或るエピローグ
#28 また、明日
全てを包み込むような青い空と、人々を暖かく照らしてくれる黄色い太陽は、今朝から灰色の雲に覆われ隠されている。しかし雲からは白い雪が生まれ、憂鬱気味だった人々の気を晴らした。
外から聞こえてくる子供のはしゃぎ声や楽しげな犬の鳴き声。雪が降ったことが楽しいのだろうか。寒いのはあまり好きではないカナンにとって、雪の降るような日はあまり好ましくない。
「……あ、来たかな」
窓際のベッドに横になり、窓越しに白い雪を見ていたカナンは、外から聞こえてくる声に混ざる、聞き慣れた声に心を躍らせた。
暫くすると1階の玄関からドアが開く音が聞こえ、階段を上ってくる音が聞こえてくる。足音が自室の前で止まり、ドアノブが動き自室のドアが開けられた。
「来たよ、カナン」
「おじゃまします」
ドアを開けてカナンの部屋に入ってきたのは、制服姿の緤那と文乃。2人はドアを閉め、ベッドの隣にあるソファにカバンを置いた。
アランが死んで戦いが終わった後、緤那達は元の世界に帰り元の日常に戻った。
プロキシー達はクロノスとティアマトに代わり、現世を管理する神として働くため、プレイヤー達から離れた。今ではプロキシーが居ないことにすっかり慣れ、プロキシー達も世界の管理を維持している。
10ヶ月。あの戦いから既に10ヶ月が経過しようとしているが、余命わずかと言われていたカナンはまだ生きている。この10ヶ月で光や唯達との確執は完全に消え、カナンは今まで以上に生きやすい時間を歩めている。
「さて、じゃあここで、緤那サンタからカナンにちょっと早めの
「え、何?」
「なんと! カナンの小説家デビューが決定しましたー!」
「~っ!!」
小説家を夢見ていたカナンは、アランと出会う前から小説を書いていた。しかし事実上の余命宣告を受けてからは書く力も書く気も無くなり、未完のまま執筆を諦めた。
しかしアランと出会い自らの身体を可能な限り癒した今のカナンは、書きかけの小説を終わらせられた。完成した小説は舞那から舞那の父、舞那の父から出版社に流れ、ストーリーは勿論、余命僅かな少女が書いたものであるという要因が話題を呼び、遂に本の出版が決まった。
とは言え出版が決まったというだけで、実際に出版されるまではまだ時間がかかる。それでも、カナンは満足している。満足すぎて心のコントロールも聞かぬまま、カナンは舞那と文乃の前で号泣した。
「叶う……私の、夢が……!」
「……頑張ったね、カナン」
カナンの頭を撫でる緤那の表情は優しく、その様子を見ていた文乃の心も穏やかになった。
「……それにしても、カナンってば日に日に元気になってる気がするよ。私と緤那さんがお見舞いに来始めた頃に比べても、結構体調も良さそうだし」
「私もそれは思ってた。余命宣告なんて嘘だったんじゃない?」
「……嘘じゃないよ。アランが居なきゃ、今頃私はもうこの世に居ない。アランが居てくれたから、今の私がある。アランが、私に命を、生きる時間を分けてくれたの」
緤那と文乃の予想は正しく、カナンの身体は徐々に回復していっている。自宅で死を迎えたかったがために病院から出ていったのだが、寧ろ薬品臭い病院よりもカナンの身体には良かったみたいである。
元はと言えば、出会った当初にアランがカナンの身体を調整してくれたのが最大の要因である。アランは優しい性格だった。仮に世界のリセットなどを目論んでいなければ、今頃はナイア達と共に世界の管理に勤しんでいただろう。
カナンにとってアランは親友であり、死ぬのを待つだけのつまらない人生を変えてくれた恩人でもある。
故に、アランが死んだ時は、プレイヤーの中で唯一涙を流した。
◇◇◇
アクセラレーションスマッシュで肉片と化したアランの視界には、緤那の赤い残光と、気味が悪いほどに青い空が映っていた。
最後に見る景色が緤那の色と舞那の色。それはアランにとっては嫌悪感そのものだが、何故か不思議と受け入れられた。
自分の身体が消えていくということは、カナンが自分から離れていったこと。即ち、カナンが自らを確立したということ。本来の目的とは違うが、拠り所でありパートナーであったカナンが人として成長できたことは、正直アランにとっては喜ばしいことだ。
また1人になった。寂しい。それは本心である。同時に、カナンが"カナン"になれたことを喜んでいるのも本心。
偽りの無い2つの感情がアランの心を染めるが、消滅の直前、アランは微笑んでいた。
同じ頃、カナンはアランに感謝の言葉を述べた。距離も離れ、接続もされていないため、カナンの声は聞き取れていない。
しかしアランは笑顔だった。
カナンが友の手を借りて立ち、且つその姿を見届けられた。
それはアランにとって最上の喜び。
身体全体が消滅するその瞬間まで、アランはカナンに笑顔を向けていた。
「……ねえ、舞那……ちょっとだけ、服濡らしてもいい?」
「いいよ。いくらでも付き合うから、好きなだけ濡らして」
カナンは消えゆくアランから目を逸らし、舞那の胸に顔を埋める。その胸は大きく温かい。いい匂いもする。舞那は震えるカナンの背中に手を回し、髪の乱れた後頭部を撫でる。まるで天使にでも慰められているような気分である。心が休まる。しかし、アランを失ったことによる喪失感、アランを裏切ったことへの罪悪感が大粒の涙となり、宣言通り舞那の服を濡らした。
止まらない涙。堪えきれない嗚咽。拭えない悲しみ。カナンの心情はその場に居た誰もが察し、舞那に軽く手を振った後に静かにその場から去った。ただ1人、文乃だけは慰めに行こうとしたが、緤那とエリザの静止により中止。雪希達と共に舞那とカナンから離れた。
「終わったね、今度こそ」
「はい。本当ならセルカを殺した時点で終わったはずだったんですけどね……」
緤那と文乃の会話に聞き耳を立てていた龍華は、何食わぬ顔で会話に参戦した。
「ねえ、2人は……平行世界の自分達とは会った?」
「「え……あ!」」
龍華の言う「平行世界の自分達」とは、この世界に訪れ後に旅立った平行世界の緤那と文乃を指している。しかし今現在龍華の隣で歩いている緤那と文乃は、龍華の指す緤那と文乃とは対面していない。それどころか、本来会うはずだった例の2人のことなど忘れていた。
カナンを追い世界の壁を越えた際、緤那は平行世界の緤那と、文乃は平行世界の文乃と実際に会い、世界を見捨てたことを説教しようと考えていた。しかしこの世界に訪れた瞬間に戦いが起こり、気付けばカナンは救えた。急すぎる展開だったため、2人が平行世界の2人を忘れてしまうのも無理は無い。
「え、ってことは……あなたは平行世界の私達と会ったの?」
「会ったよ。正確には
「私達……平行世界の私達は何処に行ったの?」
「あなた達の世界。2人はカナンを倒せる新たな可能性、カナンを救える可能性を持った存在を生むためにあなた達の世界に行った。その結果、やって来たのがあなた達。カナンを倒せる可能性とは言っても、勝利に大きく貢献したのは舞那だけどね。まあそれはいいとして、その様子だと2人には会ってないみたいね」
会ってない。そもそもいつ来たのかさえ分からない。即ち、もう2人の消息を辿るのはほぼ不可能。しかし話を聞く限り、平行世界の2人はもう世界を破壊しないと思われる。故に緤那と文乃は安心し、説教する気も失せた。
「私達……カナンを倒せる力なんて持ってないよ」
「平行世界の私達こそ、私達以上に甘い考えを抱いてたみたいですね」
「……まあでも、あの2人だったら多分、カナンごとアランを殺してた。カナンを救える可能性を持ってたってとこを見れば、あの2人の考えは結果的に良かった。甘い考えもたまには役に立つものね」
「……会ってみたかったなぁ、平行世界の私達……」
「案外、会わない方が幸せだったって思うかもよ。ところで、あなた達は元の世界に帰るの?」
「帰るよ。カナンが泣き止んだらね」
緤那は歩きながら後ろを振り向き、舞那に抱かれ号泣するカナンを見る。未だ泣き止んではいないようである。
「ゆっくりしていけば? 平行世界に来ることなんて無いだろうし」
龍華に続いて会話に介入してきた瑠花は、緤那達にこの世界の観光を勧めた。
「ん~……やめとく。私達の帰りを待ってる友達も居るし、それに……ね?」
「……あー、そうだね。ならさっさと帰って元の世界で楽しみな」
再び振り返る緤那と、それを察した瑠花。ここで一旦会話は途切れ、少し時間を置いてから緤那達は元の世界に帰った。
◇◇◇
「アランは、多分この世界に居ちゃいけない存在だった。けど、居たことは無駄じゃなかった。現に、私はこうして生きてる」
「……どう? 今の世界、楽しい?」
緤那の問いに、カナンは少し間を置いて答えた。
「……文句のつけようが無いくらい、今までで1番充実してる」
◇◇◇
日は沈み、青かった空は黒く変わる。雪は止み、灰色の雲も晴れる。夜空には幾つもの色が輝くが、カナンから見れば全て同じ色に見え、同じ輝きに見える。
(私も遂に小説家になるのか……)
アランが拠り所として選ばなければ。アランと共に平行世界へ行かなければ。緤那達と出会わなければ。舞那と出会わなければ。自分の弱さを受け入れなければ。今頃カナンは夢を叶えることもなく、ただただ不公平すぎる世界を嫌うばかりだっただろう。
しかし今は違う。人生初の友達ができ、なりたかった小説家にも近々なれる。偶然に思われた必然と、必然に見える偶然が、カナンの人生を変えた。
ただ死を待つだけのカナンに、
(明日もきっと、緤那達が来てくれる)
(明日は天気、晴れるかな?)
(そうだ、明日は新しい作品を考えよう)
(明日も……また生きなきゃ)
カナンは暗い部屋の中、静かに目を閉じ眠りについた。
生きて迎える明日を夢見ながら。
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