幻影の呼び声/Grimoire_1-3

「おそい! おそすぎるよ!!」


 学都の一角、芸術と美術を専門とする第三学区。その中でもモダンな雰囲気が人気のカフェに、遅れてたどり着いた亜門を待っていたのは、厳しい叱責だった。

 時刻は正午過ぎ、カフェ内では昼休憩を楽しむ学生で賑わいを見せていた。にもかかわらず、待ち人は怒りを露わにし、亜門を睨んでいた。

「遅れてすまない、ミーコ。私用だ」

 亜門の目の前に座っていたのは、亜門の小学校以来の友人、武藤美衣子ムトウミイコだった。所謂幼なじみで、学都でも数少ない外部から付き合いのある知人である。

 なだらかな撫で肩と、背中で切り揃えた艶のある髪を持つ、透き通るような美人だった。男が十人いれば十人が振り返る、そんな美貌を持つ人間が、今やその美貌も形無しに亜門を睨んでいた。

「悪いじゃすまないよ。一体何分遅れたと思っているのさ」

「……十分ぐらいか?」

「五十分! 大遅刻だよ」

 亜門が予想していた以上に遅れていた。

 実のところ、亜門がこのカフェに来たのは初めてであり、少し迷ったというのもあるが、やはり未知の暴走車両を止めるのに手間取ったと言うのが遅刻の理由としては大きかった。

 美衣子の対面の席に腰掛けながら、亜門は頭を下げる。

「悪かったな。次からは間に合うように調整する」

「もー! そういうことじゃない! 人と待ち合わせているときは、ちゃんとそっちを優先してよ。私用っていつもの人助けでしょ? たしかに大切だけどさー」

「だからといって放っておくわけにはいかないだろ。それに……人助けならおまえもよくやっていただろう」

「私は道に迷ってる人を案内したりするだけで、監視カメラを傍聴したり、車をハッキングしたりするような規模が大きいことはしないの。私は私にできる範囲のことをしてるだけだよ」

「一緒じゃないか」

「ぜんぜんちがーう!」

 何が違うのか亜門には分からなかった。

「それで、今日話したいこととはなんだ?」

 今日の待ち合わせは美衣子からの提案だった。亜門は二つ返事で了解したため、何故呼ばれたのか理由を知らない。

 手早く用件を聞く。

「あ、うん。えーと、明日の買い物についてなんだけど……」

「買い物……つまりデートか」

「デっ!?」

 亜門の唐突な一言に、美衣子は口に含んだ飲み物を吹き出しかける。しばらく咳き込んだ後、急いで体裁を取り繕うが、耳は真っ赤に染まっていた。

「う、うーん。ま、まー、亜門がそう思うのなら? そーなるのかな?」

「いいじゃないか、若者らしくて。それで誰と行くんだ?」

「…………………………………………………………はあ?」

 絶句する美衣子を見て、亜門はようやく美衣子の言っていたデートの相手が誰なのか気づく。

「……もしかして、俺か!?」

「そうだよ!! もー、ぜんぜん聞いてないじゃん!!」

「い、いや、今日が初耳だったはずだが?」

「言った。ぜったい言いました! 亜門が聞いてないだけでしょ! もー、そういうとこだよ。亜門の悪いとこ!」

 美衣子の怒りが再び浮上する。留まることを知らない癇癪を間近で聞いていると、ぼんやりと記憶が蘇ってきた。


『ねぇ、亜門っていつも同じような格好だね。せっかくスタイルいいんだから、もっとオシャレなコーディネートすればいいのに?』

『え? そんなに言うなら私が選んでくれって?』

『うん、確かにデザインを専攻してるけど……、その、いいの? ……私と一緒で』

『っ!! じゃあさ、週末に行こうよ。私もよく行くショップがあるから紹介するよ』

『楽しみにしてるね。亜門!』


 確かに約束していた。しかし何も記録は付いていない。ということは、どうやら完全にど忘れしてしまったようだ。

 喜びの反動故か、今の美衣子の怒りっぷりは、近年まれに見るレベルの危険域まで達していた。亜門の経験上、美衣子がこうなると下手な言い訳は御法度である。最悪の場合態度が悪化し、丸二日は口を聞かなくなるのが亜門の中での定説だった。

 そのために、取るべき行動は一つ。

「すまん」

 素直に頭を下げることだった。

 迷うことない真っ直ぐな謝罪に、美衣子の毒気も抜ける。やがて、自分の行動を顧みるように、みるみるしおらしくなった。

「……う、うん。謝ってくれるならもういいけど。で、明日は大丈夫なの?」

「例の調整を受けに行こうと思っていたが……、後日に回す。大丈夫だ。今度は忘れない」

「え、でも……そのの検査でしょ?」

「今すぐに検査しなければならないということはない。それに約束を破った身だ。そちらの都合を優先する」

 言いながら、亜門は右目を擦る。それを見た美衣子は少し悲しげな表情を浮かべた。

「やっぱり右目、痛むの?」

「いや、もう痛みはない。ただこの型(タイプ)はインナーユニバースに対応させてから日が浅いからな。定期的に調整してる」

 亜門の右目。一見何の変哲もないそれは、精巧に作られた義眼だった。

 とは言え通常のような何も見えない物ではない。実際に視神経に繋がっており、本物の目と同じように物を見ることができる。加えて、亜門のものはそれだけでインナーユニバースに干渉できる最新の義体であり、意識するだけでネットワーク上の操作ができる快適さ、通信する速度、どれも最高の特注品オーダメイドであった。

「それも亜門が作っているんだよね。インナーユニバースは私でも見られるけど、やっぱり普通の義眼とは違うの?」

「そうだな。ミーコ、お前はこの町のインナーユニバースについてどこまで知っている? 機械を使わず、人間の脳だけでやり取りをするこのネットワークが、一体どうやって構築されていると思うんだ?」

 突然の質問に美衣子は瞳を閉じ、しばらく悩む。いつになく真剣な表情だった

「え、うーん。脳に埋め込まれたマイクロチップが……」

 答えは特に捻りもなかった。

「映画の見過ぎだ。第一に、そんな手術をいつ受けた?」

「だったらわかんないよ。そんな夢みたいな装置!」

 美衣子の言葉に亜門は指をさす。まさしく、求めていた答えだった。

「……そう、夢だ」

「え?」

「人が見る夢を使って、この町のネットワークは成り立っている」

 亜門が口にしたのは、この町を語る上で欠かすことのできないインナーユニバース。その始まりと成り立ちだった。

「ほんの数年前まで、人は己がなぜ夢を見るのか知らなかった。それを当時の学都にいた研究者が解明した。曰く、

「共有?」

「簡単に言ってしまうと、自分でも知らないうちに、自分の意識だとか記憶を他人に知られてしまう、ということだな」

「え!? 困るよそれは! だって自分の気持ちとか全部知られちゃうんでしょ? たとえば……す、好きな人とか」

「……落ち着け。それはあくまで無意識下のやり取りだ。ほとんどの人間が意識して知ることはないし、また知られることもない」

「なんだ、よかったー」

「それで、お前も予知夢やデジャヴといった言葉を聞いたことぐらいはあるだろう?」

「うん、えーと、予知夢はこれからの出来事を夢で知っていたりすることで。デジャヴは初めての出来事がまるで経験した事みたいに感じること、だよね? たしか」

「その通りだ。そしてそのどちらも、他人が見た記憶を自分と共有した結果、起きた現象だと言える」

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