目覚め/The_King_In_Yellow_2-4
自動販売機が立ち並ぶ人目のない通路にたどり着くや否や、亜門は抱えていたセラを自動販売機に向け投げ飛ばした。
セラは慌てるでもなく、空中でローブを翻す。見事、自動販売機の上に着席した。
「やれやれ、手荒い扱いだね。何が気に召さなかったんだい?」
「なんのつもりだ? 何故あんなふざけた真似をした?」
「何故って、興奮しただろう?」
セラはあっけらかんとした表情で答えた。
その態度に悪意は一切無く、なぜ亜門が詰め寄っているのかすら理解できていない様子だった。
「お前は何を言っているんだ?」
「ボクはね亜門、人間について多くを学んだ。習慣や文化。だけど未だに知り得ないことがある。正義や悪、善、そして愛といった形にはない概念だ。……端的に言えば、人間の交尾というものを見てみたいんだ」
「……は?」
思わず目を剥く。亜門が表現できる最大限の驚きだった。
「キミと彼女の交尾だよ。雄と雌なら子孫を残す方法があるんだろう? それを是非拝見したいんだ」
「いや具体的に言うな。何故そんなものを見せなくちゃならないんだ? 冗談じゃない」
「あれ? 彼女とは恋人という関係性じゃないのかい? あらゆる人間は子孫を残す際、気に入った異性と親しい関係になり、交尾という行為をすると魔導書の知識には記されているよ。そのため、若い雌雄はこぞって競い合い、時には三角関係になるとも……」
とんでもなく偏った知識だった。
「……俺とミーコは恋人じゃない。だから、そういうのもない」
「恋人じゃなければ、なんなんだい? キミたちは子孫を残さないのに、なぜ他の人間より親しげなんだい? それとも実は彼女の事が嫌いなのかい?」
「嫌いじゃない。ただ、昔から一緒にいるだけだ。学都に来るよりも昔からな」
「昔から一緒……それにしては彼女の心拍数は上がっていた。これはキミに対しての好意という感情じゃないのかい?」
「……魔導書にデリカシーはないのか?」。
「気になるのさ。キミたちの関係性がね。明らかに他の雌雄と異なっている。互いが好意を持ち、信頼関係が成り立っているのに、それを拒否する。この奇妙な関係にこそ、ボクは求める形なき概念の答えがあると思っている。そしてあわよくばそれを記録したいとも考えているんだ」
「お前の眼鏡に叶うような大した関係じゃないさ」
「知識に値するかどうか自分で判断するよ。亜門、良ければ教えてくれないかな? キミたちの関係性、その始まりを」
セラが亜門に詰め寄る。かつての幼馴染と同じ面影を見ると、嫌が応でも過去の記憶が呼び覚まされる。
それもそのはずだった。目の前にいるのは幻影。まさに亜門が美衣子と出会った時のそのままの姿なのだから。
「……嫌だと言えば?」
「それではしょうがないね。脳から直接記憶を覗き込むよ」
どうやら拒否する選択肢はなかった。
堪忍したように亜門は、適当な椅子に腰掛けると、静かに語り始める。少年時代の話。かつて自分が些細な事でいじめに遭い、それを美衣子に助けられた事を。
「それからだ。俺とミーコはいつも一緒に行動するようになった。はみ出し者と転校生、互いに友人のいなかった者同士、自然と仲良くなった。意外かもしれないが、その姿だったミーコは今よりももっと気が強く、絶対に自分の意思を曲げない人間だった。……だが、それが、ある日を境に変わった」
亜門は義眼に触れる。あの時の痛みを、光景を、思い出すように反芻する。
「ある日、クラスメイトの財布が無くなるという事件があった。持ち物検査の結果、財布はミーコの鞄から見つかった。もちろん。ミーコには見覚えのない。盗む理由もなく、そもそも誰の物かも分からない。だが、ミーコの鞄に入っていたのは紛れもない事実だった。そう、ミーコは嵌められたんだ」
何てことのない、単純な話である。今まで亜門という気弱な少年に向けられていた鬱憤の矛先が、仲良くなった美衣子にも向けられただけの話だった。
今でも亜門は、友人や親に咎められ、皆の前で望まぬ謝罪をすることになった幼馴染の泣きそうな表情を思い出すことがあった。
「自分の痛みには耐えられた。だが、自分に関わったばっかりに悲しむはめになったミーコの姿には、どうしても耐えられなかった。だから、俺は走り回った。走り回って、何か事件の手がかりがないかを片っ端から探した。そして廊下の防犯カメラから、ミーコの鞄に財布を入れる算段をつける犯人たちを映した映像を見つけた」
必然、という言葉を知る前に、新亜門という少年はその意味を理解する。
元々、亜門には幼いころから情報分野の適性があり、機械類を弄るのは得意中の得意、それこそ大人顔負けの腕前を持っていた。
それが、初めて他人のために使われた。
美衣子の疑いを晴らすために、亜門は自分が何をするべきなのかを分かっていた。それが悪い事だと認識していたし、罪に問われるとも、幼いながら理解していた。だが気づいた時には、亜門の体は炎よりも熱い使命感に突き動かされていたのだ。
齢10歳にして、生まれて初めてのハッキングだった。
「その映像を突き出すことでミーコの疑いは晴れた。だが事件の主犯は記録を見つけ出したのが俺の仕業だと嗅ぎつけた。俺を呼びつけ、いつもどおり糾弾してきたが、俺もミーコを見習い、理不尽な物言いには反論した。そういう態度が気に食わなかったんだろう。やがて奴らは直接俺に手を出した。俺は階段から突き落とされ、ミーコが駆け付けた時には、すでに全身にいくつかの打撲と、右目には手すりから剥き出しになったままの釘が刺さっていた。これが、俺が義眼である理由だ」
皮肉なことに、片目を失うという大事を引き起こしたおかげで、いじめの主犯や取り巻きは、二度と亜門と美衣子に手出しすることはなくなった。悲劇、という形でこの話は幕引きになったが、亜門の心中は決して悲観的ではなかった。
自身の行動が美衣子を助けたこと、自分には誰かの助けになる力があること。その二つが亜門に自信と、これから進むべき目標をもたらした。
(そうだ。確かにその時だった。その時から俺は誰かの力になりたくて……俺を救ったミーコのように誰かを助けたくて、技術の都市であるこの町を目指したんだ)
学都を志すきっかけと、今の自分を形作るオリジンともいうべき出来事を、亜門は思い出す。
知性の象徴。セラの姿がそこに基づいていると伝えられた時、亜門はその意味が理解できなかった。しかし今なら理解できる。知性とは思考であり、人の行動を決定するもの。だとすれば当時の美衣子の行動は、まさに亜門の今後行くべき道筋を照らし出す光そのものだった。
だが、亜門の心中とは裏腹に、美衣子は変わってしまった。亜門が片目を失ったのは自分のせいだと、何度も謝罪する美衣子の姿を、亜門は今も覚えている。
「ごめん、ごめんよ亜門!!」
それからは、美衣子はあまり自己主張しないようになった。堂々とした振る舞いや、強気な態度は控え、控えめに時を過ごしていた。
「俺が学都を目指すと口にした時も、ミーコは一緒に行くと言った。そして未だに、ミーコはあの時の事を自分のせいだと思っている。つまり、俺に世話を焼くのはミーコなりの贖罪だ。好意などではない」
事件以降の長い時間を省みながら、亜門は美衣子との関係をそう結論付ける。
どれだけ距離が近くとも、それは片目を失わせたという負い目から来る負い目でしかない、と亜門は考えていた。
「なるほど、キミと彼女との関係性は概ね理解した。でも分からないな。その問題は過去のもの。何故、彼女は未だにそんなしがらみに囚われているんだい?」
亜門の思い出話を最後まで聞いていたセラが、疑問を口にする。
「それは……」
亜門が答えを言い淀んでいると、唐突にベルが鳴る。音源は亜門の『紙面』からだった。『紙面』はその形状を『黒電話』に変え、持ち手に宛先を表示する。
接続先は『深見大二』だった。
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