幻影の呼び声/Grimoire_1-4

 思考が共有する領域『夢』。その革命的ともいう領域を感じ取る脳の器官を、学都の学者は、視覚や聴覚といった五感に影響する意味合いも込め、『夢野角』と名付けた。

 加えてこうも思った。

 『これを利用すれば意思の疎通が可能になる』と。

「研究はさらに進み、人は起きながらに夢を可視化することに成功した。これが『インナーユニバース』だ」

 夢の可視化が実現したということで、様々な情報を人々の中で共有することができるようになった。さらに夢野角に干渉する特殊な電磁波も解明され、人々は意識を覚醒させたまま、夢を制御できるようになった。それを発する通信塔も学都各所へ設置された。

 これが学都における通信インフラの誕生だった。

 亜門は自分の義眼を指差す。

「俺たちが普段見ている文字や映像なんかは、あくまで視覚に表示された表面上のものだ。空中に流れているデータをそのまま人間が見たところで、理解することは難しい。だがこいつは、インナーユニバース上を飛び交うデータを色として捉らえることができる」

「色? データに色なんてあるの?」

「ある。例えばそうだな……ミーコ、これで何か注文してみろ。内容は俺に言わなくていい」

「うん? 分かった」

 言うなり亜門は『注文書』を手渡す。実際に触ることができないが、『注文書』を操作することで、この店の商品はすべて依頼できる。

 美衣子は亜門から隠れるようにメニューを吟味し、追加の注文として甘さ控えめのチーズケーキと、亜門用のコーヒーを頼んだ。

「デザートか。……この値段はチーズケーキ。後はコーヒー。……なるほど、俺の分か」

 難なく亜門は美衣子が入力した内容を口にした。

 注文が完了した三秒の早業だった。

「すごいよ亜門!! なんで分かったの?」

「さっきも言ったとおり、色だ。手元の『注文書』から送信された信号が、俺の目には色の線となって見える。その色合いから注文の種類と内容を解析しただけだ」

 『注文書』から発せられた、緑色の線のようなものが厨房に伸びていく様子を、亜門の義眼は捉えていた。その内容を亜門は読み解き、美衣子に伝える。やっていることはただそれだけだったが、その色を見ることができない美衣子にとって、亜門の一連の動作はまるで魔法のように映っていた。

「すごいよ亜門! こんな特技があるなんて、なんで教えてくれなかったの?」

「特に言う必要はないと思っていた」

「ひどいよ。じゃあさじゃあさ、これは?」

 興奮気味の美衣子が再び『注文書』を手に取る。調子づいたように次々と注文を入れていく。

「グリーンスムージー」

「生チョコタルト」

「コーヒーゼリー」

「デラックスパフェ」……etc


「すごいすごい! 全部当たってる!」

「画像、映像、このインナーユニバースを行き来するあらゆるデータは、その形式によって用途が変化する。データを色で判断できるということは、どんな情報であるか即座に判断できるということだ」

 亜門の意外な特技が判明し、美衣子はすっかり機嫌を取り戻していた。

(しかし、これだけの量の注文を……一体誰が食うんだ?)

 見事に甘い物だらけになったテーブルを見て、亜門は独り言ちる。胸やけがしそうな心境を押しとどめ、一先ず手近なコーヒーを手に取った。

「でも、データに色なんてついたら大変じゃないかな? 他の景色が見えなくなったりしない?」

 テーブル上のチーズケーキにフォークを刺しながら、美衣子は疑問を口にした。色を見ることができない美衣子がそう思うのも無理はなく、当然の質問だった。

「もちろん、データ量が増えればそれだけ濃い複雑な色合いにはなる。しかしだ。今まで視界が完全に染まるほど濃い色のデータは見たことがない」

(いや……さっきのこれを含めると違うか)

 亜門は先ほどの暴走車から回収した黄色の布を一瞥する。今見ても見事なほど鮮やかではっきりとした色合いは、やはりこの町のデータとしては異質だった。

「そうなの?」

「ああ、理論上ではあり得なくないが、実際にそんな色は発生することは滅多にない。映像や画像などをかき集めたところで、精々蛍光色程度の明度にしかならないのに、それ以上の容量を持つデータを使用する必要がないからだ」

 亜門の義眼には人や機械類が持つデータの色が見える。しかしそのほとんどが薄色か透明に近いものであり、私生活に影響を及ぼすようなことはないものばかりだ。

 亜門の言うような巨大なビッグデータ。それこそ一つの大学の研究データをかき集めれば、亜門の視界を遮るようなデータにはなるだろうが、それほど大きな、そして単一のデータには実用性がないのが現状だった。

「へぇー、じゃあ亜門には、流れているデータが全部パステル調とかに見えるんだ」

「パステル? ああ白色系の色の事か。俺は蛍光色と呼んでいたが、なるほどそういう呼び方が正しいのか」

「私だって学都の美大生だよ。これでもちゃんと勉強してるんだから」

 えへん、と美衣子は胸を張る。彼女が鼻高々なのも当然で、美衣子は第三学区で定期的に開催されるデザインのコンテストで、いくつかの賞を獲ったこともあるほど優れた感性の持ち主だった。

 芸術系の大学に通うだけあり、服装も会う度にがらりと変わる。今日はショートパンツから伸びるスラリとした足が眩しい、黒を基調としたシンプルなコーディネートだった。同じ黒を使った服であるはずなのに、亜門の喪服のような服装と比べ華やかさがあり、そのセンスをいかんなく発揮していた。

(美術、か。俺とは無縁の話だ)

 幼馴染の姿を眺めながら、亜門はコーヒーの二口目をすする。


「そういえば亜門は知ってる? 魚人の噂」

 頼んだコーヒーが冷め始めたとき、唐突に美衣子は話題を切り出した。

「なんだそれは?」

「ほら、今、学都で持ちきりの噂になってるじゃん。人が行方不明になる事件」

「ああ、その話か」

 美衣子が口にしたのは学都に広まる都市伝説の一種だった。学都のみならず、年間に何人かの人間が行方不明になるというのは人口の集中する都市にありがちな話だが、特にこの学都ではここ数年、その数が著しく増大しているというのだ。

 原因は未だ不明。そういった噂話に理由を付けたがるのが人の習性である。原因は学都の人体実験だとか、新種のウイルスに感染しただとか、正誤問わず様々な憶測がインナーユニバース上を飛び交っていた。

「なんとびっくり、攫われたはずの人間が急に姿を現したんだって」

「ほう、よかったじゃないか」

「驚くのはここからだよ。帰ってきた喜びもつかぬ間、攫われた人間は突然、魚人の怪物に変身しちゃって、人を襲うんだって」

 おどろおどろしい雰囲気を出しながら美衣子が口にしたのは、いかにも彼女が好みそうな展開B級の噂話だった。

 あまりにも予想通りの与太話ぶりに、亜門も苦笑いだった。

「さすがにそれはデマだろう」

「嘘じゃないよ。インナーユニバースにも動画があるし、それに見たっていう人も友達にいるもん」

「……ふむ」

 呆れつつも亜門は『紙面』を手に取り、件の都市伝説について検索を開始する。キーワードは『魚人』だった。


『魚人出現!! 怪奇現象か? はたまた人体実験か? 行方不明者が潜む学都の闇を暴く』

『化を引き起こす新型ウイルス。インナーユニバースを通して広がる魚人の恐怖!』

『人食い怪人現る!? これが失踪者の真実だ。マル秘魚人映像独占入手!!』


 『紙面』に広がる見出しには、インナーユニバースのありとあらゆる情報源から、検索に引っかかった記事が無数に表示されていた。嘘か偽りか、魚人に関する数多の情報が玉石混淆といった様子で混在していた。

 亜門が思った以上の反響があった。『紙面』を捲るとまた別の項目が続き、目を通す切りが無い。

「これほど存在しているとはな……正直驚いた」

「ね? ね? たくさん出てくるでしょ? 本当なんだよ!」

「だがやはり信じられんな……」

「んもー、強情だね亜門は」

 ネットワーク上に浮かぶ記事を見ても、亜門はまだ腑に落ちていない様子だった。やはり実際に目にしなければ信用するのは難しいとの考えである。

 そんな噂を肴に盛り上がるテーブルに、一つ、近づく人影があった。




「その話、俺も気になるぜ」



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