カレー

ながね

まぁ食えよ

「あー、死にてえ」


俺は布団に寝転がりながら、誰に向かって言うわけでもなくそう呟いた。


「どうしたのよ急に」


彼女が別段心配そうでもなさそうに聞き返す。


「いや、別に何がどうってわけでもないけどさ。このままこうやって、別に好きでもない仕事を続けながら定年まで働いて、少ない貯金を切り崩しながらお迎えが来るまでやり過ごすのかーって思ったら、なんか急に虚しくなってきちゃっただけ。」


「何言ってんのよ今更。それが嫌なら自分でもっと何か新しいことでも始めてみればいいだけじゃないの」


見事な正論パンチ。殴られた心をかばうように胸を押さえる。


「いや、そんなことできてたら一人で馬鹿みてぇに死にてー、なんて、言ってないっしょ」


言っていて悲しくなる。が、事実だからしょうがない。


「勝手なことばっかり…わがままねぇ、ほんと。」


死にたいって言ってる彼氏に追い打ちをかけるんじゃない。


「わがままなのは生まれつきだからな、文句を言うなら親に言ってくれ」


「それこそ本当に勝手ねぇ…笑。ま、ちょっと待ってて、カレー作ってあげるから」


??どういうことだ、話の繋がりが見えない。


「カレー?なんで??」


「私のお母さんが言うにはね、『人の苦しみってのは、寒い、ひもじい、寂しい、死にたい。の順で来る』らしいわよ。あんた今、寒くはないでしょ。それに私がいるんだから寂しくだってないはずよ!そしたらあとはお腹いっぱいになれば大丈夫。」


まぁ夏の終わり、そりゃ寒くはない。むしろまだ少し暑さが残っているくらいだ。私がいるから寂しくないでしょ、ってのは、そんなこっぱずかしいことをよく言えたもんだなとは思うけど、まぁそれも間違ってない。人と話すのが苦手な俺にとってただ一人、一緒にいて苦じゃない相手。無理に会話を続けようと気を遣ったりしなくても、部屋の中に二人、黙ったままでいても気まずくない相手だ。


「なるほどなぁ。いや待て、お腹いっぱいになるだけならカレーである必要は別になくないか?それじゃあ質問の答えにはなってないぞ」


「うるさいわねー、単に私の決め事なの。悲しいときにはカレーを食べるってのがね。カレーには抗うつ剤の10倍の効果があるって話よ。テレビでみのもんたが言ってたから間違いないわ」


いや、みのもんたに信頼を寄せすぎだろ…それが本当なら精神科医は廃業だ。


「むしろ間違いしかなさそうだけど…まぁいっか、確かにお腹は減ってたし。頼むわ。」


「おっけー、15分で作るからそのままそこで死体みたいに転がってな。」


彼女が台所に歩いていく。戸棚を開ける音、陶器のお皿同士が擦れる音、電子レンジで冷凍のご飯をチンする音。あいつが料理をしている音を聞くのは好きだ。特に、まな板と包丁のぶつかるトントントン、というリズミカルなあの音は聞いていると心が落ち着く。残念ながら今回はレトルトカレーのようだから包丁の出番はなさそうだけど。


「あ、カレーの匂い」


匂いにつられて口の中に唾液が満ちる。パブロフの犬ってやつだな。


「これはいざってときに食べようと思って買っておいた、少し高いやつ。本当にいい匂いね。どうよ、カレーのことで頭いっぱいになって、死にたかったのなんて忘れたんじゃない?」


いざってときってなんだよ、と思いつつ、確かにさっきまでの鬱屈とした感じが薄れていることに気づく。


「いや、まぁ確かにさっきよりはどうでもよくなったけども。それより早く食べさせてよ。マジで腹減ってきた。」


腹がぐぅーーっ、と唸る。台所にまで聞こえそうないい音だった。


「はいはい、もうあんたの分は盛り付けてあるからそっちに持って行って。お茶入れ終わったら私もそっち行くから。でも不思議よね。死にたくってもお腹は減るんだから。」


「なんだよ、皮肉か?」


「違うわよ。別にそんなんじゃなくて。ただ不思議だなーって、ね。どれだけ心が傷つけられても、もう死んでしまいたいと思っていても、身体はちゃんと生きたがってるんだなって。ただそれだけ。」


こいつがこんなこと言うのは珍しいな。


「ふーん。まぁ当然っちゃ当然じゃね?死にたいと思ってすぐ死んじゃうような生き物なら、とっくのとうに絶滅してるだろうよ。」


まだ20年やそこらしか生きてない俺には、数億年の分の遺伝子には到底抗えやしないってことかね。


「あー、そうね。確かにそうよね。今地球に生きてる生き物たちみんな、何億年もの間、一度も途切れずにここまで命を繋いできてるのよね。」


ぐぐぅーー、とさっきの2倍の音量で腹が唸る。まるで急かすように。


「そうそう。だからここでせっかくの命を途切れさせないように、早くカレーたべようぜ。」


「なによ、最初に死にたいって言ってたのはあんたじゃない」


口では不服そうに言いながら、少し安心したように笑う彼女。なんだかんだ心配させてしまっていたようだった。胸が少しきゅっと苦しくなった。まぁこいつとはまだ一緒にいたいし、死ぬのはまだもう少し先でいいかなと思えた。


彼女と向かい合って、ぱんっと手を合わせた。


2人の手を合わせる音が綺麗に音が重なる。そして多分、この後の言葉も、きっと息ぴったりに重なるだろう。


「「いただきまーす。」」

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カレー ながね @katazukero

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