目覚め/The_King_In_Yellow_2-3

『旧支配者』

 昨日も聞いた言葉だった。大いなる存在を表す言葉。だが、セラの語り口からは亜門の想像する神とは違う印象を受けた。

「『魔術』、それは理さ。『旧支配者』の理。彼らが持つこの世界とは異なる『法則』を、この世界の人間にも扱えるようにしたものが『魔術』なのさ」

「存在そのものが理……それほどに強大なのか、『旧支配者』という存在は」

 そんなものがいるとすれば、他に例えようがない。力が意志を持つ、まさしく神そのものと言える存在だった。

「『旧支配者』の中には人間のように地面を歩くのではなく、空間そのものを曲げて移動するものもいるよ。ちょうどキミが昨日したみたいにね」

 言いながら、セラは昨日の異界での様子を『本』で見せる。そこには出現させた門に吸い込まれる亜門の姿がセラの視点で映されていた。

「魔術を使うためには魔力が必要だ。それは人間の精神力ともいうべき意思のエネルギーで、それこそが人間が旧支配者の次元に干渉するための唯一の鍵だ。わかるかい亜門、人の中には僅かだけど神の力が宿っている。神の力を使えば、神の模倣を行うことができる。それが道理なのさ」

 映像の中で亜門の姿が完全に消える。この後の展開は見ないでも分かっていた。身体は自室に投げ出され、頭が混沌としているはずだった。

「神の模倣……」

「ただし限界もある。人がいくら強靱な精神を持っていても、その肉体は三次元の物。高次元に干渉しすぎると逆に脳が耐えきれなくなり、結果」

「――発狂キャパオーバーする、というわけか」

 亜門の理解した様子に、セラは満足気に頷いた。

「なるほど、旧支配者……にわかには信じがたいが、実際に魔術というものを体感したからこそ存在を否定できないな。あれは確かに常識外の力だ」

「これでも記憶を司る魔導書だからね。魔術においての知識は嘘偽りないのさ。そうだ。もう少しばかり魔術について知りたいのなら、亜門、キミにこれを渡しておこう」

 そう言ってセラは、自身が纏う『黄布』の一部を亜門へと渡した。亜門が恐る恐る手に取ると、『黄布』は体積を縮め、やがて掌に収まる程度の大きさとなった。

 インナーユニバース上で揺らめく『黄布』は炎のように、その形を絶えず変える。

「これは?」

「その黄衣はボクが生み出した異界の一部さ。魔術がインナーユニバースに適合した形だよ。キミなら色々解析できるんじゃないのかな? 魔導書を取り込んだその目なら、ね」

データの所有権が義眼へと移る。どうやらセラから亜門への贈り物ということらしかった。

「いいのか?」

「記念だよ。それにもしものことがあるかもしれないからね。魔術を知りたいって言ったのはキミだ。魔術を学んでもらうのは、もしかしたら実は良いことかも知れない」

「……願わくば、そうはならないことを祈っている」

 皮肉を口にしながら、亜門は手元の『黄布』を解析する。

 『黄布』は相変わらずの情報量を誇り、また絶えず変化するため、一見すると解析は不可能に見えた。しかし内部を凝視すると、いくつかの記号が変化しないでいることに気がつく。

 それはセラが『古い印』と言った未知の記号だった。

(つまり、『古い印』とは関数の様なものか。これ自体が特定の処理を行う文字であり、それを呼び出すことで魔術が実行される。周りの『布』はその魔術を実行するための言わば媒介。真に重要なのはこの『古い印』だ)

 そこまで理解できたのなら、後は亜門の独壇場だった。

 亜門に魔術の原理は分からない。超常的な現象も、旧支配者の存在も、亜門の常識外の知識である。しかし『古い印』の持つ役割は、義眼を用いて理解することができる。それさえ分かれば、それを応用することが可能ではないか。

 亜門が導き出したのは僅かな可能性だった。『古い印』が持つパターンを読み取り、いつも通りの操作で、亜門は『布』の内部のデータを書き換える。

 一度目、失敗。『布』はピクリともしない。再び書き換え。

 二度目、今度は布が変化したが、膨張しすぎていた。また失敗。

 同じようで少し違う修正を、亜門は何度も繰り返す。やがて徐々にではあるが、『布』の形状が亜門の意図した通りに洗練されていく。

(あと少しだ。あと少しで……)

「亜門、どうしたの? 誰か知り合いがいた?」

 いつの間にか近くに美衣子がいた。一人で商品も見ずに、ぶつぶつと喋る亜門の様子を不思議がる。

「いや、独り言だ。面白そうなアプリを見つけたんでな。それに没頭していた」

「ふーん、そうなんだ。でもせっかくのショッピングなんだし服も見ようよ。いくつか選んできたから、ほら、この服なんかどう? 似合うと思うんだけど……ちょっと着てみない?」

 その腕にはいくつかの服が乗っていた。どれも色とりどりの服装で、亜門が身に付けたことのない類の華やかなものだった。

 一目見て、亜門は首を横に振る。

「いや、俺には似合わんだろう。やめておく」

「もう、着てもないのに何言ってるの。一回! 一回だけだから着てみよ! ねえ?」

 ぐいぐいと腕を引かれる。本当に今日は美衣子の意思が強かった。

『更衣室はこちらです』

 周りにいたロボットまでもが亜門の意思を拒絶する。

 インドア派の抵抗も虚しく、あっという間に店の奥まで運ばれる。亜門は渋々、用意された服装に着替えることになった。



美衣子の見立てその一、ジャケットとパーカーを重ねたオーソドックスなカジュアル系。

「うんうん、いいねいいね。やっぱり亜門はすらっとしてるからかっこいいよ」

(まあ、無難にこんなところだな)


その二、アクセサリーを多用したラフな渋谷系。

「うーん、ちょっとイケイケすぎかな? サングラスはいらないね」

(他のアクセサリーもいらんな)


その三、ゆるい重ね着が特徴の中性的なサロン系。

「……結構いいかも」

(……美容師みたいだな。あと全ての丈がなんとなく長い)


その四、スケーター風のストリート系。

「あはははははははは! ぜ、全然似合わないね。あはははは」

(自分が用意しておいて何故笑う? まあ確かに似合ってはいないが……)



 女児に人気の着せ替え人形の気持ちを存分に味わったところで、美衣子と亜門は一旦店の外へ出た。

 購入したのはニ着。中身は言わずもがな、美衣子の反応が良かったものだ。

「なるほどなるほど、人間の服装というのは着る者自身というより、周りにどんな影響を与えるかということを重視しているんだ。これは面白いね」

 疲弊した亜門の周りを飛び交いながら、セラが言う。屈託のない笑顔を向けられても、今の亜門からすれば嫌がらせ以外の何物でもなかった。

(楽しそうだな)

「楽しい? そうだ、実に楽しいとも。人間の文化を知るのはとても面白い。一見無意味な行動も実は何かしらの意味を伴っている。特にキミたちは見ていて飽きない。もっと知りたいね。キミたちのことを」

(そうか、じゃあ存分に人間らしさを学んでくれ)

「そうだね。じゃあ遠慮なく」

 そう言うと、セラは前を行く美衣子に向けて手をかざした。冗談で言ったつもりの亜門は、セラの突然の行動に驚く。

「……何を?」

 次の瞬間、美衣子の服装が変わる。それは通りかかった女性の服と寸分違わぬものだった。

 冷静に亜門は洋服店のガラスを通して美衣子を見る。すると美衣子の服装は元のままだった。実際に服が変わってないことが分かり、亜門は胸をなで下ろす。

(視界ジャックか……どうやらミーコの服が変わったのは俺の視界だけだな。しかしセラは何故こんな真似を?)

 意図は分からないが、放置する訳にもいかない。亜門は視界情報を元に戻そうと試みて、手が止まる。

「どうしたの亜門。さっきから何か変だよ」

 険しい表情の亜門を美衣子が覗き込む。その服装は先ほどとは打って変わり、肩の大きく出たワンピース姿だった。

「えい、えい」

 どんどんセラは美衣子の衣装を変えていく。

 春物、夏物、秋物、冬物、果てには店頭には飾っていないゴスロリやメイド服などマニアックなものまで混じり、際限なく衣装が入れ替わる様はまるでファッションショーだった。

 心なしか、変更する度に露出度が上がっている。

(何をしているセラ、セラ!?)

 亜門の静止もむなしく、セラは止まらない。ついに美衣子の服装は水着に突入した。

「くそっ! 止めろ。止めろと言っている!」

「ねえ、どうしちゃったの亜門? 疲れてるの?」

 まるで虫を追い払うように取り乱す亜門を見て、美衣子は目を丸くする。

「憑かれてる? そうだな、とんでもない悪霊にだ!」

「酷いなあ。イメージが悪いから、せめて精霊だとか、妖精とかにしてほしいよ」

 肌面積が広くなる美衣子を直視しないように、亜門はセラを追う。やがて亜門はセラの『黄衣』の端を捕らえ、視覚情報を変えようとする動きを制した。


「ふふ、今日の亜門は何だか不思議だね。いつもと違う人みたい」

 美衣子は笑う。飛んだり跳ねたり、怒ったり焦ったり、いつもの冷静な亜門からは想像もつかない一面を目撃して、朗らかな笑みを浮かべていた。

 いつもなら、そんな花のような笑顔に亜門も照れ笑いを返していただろう。

 その姿が下着姿でなければ。

「ミーコすまん。ちょっと席を外す」

「うん? どこに行くの?」

「……すぐに戻る」

 一言残し、セラを抱えながら亜門は階段を走って跨ぐ。幾人もの視線が集まるが、今更周りのことなど気にしていられなかった。

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