幻影の呼び声/Grimoire_1-6

「こいつは塗料さ。それも人工物じゃない。南極近くの深海魚からしか取れない特殊な墨を濾して作ったものさ」

 液体は照明に照らされ、艶めかしく光る。黒一色のはずなのに、光の当たり方であたかも複数の色が現れるような変化が常にあり、不思議と目を離せない物体だった。

「すみ? すみってあの墨?」

「あの墨だ。いや苦労したんだぜ。この保存状態にするのは。刺激を与えないように、細心の注意を払って採取しなきゃなんねえから、もう今は肩が凝ってしかたねえ」

「お前の肩については知らないが……塗料? 黒しかないようだが……」

「こいつは電気信号を流すことで色を変化させるんだ。まあこれに関しては百聞は一見にしかずだな。見てな」

 大二は荷物から小型の発電装置を取り出すと、その電極を瓶に繋げた。

 スイッチを入れると、瓶の中の液体が誇張無しの七色に変化する。赤、青、黄、と順に切り替わり、一通りの色を映し終えると、再び同じ色を同じ順番で映し始めた。

「色を記録しているのか!?」

「な、おもしれえだろ。正式名称は色状記憶塗料。俺が苦労して見つけた、俺の新たな研究材料だ。色を記録するだけじゃねえ、こいつを使えばどんな場所にだって好きな絵を表現できるし、タトゥーだって動かせる」

「でもどこで使うの?」

 美衣子の鋭い指摘に大二の笑顔が停止する。

「……なかなか痛えとこを突かれたぜ美衣子ちゃん。その通りだ。苦労して持ち帰ったのはいいが、実を言うとあんまり使い道はねえ。なんせここ学都だからな! 塗料なんて誰が使うんだよって話だ」

「ああ、そうかインナーユニバースか」

 そこで初めて、亜門は腑に落ちた表情をする。

 空を背景に天気予報を、ビルをモニターにニュースを、何もない手元に紙を敷き文通チャットを。

 ここ学都では視覚情報というものは人の脳に作り出せるものなのだ。見ている物の色を変えたければ、通信塔からインナーユニバースに干渉すれば変えられる。現にインナーユニバースによって色や模様が変わる服も、この学都には存在した。

 だから、塗料などあっても肝心の使い道がなかった。

「てわけでこれをやるよ。俺からのお裾分けだ」

 亜門と美衣子、二人に一つずつ瓶が渡される。

「学都じゃ使い道がないと言ったこのタイミングで渡すのか……」

「うわー、きれー、ありがとう」

 研究材料を躊躇無く渡す大二に対し、亜門は驚き、美衣子は素直に喜んでいた。

「いいってことよ。今日遅れた分の詫びだと思ってくれ」

「お詫びなんて気にしなくてもいいのに。……それに今日遅れたのは大二だけじゃないしね」

 じろりと美衣子は亜門を見やる。当の本人はが悪そうに目を逸らすばかりだ。

「遅れた? 亜門がか?」

「うん、実はね……」


 そこから美衣子は亜門が遅刻したこと、その五十分もの間自分がどれだけ寂しい思いをしたかを語り始めた。亜門とは異なる視点で描かれる物語を延々と喋っていたが、残念ながらここで語られるほど大きな出来事ではなかった。

 やがて内容は、なぜ亜門が遅刻したか、その原因の話になった。

 亜門は暴走車両と、それが引き起こした不可解な現象について二人に話した。

「この学都で暴走車、ねえ」

「正直言って、前例がないタイプだ。間接的なハッキングでは侵入できず、直接的なハッキングでなければ運転を切り替えられなかった。……加えてあの運転技術、あれは明らかに人為的なものだ」

「なのに人は乗ってなかった。とするとあれだな。遠隔操作とか? どうよ、俺の推理」

「その線ももちろん考えてみた。……しかし結局、自動運転だったという結論に落ち着く。どんな状態で操作しようとも、人間が操作するのであれば運転形態は手動でなければならない。これはハッキング手口の問題ではなく、人が操作する上で手動の方が明らかに好都合だからだ。わざわざ機械語を使ってまで、自動運転のプログラムコードを改ざんしようなどという物好きな輩は、そういない」

「お前みたいなか?」

「俺でも、だ。手動の方がいろいろと都合がいい。これは経験則だ」

 インナーユニバースを熟知している亜門が言い切るのだから、これはほぼ正しい言い分だった。暴走車の状態は自動運転であった以上、遠隔操作の可能性はない。

 暴走を引き起こした原因として考えられる可能性は一つだった。

「これは、AI人工知能の異常だ」

 車両から亜門が入手した内部データ、そして意図せず付属した『黄衣』。そこに答えはあるはずだった。

「でもでも亜門。AIが暴走することなんてあるの?」

「……それが今は分からない。一体どういった要因でバグが起きてしまったのか。学都のAIは特に強固にできており、滅多なことでは脆弱性は揺るぎないはずだが。しかしそれもこれまでだ。内部データはコピーしてある。必ず原因を突き止めてみせる」

「ははは、手が速えな。相変わらず変なことに頭突っ込んでんな」

「それはお互い様だ」

 五十歩百歩の発言を繰り返しながら、亜門はふと美衣子が何か考え事をしていることに気づく。

「ミーコ、どうした?」

「そのAIは一体どこに向かおうとしてたんだろう?」

 何気なく呟いた美衣子の問いに、亜門は後頭部を殴られたような衝撃を受けた。

 確かにそうだった。今までシステムの異常性ばかり目に付いていたが、本当の問題はそこではない。

 暴走した車両は明らかな意思を持って移動していた。

(そしてその痕跡は、地図に残っている)

 亜門は暴走車の内部データから、マッピングデータを引き出す。

 人目もはばからずデータに集中し始めた亜門を、二人は不思議そうな目で見る。その光景にも目もくれず、亜門は超人的とも言うべき速度でデータを解析し、暴走車がどこへ向かっていたのかを突き止めた。

 行き先は、学都の最端、第七区間。所謂開発区間とも呼ばれる工業地帯だった。

「すまん二人とも、俺は席を外す」

 手短に告げると、亜門は身支度を始めた。机の会計を済ませ、いつでも出発できるように準備する。

「え!? なんで?」

「車の行き先が分かった。そこには何かあるはずだ」

「えー!? まだまだ時間はあるのに?」

「おいおい、見つけて即行動かよ。ロックだねえ」

「悪いが、集会はまた後日だ」

 大二や美衣子に悪いと思いつつも、例のプログラムの正体が気になって仕方が無かった。

 好奇心に押されるがまま、急ぎ席を立つ。


「明日の待ち合わせは遅れないでよ!!」

 恨めしげに聞こえてくる声を背に、亜門は店を出た。

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