幻影の呼び声/Grimoire_1-5

 長い背丈を潜らせた、ピンクのジャケットが目を引く。

 芸術家が多い第三学区の中でも特に派手な服装に身を包み、二人の前に姿を現したのは、今日の主役ともいえる男。二人がこのカフェに待ち合わせることになった原因の人物、深見大二フカミタイニだった。

 この学都における亜門と美衣子の共通の友人であり、今まで一ヶ月もの間、学都の外にいたはずの男だった。

「もう戻ってきたのか? 大二」

「あれ、もうそんな時間? もう少し遅れるんじゃなかったっけ?」

 二人が驚くのも無理はなかった。大二が出向いていたのはなんと海外であり、今日その飛行機の到着が遅れると、他ならぬ彼自身から知らせが入っていたからだ。

「そんなもん、お前らに会いたいがために急いで帰ってきたに決まってんじゃねえかよ。いや急いだぜ。飛行機の中でレンタカーを借りての、学都に向かって大爆走。お前らにも見せてやりたかったぜ。それでどうだ? 俺のいない間の学都は? 相当物騒になってると見えるぜ」

 大量の荷物を置き、席に座ると同時に、まくし立てるようにしゃべり出す。これが深見大二だった。おじゃべりで陽気、好みは奇抜な格好と、なにもかもが亜門の真反対といえる人物である。

「そう聞いてよ。亜門ったら、全然私の話を信じてくれないの。私が学都で行方不明になってる人が大変な目に会ってるって言っても、頑なに信じようとしないんだよ。こんなに証拠もあるのに」

「俺は自分の目で見なければ信用できないと言っているだけだ。ただ、映像や資料などいくらでも改ざんできる以上、俺にとっては信用に値しない。実際に目の当たりにすれば否が応でも信じるさ」

「ほらまた屁理屈を言うー。どうせ実物を見てもまた屁理屈を言うんでしょ?」

「お前は実物を見たわけでもないだろう」

 二人の言い争いはまだまだ白熱する余地がありそうだった。ある意味一ヶ月前から変わらない二人のやり取りを、大二は懐かしむように笑顔で聞いていた

「ははは、相変わらずだな二人とも。仲むつまじくて何より何より」

「……そう見えるか?」

「ねえ大二はどう思う? 行方不明者がどうなっちゃったのか、大二も気になるよね?」

「大いに気になるね。いや実を言うとだ。俺の研究所にも行方不明になった人物が何人かいてな。……俺も困ってんだよ」

 大二の口からも、噂に繋がる情報が出ていた。

「おまえの所もそうなのか?」

「ああ、俺が学都を出る前からも、八幡研究所でいなくなった人間はいたんだが、まあそれほど問題にはなってなかった。……だが、ここ一か月で状況が悪化した。いなくなったのはうちの八幡ヤハタ教授だ。今も見つかってねえ」

『八幡研究所』。それが大二の所属する研究所の名前だった。主な研究内容は人々の食文化についての解明であり、それなりに名の知れた研究所でもあった。特に所名にもなっている八幡教授という人物は、学都の中でも有名な魚類学者である。

 そんな人物がいなくなったということは、かなりの大事と言えた

「大丈夫なのか、それは?」

「大丈夫なわけあるかよ、大惨事だ。現状いくつも研究が滞ってるから、このままだと研究所を畳まなきゃいけなくなるな。正直、魚人でもなんでもいいから今すぐ見つけ出して机に縛り付けなきゃならねえ。まったく参っちまうぜ、戻ってきてすぐにこんな大仕事しなきゃいけねえなんてよ」

「たいへんだね」

「魚人かどうかはともかく、無事である事を祈るほかないな」

「まあ何かと自由な教授だから、フラっとどっか行ったって可能性もあるんだがな。どのみちそろそろ戻ってこねえとまずいんだよ。あ、そうだ! なあ、亜門と美衣子ちゃんも協力してくれよ。今から名簿渡すからよ。町でその顔にピンときたら俺に連絡してくれ」

 頷く二人に、大二は大量の荷物から二冊のファイルを取り出し、それぞれに渡した。

 実物の本を亜門は久しぶりに目撃する。てっきりインナーユニバース越しにデータが送られるものとばかり思っていたため、亜門は少し面を食らう。大二の場合、今の今まで外部にいたため仕方ないと言えた。

「それにしてもすごい荷物の量だね」

「中身はなんだ?」

 顔写真付きの名簿をインナーユニバース上に読み込みスキャニングしながら、二人が聞く。

 今回の旅の行き先だとか、どんな人がいただとか、聞くべきことはいくらでもあるのに、それよりも二人の意識は荷物に集中していた。それほどまでに大二の荷物は多く、一人で運ぶ許容量の限界に挑む勢いだった。

「あ、これかあ? よくぞ聞いてくれたぜ。これはお土産だ。もちろん、親愛なる友人のお前らに向けての物もちゃんと用意してあるぜ」

 言いながら大二は荷物を漁る。出るわ出るわ。まともに包まれた海外製の菓子から、ペットボトルに入れられた謎の液体まで、机の上に次々と奇妙な品物が並び始める。

 その中の一つを美衣子は手に取った。

「これはなに?」

「ああ、そいつに目を付けるとはお目が高いぜ、美衣子ちゃん。それはカースマルツゥ。……ま、簡単に言えば蛆虫のチーズだな」

「うえい!!」

 想像していたものの数倍衝撃的な内容物に、美衣子は手元の容器を放り投げた。それを冷静に見ていた亜門が掴み取る。

 机の上に並べられた品物は、どれも噂にしか聞いたことのないようなゲテモノ食品ばかりだった。中には明らかに正規品ではない品物も紛れており、混沌としていた。

「よくこんなにも持ち帰ったな。……大丈夫なのか?」

「当然ダメだな。どれも闇市で買ったからな。作ってる国でさえ違法な物も混じってるぜ。どうやって持ち帰ったかってのは、……まあ秘密だな。安心しろ。味については保証する」

「……呆れたな。相変わらず、食の匂いを嗅ぎつけては調べずにいられない性分らしい」

「ははは、当たり前よ! 俺は栄えある八幡研究所の一員だぜ。食にかける情熱は誰にも負けちゃいねえ。人が食える物ならどんなゲテモノだって食うし、研究のためなら持ち帰る。法じゃ俺は止まらねえよ。お前ならよく分かるだろ、亜門。同じ研究者なら」

 笑いながら大二は言い切る。同意を求められた亜門は複雑な表情を浮かべた。

「いやいやいや。だからって持って帰ってくるのはないよ? 捕まっちゃたらどうするのさ?」

「そんときゃはあれだ。……食って誤魔化す。これで完全犯罪成立だな」

「答えになってないよ!」

 美衣子の表情は引きつっていた。土産としていくつかの品物が渡されたが、正直まだ安全かどうか、否、そもそも生理的に受け付けるのかどうかという境界線上のものが多すぎた。

 黙っていると未知の物体を次々と押しつけられかねないので、美衣子は慌てて尋ねる。

「そういえば今回はどこに行ってきたの? 色んな文化の人たちと触れ合ってきたんでしょ? ぜひ話を聞きたいな」

 大二は今回のみならず、度々学都を出て行くことがある。それには、彼が所属する研究機関の実地調査という名目があった。

 目の前でおちゃらけているようにも見える大二だが、こう見えても食文化に関して、いくつかの論文を提出したことがある。フットワークの軽さとユーモアを活かした報告の数々は、密かな人気があり、研究所のエースとも言える研究者の一人だった。

 実際に現地に赴くだけあり、大二の持ち帰るものは物理的なものだけではなく、貴重で面白い話もあった。

 しかし

「わりいな。今回の目的は食文化の探求ってより、目的の物を探しに行くことの方が目的として大きかった。だから前話したみたいなマサイ族とのおもしろ交流はねえ」

 大二の声のトーンが聞くからに落ちる。面白い話題を期待されたのに、希望に添えなかったことを残念がっているようだった。

「目的の……?」「物?」

「お、そこに食いついちゃう? ならちょいとお待ち。ええと、これじゃねえ。これも違う。これはゴミ……あった!」

 二人の予想外な食いつきに、大二は驚く。しかしその後、期待に応えるように、鞄から黒い液体の入った瓶を取り出した。

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