3 魔法使いになっちゃった!

「うわっ!」


 心臓破りの階段から転がり落ちそうな夢を見たところで、目を覚ました。

 でも、目の前に広がっているのは、階段のトンネルの緑でも、その上に広がる空の青でもない。

 さっきまで師匠と一緒にいた、神社の社務所の天井だった。

 そして、私は社務所の床に横になって、タオルケットにくるまっていた。


「わ、私、階段から……」

「やっと目を覚ましたか」


 ぶっきらぼうで聞き慣れた声が、上から聞こえてくる。

 飛び上がるように起き上がってみれば、案の定山城君がジト目でこっちを見ていた。


「や、山城君、私、なんで……? さっきまで、神社の鳥居の前にいたはず……」

「その鳥居の階段から落ちそうになったから、俺が引っ張ったんだよ。まったく、そのまま気絶するから、ここまで引っ張るの大変だったんだぞ」


 机に置いてあったポットを傾けて、水を並々注ぐ。「けど」と続けた山城君の眉間には、深いシワが寄せている。


「いつかはって思ってたけどやっぱり触っちまったな、あの祠に。めでたくお前も魔法使いの仲間入りか」

「待って、確かに師匠の言いつけを破ったのは謝るから! でも、いきなり変な音が……、えっ」


 待って、今変なことを言わなかった?


「魔法、使い……?」


「ああ、そうだよ」と言った山城君は、今まで見たこともない真剣な目で私を見つめていた。




「和泉、お前は魔法使いになっちまったんだ。もう、元には戻れないからな」




 ちょちょ、ちょっと。意味が分からない。

 魔法使い? 絵本やアニメでよく見る、魔法を使えるファンタジーのキャラのこと?

 杖を振って魔法を使ったり、箒にまたがって空を飛んだり、動物になって町中を走ったり、薬を作って不思議を生む、あの魔法使い?


「ま、論より証拠だ。実際見た方が、ずっと早い」


 言うなり、いっぱいに水が注がれたコップを私めがけてかけてきた。とっさに目を閉じて身構える。


「いきなり何、すん、の……?」


 でも、いつまで経っても水の冷たさが来ないから、ゆっくりと目を開けた。

 空中に飛んだ水が、飛び出したときの形のまま、宙で固まっていた。

 こ、こんなことって、ありえない!


「それが、証拠。この水は、

「う、そ……」


 震える指先を伸ばして、宙に止まった水に触る。ゼリーみたいに固まっているけれど、冷たい感触はやっぱりどこにでもある水だ。

 途端、水が下に落ちて、机の上がびしょびしょになった。


「服もよく見てみろ、傷がないだろ。それも、転がり落ちなかったんだよ」


 本当だ、言われるまで気付かなかったけれど、服には転んだ跡がない。

 階段から落ちなくても、あの時は上下が分からないくらいの頭痛がした。転んじゃって、擦り傷や汚れができてもおかしくない。

 でも、服をあちこち見ても、砂ぼこり一つついていなかった。


「だろ?」って、山城君は水で濡れた机を雑巾で拭きながらこっちを見つめてる。


「……あの石塚は何なの? 師匠に聞いても、何も教えてくれなかったんだけど」

「母さんから聞いた話だと、大昔にこの町にやって来た魔法使いの魔法を祀っているんだと」

「お墓、なの? っていうか、『魔法使い』って、何?」

「母さんの話だと、墓とかじゃなくて、魔法使いの魔法が閉じ込められているみたいなんだ。どうにも、『竜姫伝説』の眠っていた龍に関係がある魔法使いらしくて」


 トクン。心臓の鼓動がジャンプした。


「湖の少女が鎮めていた、あの龍……」

「あの龍には、人の心を救う力ってのがあっただろ? それに関係してるんじゃないかって」


 ため息交じりにつぶやく山城君をよそに、私はじっと自分の手を見つめる。


『竜姫伝説』に縁の深い竜淵神社の中にあった、魔法使いの石塚。

 人の心を救う力をもつとされる、湖の龍。

 そして今、私は『魔法使い』になった……。



「やっぱり、魔法はあったんだ……」

「母さんには俺から伝えておくから、今日は早めに帰って大人しくしてろ。俺もお前の魔法について詳しく知らない」

「やった、やった! やっぱり魔法は、あったんだ!!」


 胸のドキドキが止まらなくなって、人生一番の勢いで跳ね上がった。

 ここが社務所の畳の上だってことも忘れて、ピョンピョンとはしゃいだ。


「和泉、なにやって……」

「あったんだ、やっぱり魔法はあったんだ!」

「まさか和泉、魔法があるか知りたくて『竜姫伝説』を学んでたんじゃ……」


 あんぐり口を開けた山城君をよそに、私の興奮は止まらない。

 やっと、やっと、『夢』がかなったんだ!

 魔法使いになれる『夢』が!!


「だってそうでしょ、ずっと魔法を探していたんだから! この町には魔法が出てくる『竜姫伝説』があるからって思ったら、ドンピシャ! 竜淵神社に答えはあったんだ!」

「おまっ、俺だって使い方を教わっただけで、魔法を使えたことなんてないぞ。そんな初めて見る魔法をもらったところで、何に使うんだよ」

「使い方とか分からなくていいじゃない! やっと、見つけたばっかなんだから!」


 今度は、山城君の目が丸くなった。


「じゃあなんで、魔法なんて分からないものを?」

「だって、魔法を見つけられたら、もっと広い場所に行けるんじゃん。『竜姫伝説』は、お姫様と青年が別の世界に旅立ったって話があるから。魔法があれば、もっと別の世界に行くことができる!」


 息を弾ませながら思っていたことを口に出す手前、山城君は目を細めながら私を見つめていた。


「それに、それに……」


 握りこぶしを作って、続きの言葉を紡ごうとする。けれど、なかなか続きが出てこない。


 いつも仕事の紙と向き合っているお父さんの背中。

 ボサボザの髪を束ねながら、台所に向かうお母さんの横顔。

 そして、段々と交わす言葉が少なくなってきているお姉ちゃんの声。


 思い出していくほどに、私の言葉も出なくなってきている。

 もし、もし魔法があったなら……。


「……分かった。和泉が魔法を探す理由は、もう分かった」


 山城君の呟きが、私の言葉を遮った。


「とりあえず、今日は早く帰ること。和泉、一体どんだけ寝てたのか忘れてないか?」


 ジロリと目を向けられて、ハッとなって柱の時計を見上げる。途端に、出ようとしていた言葉が一気に胸の中へと引っ込んでいった。

 ヤバイ! もう門限まで10分もない!


「し、しまった。今日の夕ご飯、私が当番だった! お姉ちゃんに怒られる!」

「だったら、さっさと帰れ。ついでだ、お前が魔法を使わないように、俺も一緒についていくから」

「えっ、もしかしてもっと魔法を教えてくれるの?」

「いいからさっさと支度しろ! また誰かに見られたら、面倒なだけだ!」


 吠える山城君に追い立てられながら、私は被っていたタオルケットを急いで畳む。

 私の熱を帯びたタオルケットは、ちょっぴり暖かかった。

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