幻影の呼び声/Grimoire_1-1

 町を行き交う人々の間を、赤い紙飛行機が滑空する。

 人々を避け、自動的に道を曲がり、決して地面に落ちない。物理的な法則を無視したこれらの動きから分かるように、これは実体ではない。インナーユニバースを介し、この町を飛び交う情報、その通信形態の一つだった。紙飛行機というイメージは、これを認識できる人間が設定した形である。

 電気信号で形作られた紙飛行機は町を彷徨い、やがて一人の男の手によって捕らえられた。

 男は折り畳まれた紙飛行機を丁寧に開く。すると紙飛行機は形を変え、一枚の写真になった。そこには道路を走る、一台の無人車が鮮明に映し出されていた。


「……近いな」


 そう呟いた男の名前は新亜門サラアモン。中性的とも言える容姿を持つ、この学都に住まう学生の一人だった。

 写真が撮られた場所の座標は、亜門が立つ区画のもの。この画像は、その中にある監視カメラの一台が撮影したものと見てまず間違いなかった。

 通常、監視カメラのデータがインナーユニバースに流れることはない。もし画像が流れるとすれば、考えられる要因は二つ。管理局からの要請で取り寄せられたか、もしくはカメラの自動検知装置により、何か異常が検出されたかである。

 この画像は後者を表していた。自動車の法廷速度の超過、つまりは交通違反だった。加えて紙飛行機の色は赤。赤いデータは緊急時の中でも、特に警戒レベルの高い情報であることを表していた。

(恐らく速度は100km超。画像に操縦者は見当たらない、とすると自動運転オートか。手動運転マニュアルでない違反とは珍しい。……システムのバグか?)

 人為的なものなのか、作為的なものなのか、現時点では判断しきれない。しかし搭乗者がいない以上、いずれ事故に繋がる恐れがある。放置するのは危険だった。

 亜門は写真を元の赤い紙飛行機へと変えて放す。これで紙飛行機は管理局へ行き、違反があったことを知らせるはずだった。

(警察が来るまで最低でも10分。どれほどの時間で捕らえれるのか分からないが、数分はかかるだろう。持ち時間は15分に設定しておくか)

 冷静に分析しながら、亜門は近くに停めていた車に近づく。

 その手には『紙面』が握られていた。


 学都に住む者の多くは、自身だけに扱える非実体型のデバイスを持つ。

 インナーユニバースという可視化されたネットワークがあるが故に、この学都という町はデータで溢れかえっている。無数にあるデータの中から必要な情報を得るためには、それを取捨選択する端末が必要不可欠だった。

 かつてはその役割を携帯電話やタブレットなどの携帯端末がこなしていた。しかしインナーユニバースによる通信が可能になった学都では、その端末すら持ち歩く必要はない。

 本人が念じれば、本や手紙、あとは先程の紙飛行機など、用途、好みにより多岐にわたるデバイスをどこでも自由に使用できる。もちろん、実体はないので紛失もしない。

亜門が持つデバイスの形状は新聞、その『紙面』だった。

 紙面の見出しが変化し、制限時間を表すタイマーが出現する。時間は宣言通り『15:00』。カウントが始まった。

《『CLASSIC《折り紙》』によるアクセス開始。形状モード"キー"》

 脳内に響くアナウンスと共に、亜門のデバイスか変化する。一枚の紙が折り畳み、また折り畳みを繰り返し、立体的な形を成す。そうして『紙面』は一枚の紙から折り紙としての『鍵』になった。

 『鍵』を手に、亜門は車に手をかける。ただ機械に挿し込む。それだけでハッキングは完了する。

《0%……50%……100%。アクセス完了コンプリート

 鍵を回すと、いとも容易く車の扉が開いた。亜門は運転席に乗り込み、エンジンをかける。車はいつでも発進できる状態になった。

「後はジャミングか……」

《形状"バタフライ"》

 車の周りに紙面でできた無数の『蝶』が舞う。

 『蝶』の特徴はジャミング。これで監視カメラなどの機械類が亜門の姿を正確に写すことはない。

 準備は万端だった。亜門は次々と飛来する赤い紙飛行機に向けて、ハンドルを切る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る