1 私の初恋

 ――お侍さん達が生まれるよりずっと昔。

 姫名の里には高い山がありました。

 山の上には海のように深く広い湖があって、湖の水を浴びると人の願いを叶えると伝えられました。


 この姫名の里には、一人のお役人の青年がいました。

 青年は大変真面目な方で、毎日里のみんなの生活のために働いていました。

 そのおかげ里のみんなは青年を慕い、幸せな生活を送っていました。


 ただ青年には将来を約束した幼なじみがいましたが、大人になる前に病気でこの世を去ってしまいました。

 青年は何度も湖に幼なじみを連れて行きましたが願いが届きませんでした。

 悲しみのあまり幼なじみのことが忘れられませんでした。

 青年は家族や里のみんなの前では笑顔でしたが、皆が見えない所で幼なじみが好きだった笛を奏でては泣いていました。


 ある日のこと、幼なじみのお墓参りのために山に登ったところ、湖で優雅に舞う少女に会いました。

 そっと木の陰から少女を眺めていましたが、青年は驚きました。舞っていた少女が、幼なじみそっくりだったからです。

 青年に気付いた少女に「君と一緒にいたい」と、青年は求めました。

 少女は少し困って「貴方と一緒にいれば、いずれ後悔してしまう。お帰りください」と断りました。その日は、がっかりして青年は里に帰りました。

 けれど、あきらめきれない青年は湖に通い続け、少女の舞を見ては求婚しました。少女も青年の真剣な愛を受け止め、遂には山を下りて青年と結婚しました。


 青年と姫となった少女の結婚を青年の家族や里の人々は祝い、二人は楽しく暮らしました。

 けれど、姫が山を下りた日から、山の上の湖が小さくなっていきました。

 異変に気付いた青年が湖のことを姫に問いただすと、姫は泣きながら答えました。


「私は、山の仙女です。湖の底に眠る竜を鎮め、竜から人を助ける力を頂いていました。しかし、青年の幼なじみを救うことができず、ずっと後悔していました。幼なじみの姿を借りたのは、青年の悲しみを止めるためでした」

 しかし、仙女が湖から離れたことで、竜が眠りから覚め湖が干からびようとしていました。竜を鎮めるために、仙女は山へ帰ると願いました。

 青年の悲しみを知っていた家族や里の人々は、今の幸せを護るためと願いを許しません。

 青年は板挟みとなって、深く悩みました。


 とうとう湖は干上がってしまい、眠っていた竜が目覚めてしまいました。

 里の人々は武器を手に取り、竜と戦い次々に倒れていきました。

 傷ついていく里と人々を見て姫君は悲しみ、人知れず山の上に戻ってしまいました。


 悲しんだ青年は姫の後を追い、竜で壊された山の頂へ上りました。

 里を押しつぶさんばかりに巨大な竜が、まさに姫を呑み込もうとしていたところでした。青年は姫の手を取り、竜から姫を守ろうとします。

 姫は「これ以上私といると身を滅ぼす」と言われましたが、青年は娘の手を離しません。

「貴方のおかげで、心の傷はいえました。今は、貴方と一緒にいることが一番幸せ。それが、幼なじみへの手向けになります」

 その言葉に心が動かされた娘は、竜の前で最後の舞を踊ります。青年も、幼なじみの好きな笛を吹いて舞を竜を鎮めました。

 竜は怒りを鎮めて眠りにつきましたが、湖が消えた代償に青年と姫を欲しました。

 すべての力を失った青年と姫は手を取り合いながら光に包まれて消え、青年と姫の「人を助ける力」が込められた鏡と笛が残されました。


 後で事情を知った家族や里の人々は悲しみました。

 けれど、またこの里に戻ってくることを信じて、かつて青年と姫が出会った湖の跡に竜淵神社を建てました。

 青年と姫、そして竜は竜淵神社に祀られ、里をずっと見守り続けています――。



 ★ ☆ ★ ☆ ★



「……ですから、この町は『竜姫伝説』から始まりました。そして江戸時代になると宿場町として発展し、現在の姫名市となっていきました」


 目の前で同じく正座をして授業を続けている師匠は、まゆ一つ動かさない。

 師匠が教えてくれる『竜姫伝説』の話を一言一句聞き逃さない。


「戦後は高度経済成長で工場が立ち並び、人口も増えたことで町は大きく変わりましたが、郷土研究会や大学の働きもあって『竜姫伝説』の史跡は保存されました。今では竜淵神社をはじめ、町中に『竜姫伝説』の名残があります」

「なるほど、『町中に伝説の名残が残されてる』と……」


 師匠の言葉を忘れないように、机に開いたノートに鉛筆を走らせる。時々師匠の前に広げた本をのぞきこみながら、スケッチを書き込んでいく。

 ノートにびっしりと文字とスケッチで埋め尽くされると、ページをめくる。

 でも、次のページがラストだった。

 しまった、新しい『授業用』のノートはまだ持っていない。さすがに学校のノートに書くわけにはいかないし。


 そっと顔を上げれば、師匠が苦笑いを浮かべていた。


「大丈夫ですよ、今日はこれでお開きにしましょう。次は1週間後なので、復習はしっかりするように。それと、ノートはしっかり準備するように」

「あ、ありがとうございます!」


 ノートを閉じて声を上ずらせながらおじぎをしたけど、勢い余って頭を机にガツンとぶつけちゃった。

 おかでげ師匠はクスクス笑っちゃうし、私は恥ずかしくて逃げちゃいたい。


「そういうわけですから、大学に行きますので。遥海さんも日が落ちるまでには家に帰るように」

「分かりました、今日はありがとうございます!」


 もう本をカバンにまとめた師匠が立ち上がって、玄関に向かっている。


「くれぐれも、ケンカをして部屋をメチャクチャにしないように。……分かりましたか、護君?」

「……分かってるよ、できるだけな」


 そして師匠から廊下の壁に消えると、反対側の廊下から山城君が師匠が消えた方を睨んでいた。


「それで、もう授業が終わったんだからとっとと帰れ。これ以上、一緒にいたくねえんだ」


 白い目を向けながら部屋に上がり込んできた山城君からは、湿っぽい臭いがしてくる。

 来た時師匠が言ってた手伝い、境内の落ち葉拾いを終えてきたみたい。


「大丈夫だって、もうすぐに出るから。あ、でもその前に身体ほぐさせて」


 柱にかかった時計を見れば、もう5時手前。

 9月の日の入りはあと1時間ぐらいだけど、神社から家までゆっくり歩いても5分ちょっと。

 まだ時間はある。足をくずして、ぐっと身体をほぐす。


「へいへい、さっさとやって帰った、帰った」


 ドカッと座った山城君は、そのまま頬杖をついてそっぽ向いちゃう。

 ここ一ヶ月、山城君は調子だ。最近は師匠の仕事が忙しいみたいで、なかなか師匠の授業に行ける日が少ない。

 それに、山城君の家族はお父さんとお姉さんがいるんだけど、お父さんは仕事で海外を飛んでいて、お姉さんは『日本の生活が合わないから』って理由でお父さんと一緒。

 つまり、師匠が仕事でいない間はこの神社で一人っていうわけ。

 学校が終わったら、静かにしたいんだね。


 やっぱり、夢中になりすぎていたかも。

 夏休みの後でタイミングが悪かったけど、さすがに悪いことをしたかな……。


「……和泉、そんな変な罪悪感なんて捨てろ。ここに来てほしくないのは本当だけど、和泉を傷つけてまで追い返したくねえよ」

「えっ、な、なにが!」


 急に心の中をのぞかれたような感じがして、身体が固まっちゃった。

 山城君は、そっと肩越しに私に振り向いた。


「……本音が顔に出るだろ。さっきの石段の時だって、思い切り俺で笑ってたろ」

「ほ、ホント?」


 確かにさっきの階段の騒ぎは、山城君の顔がおかしくて笑っちゃったけど。

 そこまで顔に出てたなんて、思ってもみなかった。


「ここ一ヶ月のクラスのバカ騒ぎのせいで、俺達の居場所がなくなる。そんなことなら、母さんの話を聞くのをやめようかって」

「そ、そんなことは……!」


 まるで心を見透かされているみたい。

 山城君の言葉をとめようとして、思わず上ずった声を上げちゃう。


「やめるなよ、絶対に」

「……へ?」


 今度は間抜けな声を出してしまう。

 相変わらず山城君はそっぽ向いたまま。でも、さっきみたいなトゲはまるでない。


「さすがに神社に毎日来るのはやめろ、はずかしいから。でもな、そんなことで和泉が暗くなるのはもっと嫌なんだよ」

「暗く、なる……?」

「気付いてないのか? 5月の時よりもずっと明るくなってる、4年の時みたいに」


 まるで何を言っているか分からない。

 確かに5年生に入ってからは、家で独りぼっちになるのは嫌だった。

 でも、山城君が言うほど暗くなってたなんて。


「和泉が好きなことに一生けん命になればいいじゃねえか。そっちの方が、和泉の笑顔がずっとまぶしいんだよ」


 トクンと、胸の中で何かが動いた。

 山城君は相変わらずこっちを向かないし、言葉もぶっきらぼう。

 でも、なぜか言葉を返せない。身体も、ほぐしたばかりなのにまるでいうことを聞かない。

 心臓が波打って――。


「……和泉?」


 不思議そうな山城君の声で、ようやくハッとなった。

 肩越しにこっちに振り向き、私はに顔を逸らしてしまう。


「どうした、和泉? 顔が赤いぞ?」


 透き通った声で話しかけられて、私はガマンの限界だった、


「ご、ごめん! 私もう帰るから!」

「えっ、どうした和泉?」

「な、何でもない!」


 慌てて机の上に散らかっていたノートや文房具をランドセルに押し込んだ。

 なぜか声が上ずっちゃうけど、理由が分からない。

 これ以上山城君と一緒にいると、調子が狂う。それだけは分かる。


 部屋から飛び出しても、心臓のドキドキは止まらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る