美衣子の情報漏洩の甘さに亜門は頭を抱える。

「んでどうよ。デートは上手くいきそうか?」

「残念ながら今は一人だ」

「おいおい勘弁しろよ。二人仲良くなってもらわなきゃ間にいる俺が気まずいだろうがよ。昨日のあの後も、俺がちゃんとフォローしといたんだぜ」

「すまん。その点に関しては迷惑をかけた」

 昨日は何かと色んな出来事が起きた故に、美衣子に構えなかった。その中で大二のフォローはありがたいものだった。

「俺の土産も置いていきやがって。美衣子ちゃんに渡したからちゃんと受け取れよ」

「土産と言えど、自身の研究材料を渡すのはどうかと思うが?」

「いいんだよちょっとぐらい。色を変える程度なら数グラムあれば機能する。必要な分は確保してる。研究に支障はないぜ」

「そうか。それは良かった」

 そんな他愛ない会話が続く。

 その最中で、大二の雰囲気が変わった。

「なあ、亜門。昨日渡した名簿を覚えてるか?」

「ん? ああ、研究所の名簿か。それがどうかしたか?」

 そこからが本題、大二が通話をかけた最大の理由だった。

「その中の『市原陽子』について覚えはねえか?」

「っ!?」

 突然の指名に、亜門の神経が一斉に逆立つ。

 頭の片隅にあった懸念材料に触れられ、昨日の出来事がまるでつい先ほどのように思い出される。『異界』、『魔導書』、『魔術』。あまりにも非現実的過ぎる出来事が立て続けに起き、今まで意識から外れていたが、紛れもなくその中心に市原陽子がいた。

 魚人、『深きもの』と化した彼女をこの目で目撃してしまったのだ。

 昨日の事を今説明すべきか。悩みながら亜門は聞き返す。

「彼女が……どうかしたのか?」

「いやな、どうやらみたいなんだよ。下水道の中で、死体となってな」

 告げられたのは亜門の予想だにしない答えだった。

(どういうことだ? 他の人間が被害に遭ったのならまだしも、怪物と化した彼女自身が見つかるなど。それも死体で)

 まるであべこべだった。直接見て被害にあった亜門だからこそ、あの怪物が死んだことが信じられなかった。

 状況は混沌とし、亜門は頭を抱える。だが知るべき事は知っておかなければならない。

「死体……つまり彼女は亡くなったと?」

「ああ、酷えもんだよ。全身に生傷、打撲、骨折だらけ。傷がない場所がないって話だ。これは明らかな殺人だってよ。……おまけにその死体には、頭がなかったらしい」

「頭が?」

「おう。それも一部じゃなく、丸ごとだ。首元から根こそぎ引き千切られた跡がしっかりと残ってたらしい」

「……そんな状況で、よく死体が彼女だと判別できたな?」

「まあな。生体認証は一致してたとよ。んで持ち物服装も一致。頭はなくても彼女だってよ。ったく恐ろしい世の中になっちまったぜ。同僚が死に、教授も未だ行方不明。残った奴らがいつ襲われたものか分かったもんじゃねえ。俺も、お前もな」

 通話越しに聞こえる、大二のいつになく神妙な声色が、今回の事態の深刻さを物語る。驚いていた亜門も次第に冷静となった。

 果たして、死んだのは人間か、怪物か。

 死んだ彼女が今どうなっているのか、亜門は大二に聞く必要があった。

「大二、彼女の体に何か特殊な変化はなかったか? 例えば、手や足、頭など骨格に異常があったとか」

「特には聞いてねえな」

「そうか……変なことを聞いて悪かったな。気の毒にな」

 当たり前の話だが、昨日見た市原陽子は人として発見されていたようだ。

 銀色の鱗も、水掻きやヒレも、飛び出した不気味な目や牙も、何一つ深きものへ変わった痕跡がなかったということだった。

(死に際に人間に戻ったのか?)

「しかし亜門、今更なんでそんなことを聞くんだ?」

「気になっていてな。昨日も俺たちが話していた、人が怪物になる、という噂話をお前も聞いていただろう。体躯が巨大になり、鱗やさヒレのような人にはない器官が生え、そして人を襲う。今回の話もそれに関連しているのかと思ってな」

 亜門は今回の事件と深きものの関連性を大二に伝える。しかし彼女と直接会った事を伝えず、あくまで興味本位で聞いたという体裁を取る。

 理由はやはり、彼女の変貌を伝えないことが最良だと思われたからだ。

「つまり陽子ちゃんはその怪物とやらに襲われたと?」

「おそらくだ。怪物……魚人という通称を使うが。今学都で多発している行方不明事件はおそらくその魚人が関係している。彼女もその被害者の内の一人だと俺は思っている」

 亜門は事件内容を纏めた『紙面』を『紙飛行機』に変え、大二に向け飛ばす。

「とはいえ、いきなりこんなことを言われても信じられないと思うが」

「いや、信じるぜ。陽子ちゃんの殺され方は普通じゃねえ。なら普通じゃねえ事件に巻き込まれたってことだ。何よりお前が言うんだ。与太話の類じゃねえってのはなんとなく分かるぜ」

「……ありがとう」

 亜門の心配を他所に、記事を見た大二はすんなりと現状を受け入れた。たとえ非科学的であろうとも、そこに可能性があるのなら何でも取り入れる。実に大二らしい回答だと言えた。

「それに他人事じゃねえ。画像を見て気付いたんだが、これと同じようなものを俺は見たことがある」

「!? どこでだ?」

「教授が最近、熱をあげて研究してた壁画の中にだぜ。魚と人が混じったみたいな奇妙な生きもんが、人間を食す光景が記されていたのを思い出したぜ。えーと、確かデータがあったはずだが……」

 しばらく大二の声が聞こえなくなる。その後、亜門の元へ『紙飛行機』が飛来した。自己主張の激しいピンク色をしたデータは、紛れもなく大二のものだった。

 改めて『紙飛行機』を開くと、現れたのは複数枚の壁画の画像だった。それは人とも魚とも言えない存在が、一人の人間を囲んでいる様子が描かれていた。昔の、それも抽象的な壁画ではあるが、それでもはっきり分かるほど、そこに描かれている存在は亜門の目撃した深きものと似通っていた。

「八幡教授が何故これを?」

「さあな。でもどうやら教授はこいつらについて調べてたみてえだな。これと似たような絵は他にもあったんだが、大体構図は一緒だ。平たく言えばこいつらは人を食ってんな」

食人カニバリズム……つまりこの人間は魚人の食料という事か」

「そういうこったな。だが、ここに映ってんのは、必ずしもこいつらが食すものってわけじゃなさそうだぜ」

「……?」

「次の画像を見てみな」

 言われるがまま画像をめくる。そこに映っていたのは人間を引き連れた魚人が、さらに大きな魚人へと捧げ物をしている絵だった。

 絵画からでも伝わるほど禍々しい外見を持つ、魚人の数倍はあろうかという体躯を持つ怪物が、数十人もの人間を食していた。

(何だ……これは? どう見ても大きすぎる)

「どうやら魚人達の親玉みてえだな。ははーん、何となく見えてきたぜ。どうやら魚人はこいつに貢ぐために人間を攫ってるみてえだな」

「こんな存在が、学都に?」

「可能性はあるぜ。普通に考えりゃデカすぎて隠れらんねえが、こいつらみたく何かに化けてんのかも。……こりゃ教授を探し出す必要が出来てきたな」

「……そうだな。これほど情報を持っているということは、八幡教授が何かを知っていることは間違いない」

 この現状を引き起こしたのは八幡教授なのか、決めるにはまだ早計と言える。しかし、少なくとも今回の件で何か関わりがある事は確かだった。

「うし、そうと決まれば捜索だな。気負ってばかりもいられねえ。亜門、俺たちで早く教授を見つけてやろうぜ」

「教授の居場所が分かるのか!?」

「まあな。教授が行きそうな場所には大体目処が立ってる。俺は先に向かってるから、随時連絡しあおうぜ」

「待て、一人で探すつもりか? 危険だぞ」

「おいおい、教授が居なくなって今日で丸二日。危険なのは教授の方だろ。これ以上怪物がちんたら待ってくれるとは思えねえし、二手に別れてでも教授を探した方がいいだろ」

 大二の言っていることも尤もだった。もし教授が深きものに捕まってしまったのであれば、その身は今、危険極まりない状態にある。警察の本格的な調査が始まったとしても、深きものは『膿』の中を自在に闊歩できる。教授を安全に発見できるとは到底思えなかった。

 それならば、多少当てのある大二に教授の動向を探ってもらった方が、早く見つかる可能性は大きい。

「なら俺も今すぐ向かう」

「何言ってんだ? お前はデートの続きだろ。昨日の今日でまた美衣子ちゃんを置いていくのかよ。俺はいいからお前は美衣子ちゃんについてやんな」

 亜門の提案は一蹴された。確かに美衣子は連れていけないため、ここで別れる必要があるが、

「しかし一人では……」

「心配すんなって。危なくなったらすぐに逃げるからよ。俺はこう見えて場数を踏んでんだぜ。なんせ海外じゃスラムからジャングルまで渡り歩いたからな。それに空手も黒帯だ。そんじょそこらの輩にゃ負けねえ」

 空手の件は不要だが、大二には場慣れした経験が豊富だった。危険地帯での話もいくつか聞いたことがあり、危機管理については並以上の知識を持っていると言えた。

 時間がないのは事実。今ひと時、亜門は大二の言葉を信じてみることにした。

「そうか、ならば今だけは甘えよう。……だが気をつけろ。怪物は人間とは違う。鉢合わせになっても、決してその空手なんぞで戦おうとはするなよ」

「分かってる分かってるって。んじゃ俺はそろそろ出かけるぜ。デートの続き、頑張れよ」

「だからデートではないと、……いや、分かった。楽しんでくる」

「ああ、同行できない可愛そうな俺の分まで楽しんでな」

 皮肉らしい事を言いながら、大二は通話を切った。最後まで冗談を欠かさない姿勢は、実に大二らしかった。

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