3 二人の男と一人の少女
うねうねとヘビのように曲がりくねった山道を一台のジープが行く。中々に年期の入った傷だらけの車体には『デイサービスふらわー』の文字が創英角ポップ体で張られている。
少女たちがいると思われる廃墟を目指して新宿からT山の516号線まで一時間半。そこから舗装されていない山道に入り、行く当ても分からぬまま茜とヒカルは三時間もジープ車を走らせていた。
「ヒカル。本当にこの道で合っているのか?」
「今度は絶対に大丈夫だって!最初は神父サマにナビさせたせいで迷ったけど今度は絶対に大丈夫!」
ヒカルは根気強く大丈夫と繰り返すが、その目には諦観が浮かび始めていた。はじめは車の持ち主であるヒカルが運転をし、茜がナビゲートを行っていたが電子ナビが細すぎる道々に悲鳴をあげて案内を終了し、茜の方向音痴がいらぬ仕事をしたせいで二時間も無駄にしてスタート地点から仕切り直した。
茜は運転しない車のハンドルの重さに腕を持っていかれないように必死だった。時刻は午後三時。一日の日照りの山場を越えたとはいえ七月の半ばにして既に酷暑と報道される気候では、車にそそぐ日の光だけで焼け死んでしまいそうだ。落ちてきたカソックの腕を捲りなおし、茜は蜃気楼に揺れるデコボコのアスファルト道を睨みつけた。ゆらゆらと揺れる視界に、自分がしっかりと道の上を走ってるのか段々と自信がなくなってくる。カップ麺の湯気の上でも走っているみたいだ。
「…………ねえ、本当に合ってる?」
何百回と訊ねた言葉を、もう一度だけ投げかける。
「だから合ってるって…………茜っ!ブレーキ!!」
「ッ!?」
視界の端から何かが飛び込んできた。ヒカルの悲鳴に反射的にブレーキを強く踏み込んだ。キィーッという摩擦音が響き、タイヤのゴムが地面を強く擦って停車する。反動で体が前方へ強く投げ出されてシートベルトが深く肩へ食い込んだ。後ろの座席では雑多に積んだヒカルの仕事道具が音を立てて落ちていく。
「ッ、はあああ…………」
深く息を吐いて茜はハンドルに手をついた。前方に嫌な衝撃は感じなかったからどうやらブレーキは間に合ったらしい。それでも恐る恐る車の前を見るともう一メートル行った先で一人の少女がへたり込んでいた。
いち早くヒカルがシートベルトを外し、外へ様子を見に行く。それに倣って茜も車のドアを開けた。
「大丈夫!?怪我とか、ない?」
ヒカルが少女に駆け寄って助け起こそうとする。見た感じでは外傷などはなさそうで、茜はほっとして介抱を手伝う。
「あ、あたし…………」
少女は震えながら必死に言葉を紡ごうとするが、今しがた起きたことに動揺しているのかうまく話せない。
少女はポロシャツに短いスカートをはいており、髪はまるで少年の様に短く刈り込んでいた。
「聖M高校の生徒だよね?」
ヒカルが問いかけると、少女はそちらを向いてこくりと頷いた。なぜすぐに高校が分かったのかと茜が怪訝そうな顔でヒカルのことを見るとヒカルは視線だけで察したのか少しめんどくさそうに答えた。
「制服に校章が入ってるだろ?それで分かるよ」
「ああ……」
納得がいったように茜が呟く。聖M高校といえば、ここらへんでは少し名の知れたお嬢様高校だ。少女はまだ状況を把握しきれていないようで、突然自分を取り囲んだ男二人を警戒したように見上げる。
「なんですか……あなたたち…………」
「私は星宮茜と言って神父をしています。そっちのピンク頭は司波ヒカルと言ってヘルパーです」
「ピンク頭っていうな若白髪のくせに」
唇を尖らせて抗議するヒカルを睨みつけて黙らせる。道中に止まったジープ。ピンク髪のチャラ男とはたから見ればコスプレのカソック姿の若白髪。どこからどう見ても今の自分たちは不審者でしかないだろう。少女の目はこの数分でどんどん冷めたものになっていく。
「さっきは轢きそうになってすまない。しかし、どうしてこんなところにいるんです?誰かと一緒に来たんですか?」
そういいながら茜はあたりを見回す。山と山の間の谷間から更に少し上ったこの場所は地形的にも複雑な場所で人気がまったくない。道中にも民家らしきものは見当たらなかったことから、ここは中々の僻地であるはずだ。少女の見た目だってとてもキャンプとはいいがたい。
「あたし、逃げてきたんだ……」
少女は息を浅く吐きながら言う。
「あたし……あたしだけが、逃げてきて……みんながまだ……!」
言葉と同時に少女の大きな目からボロボロと涙が零れ落ちる。少女は声をあげて泣き始めてしまい、困惑したように茜とヒカルは顔を見合わせた。子供に泣かれるのはなんとも居心地が悪い。
「とりあえず立てる?車の中に飲み物とかあるから、涼しいところで落ち着こう」
二人で少女を助け起こし、道の脇へ寄せたジープの運転席のシートに座らせる。崩れた後部座席の中からクーラーボックスを発掘して、まだ少し冷たいスポーツ飲料を飲ませると少しばかり少女は落ち着いたようだ。
「……あたし、清原菜穂美って言います。聖Mの二年です………」
菜穂美は二人から距離感を取りながらもしかりと答えた。菜穂美は助手席に座る茜の服をじろじろと見ながら訊ねる。
「おじさんは本当に神父様なんですか?」
「おじっ……」
後部座席に座るヒカルが噴き出してくつくつと笑う。ヘッドレスト越しに叩きたいのを我慢しながら茜は平静を保って返す。
「もちろん。ちゃんと教団から認められた神父ですよ。いつもは新宿の教会にいるのですが、わけあってこちらまで来たんです」
「新宿に教会なんてあんの?」
「あ、ありますよ……」
雑居ビルの二階に鎮座する我が家ともいうべき教会を思い浮かべながら答える。しかし菜穂美の頭の中に浮かんでいるのは三角屋根に鐘楼のついた典型的な教会像だった。それを察してかヒカルは後部座席でにやにやと笑っている。
「それより清原さん。さきほど逃げてきたと言っていましたが、なにかあったんですか?」
訊ねながらも、茜は不思議と確信があった。恐らくこの少女は廃墟にいるであろう子たちの関係者だ。場所の条件が限りなく近い。ヒカルも同じことを考えているらしく真面目な顔でヘッドレストに腕をのせてこちらを覗き込んでいる。
「なにがあったって言われても……よくわかんない。気が付いたら廃墟みたいなところに閉じ込められていて……よくわかんないヤギみたいなのに追いかけられて……どうやったのかよくわかんないけど、私気が付いたら階段の上まで来てそこの鍵が開いてて逃げてきたんだ」
「それは……怖い思いをなさいましたね。でももう大丈夫」
茜は菜穂美を優しく慰める。慈愛のこもった声は聴いているだけで不思議と落ち着きを誘う。
「本当に?」
「はい。清原さんはよくがんばりました。大丈夫です。私たちがあなたを家に帰します」
自信をもって茜は菜穂美に語り掛ける。しかし———
「駄目!」
飛びつくように菜穂美が茜に掴みかかった。
「まだ……まだかのんや樹里たちがあの中にいるかもしれないんだ!そうだよ、私、こんなことしている場合じゃないのに……早くかのんたちを助けに行かないとヤギに襲われちゃう!」
菜穂美の声は震え、瞳には恐怖の色が浮かんでいる。
「ヤ、ヤギ?清原さん、落ち着いて。大丈夫。大丈夫ですから」
カソックを掴むか細い手をほどきながら茜は横目でヒカルへ助けを求めた。ヒカルは仕方ないと言わんばかりに肩をすくめてスマートフォンを取り出した。
「清原ちゃん。ちょっと確認したいんだけども、このアカウント知ってる?」
言いながら差し出された画面を見て、菜穂美は目を見開いてこくこくと頷いた。画面にはあのSNSサイトの『OMI』というユーザーのアカウント名が表示されている。
「これ、私のアカウント……!」
「よっしゃドンピシャ大当たり!」
ガッツポーズを決めながらヒカルはにっかりと笑って見せた。
「安心しなよ清原ちゃん。何を隠そう俺たちはこの投稿のSOSを見て駆け付けた正義のヒーローなのです」
格好つけてウィンクするヒカルに対し、菜穂美はもう一度怪訝な顔をして茜はため息をついて顔を覆った。
#
はたと目を開いて、いつのまにか私は眠っていたことに気がついた。あいも変わらず、頭は重く体もままならない。それでもなんとか顔を上げると、そこには寝る前と変わらない苔むしたコンクリートの景色が広がっていて私は絶望した。それでも変わった部分もある。小さな窓から漏れ入る光は月光よりも強く、微かに蝉の鳴く声が聞こえる。朝が来たのだ。
汗をかいたままの喉元が痒くて不快で仕方がない。一刻も早く風呂に入りたいがそれも叶わなくて私は大きなため息をついた。そしてあたりを見回して私はとんでもないことに気がついた。
晶子ちゃんがいない。
「晶子ちゃん!?」
大声で名前を呼ぶが、前後に続くコンクリートの廊下に飲み込まれて消えるだけだ。
「晶子ちゃん!どこ!?」
私は力の限り叫んだ。叫べば彼女が声を返してくれるような気がして。
苔むした地面に手を置いて、私は立ち上がる。滑ってうまく立ち上がれないのをどうにかして周囲を見渡す。こんな場所で一人で行動するはずがない。私は必死になって晶子ちゃんを探した。
もしかしたら近くの部屋にいるのかもしれない。そう思って私は右に行こうとした。しかし次の瞬間、次回は左へと反転する。
「あ、あれ?」
もう一度、右を向こうとする。しかし首は言うことを聞かず、左の壁を見たままだ。おかしい。自分の手を見てみようとする。腕が上がるはずなのに、上がらない。何も見えない。
私の体が言うことを聞かない。
「なんで、なんで?」
突然のことに私はパニックを起こす。何かの病気だろうか。こんなタイミングで?不安と焦燥に締め付けられ、私は泣きそうになる。とにかくじっとして落ち着いたいのに、体は勝手に前を向いて進み始めた。
暗い廊下を、進みたくもないのに足が進んでいく。まるで何かに操られているかのようだ。
「いやだ……なにこれ……」
まるで何かに寄生されているようだ。なぜ今思い出したんだろう。たしか、カタツムリに寄生して動きを乗っ取る寄生虫がいたはずだ。それと同じように、自分で自分の動きがままならない。本当にどうして、今それを思い出してしまったのか。
どうにか首を捻ろうとして、まったく違う方向へと向いた視界で私は嫌なものを見た。日が昇って明るくなった廃墟の中は昨日の晩よりもずっと見やすく、いろんなものが見える。それは床に転がって虹色の黴を生やす小瓶だったり、辛うじて『実験』の文字だけ読み取れる朽ちた紙の束だったりだ。
(たしか……昨日晶子ちゃんとここが病院みたいだねって)
普段回らない脳みそのくせにこういう時ばかり回転が速くなる。私は歴史の先生が話していた実験施設のことを思い出していた。怖いながらも珍しくしっかりと聞いていたせいで鮮明に思い出してしまう。
曰く、その昔戦争時代には学校の近くに実験施設があったそうだ。
そこで行われていた実験とは、動物を使った実験で確かそう。
対象を自在に操るためのロボトミー手術実験だったはずだ。
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