目覚め/The_King_In_Yellow_2-1

 どこかで、子供が泣いていた。


 背丈の小さな少年が、教室の隅で息を殺してすすり泣く。

 周囲には、少年と同じクラスに所属する男子が数人、少年を囲うように立っていた。

 少年に浴びせられる、いわれなき中傷。

 始まりは、些細な口げんかだったと記憶している。物を取り合ったのか、面倒事を押しつけられたのか覚えていないが、誰もが経験したことがあり、そして大きくなれば忘れてしまうような、小さな火種だった。

 理不尽を押しつけられた少年のもっともな反論が気に食わなかったのだろう。クラスの中でも中心的だった人物と周りの同級生は口火を切り、少年への悪態をつき始めた。

それは日頃成績が良く、教師からも褒められることが多かった少年への僻みも含まれていたのだろう。

 誰よりも頭の良かった少年は、それに反論することなく、静かに批難を受けていた。

 多勢に無勢だと理解していた。子供、いや自分達が正しいと思っている集団に、個人である自分がどれほど理を説いても、その正しさが通用しないことを少年は幼いながらも理解していた。

 理解しているからこそ、少年は涙を流していた。

 正しいと信じたことが覆されることに。理不尽に蔑まされていることに。そしてそんな状況においても、涙を流すしか出来ない己の無力さに。

 そんな時だった。


「辞めなよ!!」


 照りつける夕焼けの向こう。教室の扉を開いて現れたのは、幼さを残す黒髪の少女だった。

 透き通るような容姿で有名な転校生の少女は、毅然さを持って集団に立ち向かう。

それが少年にとって、何よりも輝かしかった。




 気だるさを抱き、亜門は目を開く。

(えらく懐かしい、昔の夢を見た気がする)

 何年前の出来事だったか、当の亜門にすら定かではない。なにせそれ以降長い付き合いになる美衣子との出会い。その最初のコンタクトだったのだから。

 懐かしさに思わず笑みが浮かぶ。

 十年も前の、それも子供の頃の出来事をまだ覚えている。その律儀さが自分自身でも可笑しかった。

 そんな遥か大昔の記憶を、唐突に思い出したのは間違いなく、


「ほう、ほうほう、なるほどなるほどなるほど。人間にもいろいろ種類がいるんだね」

 声高らかに街を飛び交い、道行く人を観察する少女の姿が、昨日の出来事を夢でないと証明する。

 ここは第三学区の観光区間。その中でも最大級のショッピングモールの入口、人々の集う憩いの場で、亜門は美衣子を待っていた。

、あまり人に干渉するな」

 名前を呼ばれ、少女はしぶしぶ人への接触を止めた。

 『セラ』。それが少女に付けられた名前だった。

 なぜ亜門が名前を名付けたのか。

 なぜセラが亜門と行動を共にするのか。

 それは昨夜の出来事に起因する。




「断る」

 魔導書を破壊して欲しいという少女の提案に対し、亜門の答えは拒否だった。即答。考える余地もない。

 心外だ、とでも言いたげに少女は驚く。

「何故だい?」

「お前が地球に来た目的が、他の魔導書を破壊することなのはよく分かった。人が怪物化したり、現実が『異界』と呼ばれる領域に変わることも、魔術が関わっている。これもよく分かった」

「より正確に言うなら、インナーユニバースに適した形に変化した魔導書だね」

「……そのデータ化した魔導書だ。それを破壊するのに、何故俺でなくてはならない? 他の人間でもいいはずだ」

「キミの目は、幸か不幸か、インナーユニバース上で行使される魔術を捉えるのに適しているんだ。光に当たった色を区別するように、魔力を持つ人や物を色で見分けることができる。町に潜んだ魔導書を探すのに、キミ以上の適任者はいないよ」

「腕の立つ技術者なら他に幾らでもいる。……義眼を持たなくともな。他を当たれ」

「どうしてそこまで拒絶するんだい? 他の魔導書を破壊すれば、ボクの目的は果たされ、この都市の脅威は消える。町に住むキミにとって、悪くない条件のはずだ。いったい何が不満なんだい?」

「奴らと関わり合うのは……昨日のような目に合うのはもう二度と御免だ。お前にはこの眼から出て行ってもらう。あの石碑から俺の義眼に移ったのだから、できないとは言わせんぞ」

「……やれやれ、そこまで言うのなら分かったよ。じゃあこうしよう。キミが他の協力者を探す。その人間がキミより優れた人物だとボクが判断したら、そちらの側へ移ろう。それまではキミの目に住まわせてもらうよ」

「難癖を付けて残る、という可能性は?」

「本当に魔導書に適した人間なら、後腐れなく移るさ。ボクも一刻も早く目的を果たしたいからね。まったく、少しは信用してほしいよ。これでもキミには恩を感じて、精一杯譲渡しているんだから」

「……分かった。信用しよう」

 助けてもらった恩は亜門にもあった。視界が騒がしいのは勘弁だったが、しばらく我慢するしかない。亜門も妥協することにした。

「短い期間になるだろうが、一応よろしく頼む。セラ……エノ石碑だったか? ……長いから今後、お前のことはセラと呼ぶことにする」

 セラ、と呼ばれ、少女は意外そうに目を丸くする。

「なんだいそれ?」

「お前の名前だ。セラエノ石碑じゃ何かと呼びづらいからな。文句があるなら変えるが……」

「名前、ああそうか! キミたちの識別名か。人間は数が多いから、個体によってそれぞれ識別名があるんだっけ?」

 それからセラは「ふむ、セラ、セラか……」と自分の名前を繰り返し口にすると、意気揚々と名乗りを上げた。

「分かった。ボクの名前はセラだ。魔導書のセラ、そう記憶しよう。そしてこのボクを拾ってくれた、キミの名前も記録しておきたいんだけど?」

「……亜門だ。新亜門。性は新、名は亜門だ」

「じゃあ亜門だね。では亜門、今後ともよろしく頼むよ」




「いや、人間は面白いね。キミという人間の目にいるからかな? 色んな人間の人種や表情がよく分かるよ。ほら亜門、あの人間を見てみなよ。服だけじゃなく、髪も着飾っているよ」

 興奮冷め止まぬ状態で、セラが亜門の前に着地する。

 亜門が呼び止めなければ、セラは未だに何人もの人間の『本』に干渉し、思考を盗み見たり、また中身を勝手に書き換えたりしていただろう。まるで初めて外へ出た子供のようなはしゃぎようだった。目を離すと何かしでかすのではないかという危うさがあった。

(早く誰かに預けねば……とはいえ、どう説明したものか)

 亜門にも技術者の知り合いは何人かいる。しかし、昨日の出来事を正直に口にしたところで、一人を除き、誰も信じてはもらえないことは確かだった。

 なにせ知性を持った情報体である。経緯も含め、まともに説明できる自信は亜門にはない。

 ちなみに、その残った一人が大二である。亜門の親友であるあの男であれば、どんな荒唐無稽な問題でも面白がって引き受ける、と亜門は確信を持って言えた。

(だが、奴には頼れない)

 今回の件に関して、亜門は大二へ何も連絡していない。

 その原因は昨日出会った『市原陽子』にあった。

 大二と同じ研究所に所属する彼女は、当然大二とも交流もあったと考えられる。そんな仲間が突然怪物になったなどと伝えられ、すぐさま受け入れられるだろうか。

 亜門からこの事実を口にするには、少し躊躇うものがあった。

 魔導書セラという存在。加えて昨日の出来事。亜門の悩みは尽きない。

「どうしたんだい亜門。こんなすばらしい日に暗い顔をして、何か考えごとかい?」

 セラが顔を近づける。元からこういった性格なのかは分からないが、いやに上機嫌だった。

「お前を消す方法を考えていた」

「ひどいことを言うね。でも生憎だけどそれはできない相談だよ。自己保存こそ魔導書の本質。知識であるボクらにとって、知識を残すことこそが何よりも優先されるべき事項なのさ。だから、代わりの持ち主を見つけてもらうまで、キミの側を離れる気はないよ」

 人間であれば好意的に取られる台詞も、人間ではないセラが口にすると、まるで呪いの言葉だった。

「……冗談だ。俺とて巻き込まれた責任はある。代わりの人間は責任を持ってちゃんと探すさ」

「ボクとしては見つからなくてもいいけどね」

 自分にしか見えない存在と軽口を叩き合う亜門の姿は、側から見れば奇妙だった。その事実に気づいた亜門は、おしゃべりな魔導書を無視し、少し黙ることにした。

(さて、そろそろ時間だが)

 時計を見ると、待ち合わせの時間は少し過ぎていた。

「あ、亜門。ごめーん。もしかして待ったー?」

 大声のする方へ向くと、見知った人影がこちらへ向かうのが見えた。美衣子だった。信号を渡りながら大声で亜門に呼びかける。

 何故か、後ろに老人を連れて。

「ありがとうねえ。お嬢さん」

「いえいえ、おばあちゃんも気をつけてね」

 無事に信号を渡りきった二人は、互いにお礼を言い合い別れた。

「ごめん亜門、遅れちゃった」

「……昨日言ったことを早速実践するとはな」

「そういうつもりじゃないんだけど、道に迷ったらしくって、どうしても見過ごせなかったの」

「いや善行なんだから気にするな。それに、俺が責める道理はない」

 偶然にも昨日とは逆の立場だった。

 それよりも美衣子の服装に亜門は目が行く。美衣子の姿は、いつものシンプルなスタイルとは異なるものだった。

 普段、動きやすい格好を好んで着ている美衣子には珍しい、どことなく女子らしいふんわりとした格好だった。色使いも明るく、各所にはフリルやレースがあしらわれている。頭の頂点から足の爪先まで、気合いの入りようが亜門にも感じられた。

「さほど待ってないから大丈夫だ。時間も少し過ぎただけだ。それと昨日は、突然出て行ってすまなかったな」

 出会って間もなく、亜門は昨日の事を謝罪する。

「うん、大二もびっくりしてたよ。「俺もだけども、アイツも大概に変人だよな。ま、そこがおもしれえんだけど」だって」

 美衣子が大二の物まねをする。クオリティはお世辞にも高いとは言えなかった。

「あいつめ……」

 変人呼ばわりされたが、否定はしない。

 きっと亜門がいなくなった後の二人の気まずい空気を冗談で和ませたのだろう。美衣子の言い分からそれは分かった。

 大二という男は何かと奇抜で、つかみ所がないように感じるが、人の輪に馴染む事に関しては本気である。その手腕については亜門も信用していた。

「そうか、この人間がボクのひな形プロトタイプか」

 亜門の隣にいるセラが言う。当然、その声は亜門にしか聞こえない。

 セラは興味深々といった様子で美衣子の周囲を回っていた。時々、自身の姿と見比べる。

 同じ顔が同じ空間に二つ揃い。鏡を見せられている気分で、亜門は複雑な心境だった。

「雌型だね」

(当たり前だ)

 出た感想に思わず小声で答える。

 ともかくこれで待ち合わせていた全員が揃った。セラという不安要素を抱えながら、亜門は店内へと移動する。

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